『出雲国風土記』
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』意宇郡『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』嶋根郡『出雲国風土記』秋鹿郡
『出雲国風土記』楯縫郡『出雲国風土記』出雲郡
『出雲国風土記』神門郡『出雲国風土記』飯石郡
『出雲国風土記』仁多郡『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』後記

『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介


『出雲国風土記』神門郡(かんどのこおり)


(白井文庫k34)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-34.jpg

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神門郡
合郷捌里廾二    餘戸壹驛貳神戸壹
 朝山郷     今依前用里貳
 置郷      今依前用里参
 鹽冶郷     本字正屋里参
 八野郷     今依前用里参
 高岸郷     今字高峯里参
 古志郷     今依前用里参
──────────

神門郡

合郷捌里廾二    餘戸壹驛貳神戸壹

郷を合せて八(里二十二)。 余戸一、駅二、神戸一

 朝山郷     今依前用里貳

朝山郷 今も前に依りて用いる(里二)

 置郷      今依前用里参

置郷 今も前に依りて用いる(里三)

 鹽冶郷     本字正屋里参

塩冶郷 本字止屋(里三)

 八野郷     今依前用里参

八野郷 今も前に依りて用いる(里三)

 高岸郷     今字高峯里参

高岸郷 今の字高峯(里三)

 古志郷     今依前用里参

古志郷 今も前に依りて用いる(里三)


(白井文庫k35)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-35.jpg
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[氵昔]狭郷此ノ下ノ段ニ滑狭郷ト在  今依前用里参
多伎郷          本字多吉里参
餘戸里
狭結里          本字最邑
多伎野          本字多吉
神戸里
所以号神門者神門臣伊加曽然也時神門負
之故云神門即神門臣等自一至今常居此處
故云神門朝山郷郡家東南五里五十六歩神魂
命御子眞王著玉之邑日女命唑之尒時所造
-----
天下大神大穴持命娶給而毎朝通唑故云朝

置郷郡家正東四里志紀嶋宮御宇天皇之
御世置伴部等所造來[宀/イ丙]停而為政之所故
云置郷
鹽冶郷郡家東北六里阿遅須枳高日子命御
子鹽冶毘古能命唑之故云正屋神亀三年
改字鹽冶

八野郷郡家正北三里二百一十歩須佐能表命御
子八野若日女命唑之尒時所造天下大神
大穴持命将娶給為而令造屋給故云八野高
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[氵昔]…大漢和、水の部(17657)によれば、読みは(サク・シャク、ソ)ゐせき。水をせく。又、其のもの。とある。
[宀/イ丙]…「宿」の元字[宀/イ(丙に下線)」の誤記若しくは略記であろう。

[氵昔]狭郷此ノ下ノ段ニ滑狭郷ト在  今依前用里参

[氵昔]狭郷(此の下の段に滑狭郷と在)  今依前用(里参)

多伎郷 本字多吉(里参)

多伎郷 本字多吉(里参)

餘戸里

狭結里 本字最邑

多伎野 本字多吉

神戸里

所以神門者神門(ヲシ)伊加曽然也時神門負之故云神門
神門臣等(ヲシラ)ルマデ此處故云神門

神門と号す所以は、神門臣伊加曽然の時に神門負之故に神門と云う。
即ち神門臣等はじめより今に至るまで常に此処に居る故に神門と云う。

朝山郷郡家東南五里五十六歩神魂御子眞王著玉之邑日女(アフタマノムラヒメノ)命唑マス(コゝ)尒時所造(ツクリマス)下大神大穴持命娶給而毎朝通マス故云朝山

朝山郷、郡家の東南五里五十六歩。神魂命の御子眞玉著玉之邑日女命ここに坐す時、所造天下大神大穴持命娶り給いて毎朝通います故に朝山と云う。

出雲風土記抄3帖K37本文「真玉著玉之邑日女(マタマツケタマノムラヒメ)命」

郷郡家正東四里志紀嶋御宇天皇之(アメガシタシロシメススメラミコトノ)御世置伴部等(ヲキトネラ)所造來[宀/イ丙]停而為政之所故云置

・[宀/イ丙]は[宿]に改める。

置の郷、郡家の正東四里。志紀嶋の宮御宇天皇の御世、置伴部等造りし所、來たり宿り停まりて、政を為す所故に置の郷という。

鹽冶(ヱヤ)郷郡家東北六里阿遅須枳高日子(アチスキタカヒコノ)御子(ミコ)鹽冶毘古能(ヱヤヒコノ)命唑マス故云正屋初ニ正トアリ爰ニ止ニ作ル神亀三年
改ル字ヲ鹽冶ト

