『出雲風土記抄』桑原本 / 『出雲風土記抄』桑原本2 / 『出雲風土記抄』桑原本3 / 『出雲風土記抄』桑原本4
『出雲風土記抄』4
k02 飯石郷
k16 仁多郷
k28 大原郷
k44 後記
k54 奥付
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鈔曰此郡家多根郷掛合村中今呼曰郡
之處
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鈔云焼村山郡家正東一里ハ者今ノ之六町
盖シ多祢郷掛谷村曰フ郡ト處ノ東方ノ山カ欤今見ノニ
自郡家南西去ルヲ十二三町ニ俗曰ク焼山ト有之
-----而モ記ノ
与 方路頗ル大牙耳
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- (国会図書館本4卷k7)
焼村山郡家正東一里鈔云一里者今之六町也盖多祢郷
掛谷村中曰郡之處東方山欤今自
都家南西十二三町俗呼有云焼山
而与記文与方路共担悟矣
鈔云石穴山ハ在来嶋郷赤穴村ニ此ノ山足
跨
備石雲ノ之城ニ乃シ鼎分三国ノ之封境ヲ山也五
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十八里ハ今ノ九里廿四町
幡咋山郡家正南五十二里有知
欲
鈔云幡咋山ハ盖シ上来嶋郷
小田 深山也五
十二里ハ今ノ九里也
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城恒野山ィ郡家正西南ィ一十二里有紫
草
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鈔云是レ今ノ之民谷村之俗呼テ曰宇山一十二
里ハ者今ノ十二町也
伊我山郡家正北二十九里二百歩
鈔云此山ハ三刀屋郷中今ノ伊加夜山是
也廿九里者今ノ四里卅三町廿間也
鈔云此山ハ盖シ須佐郷朝原村
名梅 谷ノ山ナラン也
如 為 此山ト者非郡家東北ニ乃シ正北之東字恐クハ
西字ノ三写欤廿里二百歩ハ者今ノ三里十五
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町廿間也
凢諸山野所在草木旱解升麻當帰独活大薊
黄精前胡暑預白朮女委細辛白頭公白恐赤
箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李榴赤桐椎楠
楊梅槻柘楡松柳榧蘗楮 禽獣則有鷹隼山雞
鳩雉熊狼猪鹿兎猕猴飛鼯
三刀屋川源出郡家正東一十五里多加山北
流入于斐伊川有年魚
鈔云三刀屋川ノ水源多加山ハ備雲二国之
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堺吉田村杉戸谷之俗呼テ伊都礼山ト是レ也
此水ノ下稍入于斐伊川ニ一十五里ハ者今ノ二
里有半也
須佐川源於郡家正南六十八里琴引山北流
經來嶋波多須佐等三郷入神門郡門立村此
所謂神門川上也有年
魚
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鈔云此川ハ飯石郷多久和川之水源佐久礼
山ハ在リ于六 重村ニ俗呼テ曰多伎坂山ト是也 経テ
神代 多久和粟谷ヲ合ウ三刀屋川ニ也正東一
十二里ハ者今ノ之二里
通道ハ通フ大原郡堺斐伊川辺ニ二十九里一百八十
歩通メ仁多郡堺温泉川辺ニ廿二里通メ神門郡ノ堺
与曽紀村卅八里六十歩通同郡堀坂山ニ卅一
里通メ備後国惠宗郡堺荒鹿坂ニ卅九里二百歩
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經常
有[案刂]通道通メ三以郡三坂ニ八十一里經常
有[案刂]波多
々經須佐經剰但志都美經以上三經常無[案刂]但
當有政時權置耳並通備後国之
鈔云大原郡堺斐伊川辺廿九里一百八
十歩トハ者今ノ四里卅三町之従下熊谷村ニ大原
郡斐伊川之渡口也又仁多郡堺温泉川
辺廿二里ハ者今ノ三里廿四町之従飯石郷川
手 村川ノ東面仁多郡三沢郷内漆 仁 ノ里湯
村等ノ辺之也神門郡与曽紀村卅八里六十
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歩者今ノ六里十三町之自郡家考レバ之盖シ四津
見村ニ當レリ矣同堀坂山卅一里ハ今ノ五里六町之
當須佐郷朝原村ト与ノ神門郡所原村之堺ニ
也備後国恵宗郡郡荒廉坂卅九里二百
歩ハ者今ノ六里廿一町廿間ニ多祢郷吉田村ト
与備後国篠原之堺也和名鈔ニハ以吉田村ニ
曰田井郷ト三以郡三坂八十一里ト者今ノ十
三里十八町之赤穴 ト与ノ備後之堺カ欤
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三處郷 今依前用
布勢郷 今依前用
三澤郷 今依前用
横田郷 今依前用
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所以号クル仁多ト者所ノ造天下大神大穴持命詔此
國ハ者非大非小川上ハ者木穂判加布川下ハ者阿
志波布這度之是ハ者尒多志枳小国有詔故ニ云フ
仁多ト
鈔云所謂ル所以號スル仁多ト者由テ之詔ニ有リト
尒多志
枳 小 国也今ニ見ニ有リ横田郷竹埼村ノ田疇之
中ニ言フ小 国之處於 餘神代玄古ノ舊名ヲ誠ニ異ナルカナ
哉
三處郷即属郡家大穴持命詔此地田好故吾
御地古經故云三處
鈔此郷ハ合テ于上下ノ三處村冨田
簾 村琴枕
高芝 久比須中湯野西湯野梅木大内原
加食乙多田塩原角木石原黒田 馬馳 矢
谷廣瀬湯野原神畑 郡 村等ノ廿三