鹽冶(ヱヤ)の郷、郡家の東北六里。阿遅須枳高日子命の御子、鹽冶毘古(ヱヤヒコ)能命ここに唑す。故に正屋(初めに正とあり(ココ)に止に作る)という。(神亀三年、字を鹽冶と改む

・出雲国風土記考証p253解説で「「鹽」の字音は、古くはカムからヤムとなり、今はエンに變つたものであつて、天平時代には、ヤムであつたと見える。」とある。

・修訂出雲国風土記参究p356参究で「塩冶毗古能命は他の古典に見えない神であるが、もと塩冶の地の守護神たる男神の意であるのを、神名が先として伝えたのである。神名もやはりもと止屋と書いたのであろう。」とある。

八野郷郡家正北三里二百一十歩須佐能表(スサノヲノ)御子(ミコ)八野若日女(ヤノワカヒメノ)命唑マス尒時所造(ツクリマス)天下大神大穴持命将娶ハントシテ而令造屋給故云八野

八野の郷、郡家の正北三里二百一十歩。須佐能表命の御子八野若日女命ここに坐す時に天下所造大神大穴持命将に娶り給はんと為して屋を造りしめ給う。故に八野という。


(白井文庫k36)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-36.jpg
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岸郷郡家東北二里所造天下大神御子阿遲
須枳高日子命甚晝夜哭唑其所高屋
造可唑之即建高崎可登降養奉故云高岸
神亀三年
改字高峯
古志郷即属郡家伊弉弥命之時以曰淵
川築造池之尒時古志国等到来而為堤即
[宀/イ丙]居之所故云古志也
上[氵昔]狭
滑狭郷郡家南西八里須佐能表命御子和加
須世理比穀命唑之時所造天下大神命娶
而通唑時彼社之前有磐石其上甚滑之
即詔滑磐石哉詔故云南佐神亀三年
改字滑狭

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多伎郷郡家南西廿里所造天下大神之御子阿
陀加夜努志多伎吉比売命唑之故云多吉神亀
三年

改字
多伎
餘戸里郡家南西卅六里説名如
意宇郡

狭結驛郡家同所古志国佐與布云人來居
之故云最邑神亀三年改字狭結邊其所
以來居者説如古志郷也

多伎驛郡家西南一十九里説名改字
女即也
甫曰女即トハ不審也
[寺]
新造院一所朝山郷中郡家正東二里六十歩
建立嚴堂也神門臣等之所造也新造院一所
有古志郷中郡家東南一里刑部臣等之所造
木立
厳堂

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高岸郷郡家東北二里所造天下大神御子阿遲須枳高日子(アチスキタカヒコノ)命甚晝夜哭唑マス其所高屋造可キトマス建高崎可登降養奉故云高岸(神亀三年改高峯

・「建高崎」は「建高椅」に改める。

高岸郷、郡家の東北二里。所造天下大神の御子阿遲須枳高日子命甚しく昼夜()き坐す。其の所に高屋を造りてここに坐すべきと。即ち高椅を建て登り降りして養い奉る。故にこれを高岸と云う。(神亀三年字を高峯と改む)

古志郷即本ノ侭郡家伊弉弥命之時以曰淵(ヒフチ)(コノ)尒時古志国等到来而(ツクル)[宀/イ丙](マドリ)(イル)之所故云古志

古志郷。即ち郡家に属す。伊弉弥命の時、曰淵川を以て築き、この池を造る時に古志国等到り来たりて堤をつくる。即ち宿り居る所の故に古志と云う也

上ニ[氵昔]狭トアリ 滑狭郷郡家南西八里須佐能表命御子和加須世理比穀(ワカスセリヒコ)命唑マス之時所造天下大神命娶而通時彼社之前有磐石其上甚滑之即滑磐石(カト)故云南佐神亀三年改ム字ヲ滑狭ト

古写本を比較し、以下の点を改める。
・「和加須世理比穀命」を「和加須世理比賣命」に改める。
・「唑之時」を「唑之尒時」に改める。
・「磐石」を「盤石」に改める。

(上に[氵昔]狭とあり)
滑狭郷郡家の南西八里。須佐能表命の御子和加須世理比賣命唑ます時に、所造天下大神命娶りて通い唑す時、彼の社の前に盤石あり。其上甚だ滑かなり。これ即ち滑盤石哉と詔う。詔う故に南佐と云う。(神亀三年字を滑狭と改む)

多伎郷郡家南西廿里所造天下大神之御子阿陀加夜努志多伎吉比売(シタキキヒメノ)命唑之故云多吉神亀三年改ム字ヲ多伎ト

多伎の郷、郡家の南西廿里。所造天下大神之御子阿陀加夜努志多伎吉比売命唑す之故に多吉と云う。(神亀三年字を多伎と改む)

餘戸里郡家南西卅六里説名如シ
意宇郡ノ

・「倉野本」にはこの前に「神戸里」が挿入されており、「出雲風土記抄」3帖k42k43本文でもこの前に「神戸里」が入っている。
細川家本・日御碕本には「神戸里」は無い。
萬葉緯本では多伎驛の後に「神戸里」がある。
冒頭、郷及び里・驛の一覧では「神戸里」がいずれの古写本にもあるから、それを理由に倉野本では加筆し、又出雲風土記抄でも踏襲したのかとも思われる。「萬葉緯本」は「出雲風土記抄」を踏襲している。
・細川家本を底本としたという加藤の校注p70及び参究p363では、何の説明もなく「神戸里」を記している。萬葉緯本に同じ。
・講談社学術文庫「出雲国風土記全訳注」p228でも加藤の文と同じであり、底本は細川家本と称しているが加藤の校注・参究を底本にしていると思われる。

餘戸の里、郡家の南西三十六里。(名を説くこと意宇郡の如し)

狭結驛(サユウノエキ)郡家同所古志国(コシクニ)佐與布(サヨフ)云人來居之故云最邑(サイユウ) 神亀三年ニトアリ改字狭結邊其所以來居者説如古志

狭結の驛、郡家と同所。古志国佐與布と云う人來居之故に最邑と云う。(神亀三年字を狭結邊と改む。其所以来居する者説くこと古志の郷の如く也)

多伎驛郡家西南一十九里説名改字女即也 甫曰女即トハ不審也

多伎の驛、郡家の西南一十九里。(名を説くに字を女即に改める也) (甫曰く女即とは不審也)

[寺]

新造院一所朝山郷中郡家正東二里六十歩建立嚴堂也神門臣等之所造也

新造院一所。朝山郷中郡家の正東二里六十歩。嚴堂建立する也。神門臣等の造る所也。

新造院一所有古志郷中郡家東南一里刑部臣等之(ヲサカベノオシタチノ)所造也木立厳堂

新造院一所。古志郷の中に有り。郡家の東南一里。刑部臣等の造る所なり。(木立厳堂)


(白井文庫k37)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-37.jpg
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[社]
義久我社  阿濱理社  比布知社  又比布知社
多吉社   夜牟夜社  天野社   波加佐社
奈賣佐社  知乃社   浅山社   久秦為社
佐志牟社  多支枳社  阿利社   阿如社
国持社   郡賣佐社  阿利社   大山社
保乃知社  多吉社   夜牟夜社  同夜牟夜社
比奈社 已上廿五所并
在神祇官

鹽冶社   久奈子社  同久奈子社 加夜社
小田社   波加佐社  同波加佐社 多伎社
多支々社  波須波社  以上十四社並
不在神祇官
 甫曰本書以上十二社有
然氏十四社有依十四社記之
二社不見

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[山]
田俣山郡家正南一十九里有[木邑]
長柄山郡家東南
一十九里有[木邑]
吉栗山郡家西南二十八里有[木邑]枌邊
所謂所造

天下大神之
宮挟造山也
家東南五里五十六歩大神之
御屋

稲積山郡家東南五里七十六歩大神之
稲積

陰山郡家東南五里八十六歩大神之
御陰

稲山郡家正東五里一百一十六歩東在樹林三方並礒
也大神之稲

桙山郡家東南五里一百五十六歩南西並在樹
東北並礒也

大神之
御桙

冠山郡家東南五里二百五十六歩大神之
御冠

諸山野所在草木自般桔梗藍漆龍謄商陸續
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[社]

義久我社  阿濱理社  比布知社  又比布知

多吉社   夜牟夜社  天野社   波加佐

奈賣佐社  知乃社   浅山社   久秦為

佐志牟社  多支枳社  阿利社   阿如

国持社   郡賣佐社  阿利社   大山

保乃知社  多吉社   夜牟夜社  同夜牟夜

保乃知ノ社  多吉ノ社   夜牟夜ノ社  同 夜牟夜ノ社

比奈已上廿五所并在神祇官 二十所トアレドモ廿五所アリ

比奈社 (以上廿五カ所は並びに神祇官に在り)(二十所とあれども廿五所あり)

・ここに、細川家本・日御碕本・倉野本を参考に二社を補う。

塩夜社  火守社

鹽冶社   久奈子社  同久奈子社 加夜

小田社   波加佐社  同波加佐社 多伎

多支々社  波須波社  以上十四社並不在神祇官 甫曰本書以上十二社然氏十四社有ルニ十四社記之二社不見

多支々社  波須波社  (以上十四社並不在神祇官)(甫曰く。本書に以上十二社と有り、然し十四社有るに依りて十四社と記す。この二社不見)

[山]

田俣山(タマタヤマ)郡家正南一十九里有[木邑]枌

田俣山は郡家の正南一十九里。([木邑]枌あり)

長柄山郡家東南一十九里有[木邑]枌

長柄山は郡家東南一十九里(有[木邑]枌)

吉栗山郡家西南二十八里有[木邑]枌邊所謂所造天下大神之宮挟造山也

吉栗山、郡家の西南二十八里。((カエデ)(スギ)辺りに有り。所謂所造天下大神の宮を挟造せし山也)

家東南五里五十六歩大神之御屋(ミヤ)

この部分欠字がある。
・細川家本k47で「家東南五里五十六歩(大神也郷屋)」
(山川版p118で「家東南五里五十六歩。大神之御屋。」)
・日御碕本k47で「家東南五里五十六歩(大神也郷屋)」
・倉野本k48では「○家東南五里五十六歩(大神娘郷屋也)」とあり、○部分の左側に「宇比多伎山郡」と傍記。
・鶏頭院天忠本k38で「此所三字虫喰不見 郡家東南イ五里五十六歩 大神之郷屋」(イ=異)
・春満考k54で、「家東南 一本家の上尒郡の字有を是と春」「大神御屋 一本神の下尒之乃字有を是と春」(春=す)
・紅葉山本k39で「家東南五里五十六歩(大神御屋)」
・出雲風土記抄3帖k47本文「宇比多伎山郡家東南五里五十六歩(大神之郷屋也)」
・出雲風土記解-中-k60本文「○○○○○(宇比多伎山)郡家東南五里五十六歩(大神之御屋也)」

稲積山郡家東南五里七十六歩大神之稲積

稲積山、郡家の東南五里七十六歩 (大神の稲積)

陰山郡家東南五里八十六歩大神之御陰

陰山、郡家の東南五里八十六歩(大神の御陰)

稲山郡家正東五里一百一十六歩東在樹林三方並礒也大神之稲

稲山、郡家の正東五里一百一十六歩(東に樹林あり。三方並に礒也。大神の稲)

桙山郡家東南五里一百五十六歩南西並在樹東北並礒也大神之御桙

桙山、郡家の東南五里一百五十六歩(南西並に樹あり。東北並に礒也。大神の御桙)

冠山郡家東南五里二百五十六歩大神之御冠

冠山、郡家の東南五里二百五十六歩(大神の御冠)

諸山野所在草木自般桔梗藍漆龍謄商陸續斷獨活自芷秦淑(シツシャウ)サシショウ百部根(ヒャクブコン)ヘクソカヅラ百合(ヒャクガウ)ユリ巻栢石斛升麻當皈石葺麥門冬杜仲細辛茯苓葛根薇蕨藤李杏カ蜀淑(ショクシヤウ)サシシヤウ檜杉榧赤桐白桐椿槻柘○榴カ(キワダ)(カウゾ)アリ

諸山野所在の草木、自般本ノ侭 桔梗 藍 漆 龍謄 商陸 續斷 獨活 自芷 秦淑 百部根 百合 巻栢 石斛 升麻 當皈 石葺 麥門冬 杜仲 細辛 茯苓 葛根 薇 蕨 藤 李杏か 蜀淑 檜 杉 榧 赤桐 白桐 椿 槻 柘○榴か 楡 蘗 楮あり。


(白井文庫k38)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-38.jpg
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斷獨活自芷秦淑百部根百合巻栢石斛升麻當皈
石葺麥門冬杜仲細辛茯苓葛根薇蕨藤李蜀淑
檜杉榧赤桐白桐椿槻柘楡蘗楮禽獣則有鵰
鷹晨風鳩山鶏鶉[ム/月|鳥]猪狼鹿兎狐猕猴飛鼯也
[川]
神門川源出飯石郡琴引山北流即經來嶋。波多。須
佐三所出神門郡餘戸里間土村即神戸朝山
古志等郷西流入水海也則有羊魚鮏麻須、
伊具比多岐小川源出郡家西南卅三里多岐山
流入大海有甲魚
[池]
宇加池三里六十歩來食池周一百卅歩

-----
笠柄池周一里六十歩

刾屋池周一里
[水海]
水海神門水海郡家正西四里五十歩周三十五里
七十四歩裡則有鯔魚鎭仁須受枳鮒玄砺也即
水海與大海之間在山長廿二里二百三十四歩廣三
里此者意美定努命之国引唑時之綱矣今俗人
号云薗松山地之形骵壤石並無也白沙耳積上
即松林茂繁四風吹時沙飛流掩埋松林令年
埋半遺恐遂彼埋已與起松山南端美久我林
盡石見與出雲二国堺中嶋﨑之間或手須或
──────────

禽獣則有鵰鷹晨風鳩山鶏鶉[ム/月|鳥]猪狼鹿兎狐猕猴飛鼯(ムサゝビ)

禽獣、則ち、鵰 鷹 晨風 鳩 山鶏 鶉 [ム/月|鳥] 猪 狼 鹿 兎 狐 猕猴 飛鼯ある也

[川]
神門川源飯石郡琴引山ヨリ來嶋。波多。須佐三所神門郡餘戸間土村神戸朝山古志(トウ)ヨリ西水海也則羊魚鮏麻須、伊具比

[川]
神門川、源は飯石郡琴引山より出て北へ流れ、即ち來嶋・波多・須佐の三所を経て神門郡餘戸の里の間土村に出て、即ち神戸朝山古志等の郷より西へ流れ、水海に入る也。
則ち羊魚、鮏、麻須、伊具比有り。

(立久恵峡 下流からの景観)
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/kando/tatikue1.jpg
(立久恵峡 上流からの景観)
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/kando/tatikue2.jpg

多岐小川源出郡家西南卅三里多岐山流入大海有甲魚

多岐の小川、源は郡家西南卅三里多岐山に出て、大海に流れ入る。(有甲魚)

・細川家本・日御碕本は白井本と同じ。
・倉野本3帖h40では「多岐山」に(多岐々山)と傍記し「流入」に(西ー)を傍記している。「甲魚」には(年魚)を傍記。
・出雲風土記抄3帖k40では本文で「多岐〃山北西流入大海(有年魚)」と倉野本の傍記を引いている。
・萬葉緯本は「多岐岐」としている他は出雲風土記抄に同じ。

[池]

宇加池三里六十歩來食池周一百卅歩有菜

・「周」を補う

宇加池、周り三里六十歩。來食池、周り一百三十歩(菜あり)。

笠柄池周一里六十歩有歩本ノ侭

・「有歩」は「有菜」に改める。(細川家本・日御碕本参照)

笠柄の池、周り一里六十歩。(菜あり)

本ノ侭池周一里

刾屋の池、周り一里

[水海]

水海神門水海郡家正西四里五十歩周三十五里七十四歩裡程カ

水海。神門水海、郡家の正に西、四里五十歩。周り三十五里七十四歩裡

則有鯔魚(シギョ)ナヨシ鎭仁須受枳鮒玄砺本ノ侭

則ち、鯔魚、鎭仁、須受枳、鮒、玄砺ある也

水海()大海之間山長廿二里二百三十四歩廣三里
此者意美定努命之国引マス時之綱総トアリ
俗人号薗松山
地之形骵壤石並
白沙(ノミ)松林茂四風(ヨモカゼ)時沙飛流松林令年埋半遺恐遂彼埋已與

即ち、水海と大海の間に山あり。長さ廿二里二百三十四歩廣さ三里。

此は意美定努命の国引きまします時の綱。(総とあり)。

俗人号薗松山地之形骵壤石並

今の俗人号して薗松山と云う。地の形骵、壤石並び無き也。

白沙(ノミ)松林茂四風(ヨモカゼ)時沙飛流松林令年埋半遺恐遂彼埋已與

白沙のみ上に積り、即ち松林茂り(シゲ)し。四風(ヨモカゼ)吹く時、(スナ)飛び流れ松林を(オオ)い埋む。齢年半ば埋れ(ノコ)る。恐るるに遂には彼れ埋るのみと。

端美久我林盡石見()出雲二国堺中嶋﨑之間或手須或淩礒

南の端美久我の林から石見出雲二国の堺中嶋﨑の間は盡く砂丘或いは険しき礒


(白井文庫k39)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-39.jpg
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淩礒凢小海所在雜物如楯縫郡説但旡紫菜
通道出雲郡堺出雲川邊七里卅五歩通飯石郡
堺堀坂山一十九里通同郡堺與曽紀村二十五里
一百七十四歩通石見国安農郡堺多伎々山三十
三里路賞
有別
通同安農郡川相郷卅六里住常引
不有但當有故時權置耳
前件伍郡並大海之南也
      郡司主張旡位刑部臣
      大領外従七位上勲業神門臣
      擬小領外大初位下勲業刑部臣
-----
      主政外従八位下勲業吉備部臣


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小海所在雜物如楯縫郡但旡紫菜

およそ北海所在の雜物は楯縫郡の説の如し。但し紫菜無し

通道出雲(シュツタウ)郡堺出雲川邊七里卅五歩

通道。出雲郡の堺出雲川の辺、七里三十五歩

飯石(イヒシノ)郡堺堀坂山一十九里

飯石の郡の堺、堀坂山を通り一十九里

(堀坂山 寶坂山)標高506(m)
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/kando/housakayama.jpg

同郡堺與曽紀村二十五里一百七十四歩

同郡の堺、與曽紀村を通り二十五里一百七十四歩

石見安農(アノ)郡堺多伎々山三十三里路賞有別ツ

石見の国安農郡の堺多伎々山を通り三十三里。(路賞別つ有)

安農郡川相卅六里

同じく安農郡川相の郷を通り、三十六里。

住常引不有但當有故時(カリニ)置耳

住、常に引くにあらず。但し故ある時にあたり仮に置くのみ。

前件伍郡並大海之南也

前の件の五郡、並に大海の南也

郡司主張旡位刑部臣(ヲサカベノヲシ)
大領外従七位上勲業神門臣(カムドノヲシ)
擬小領外大初位下勲業刑部臣(ヲサカベノヲシ)
主政外従八位下勲業吉備部臣

郡司主張無位刑部臣
大領外従七位上勲業神門臣
擬小領外大初位下勲業刑部臣
主政外従八位下勲業吉備部臣


神門郡に記された郡家からの方位と里程を整理しておく。距離の換算値は、里=534.6(m)、歩=1.782(m)、小数第一位を四捨五入

神門郡方位距離(m)
朝山郷東南5里56歩2773(m)
置郷正東4里2138(m)
鹽冶郷東北6里3208(m)
八野郷正北3里211歩1980(m)
高岸郷東北2里1069(m)
古志郷0(m)
滑狭郷南西8里4277(m)
多伎郷南西20里10692(m)
餘戸里南西36里19246(m)
狭結驛0(m)
多伎驛西南19里10157(m)
新造院(朝山郷中)正東2里60歩1176(m)
新造院(古志郷中)東南1里535(m)
田俣山正南19里10157(m)
長柄山東南19里10157(m)
吉栗山西南28里14969(m)
○○山東南5里56歩2773(m)
稲積山東南5里76歩2808(m)
陰山東南5里86歩2826(m)
稲山正東5里116歩2880(m)
桙山東南5里156歩2951(m)
冠山東南5里256歩3129(m)
多伎小川源西南33里17642(m)
神門水海正西4里50歩2228(m)
出雲郡堺7里35歩3805(m)
飯石郡堺(堀坂山)19里10157(m)
飯石郡堺(與曽紀村)25里174歩13675(m)
石見國安農堺(多伎々山)33里17642(m)
石見國安農堺(川相郷)36里19246(m)

「出雲国風土記考証」天平時代神門郡之図

https://fuushi.k-pj.info/jpg/map/izumofudoki_tp_kando.jpg


『出雲国風土記』飯石郡


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Last-modified: 2024-06-07 (金) 06:12:51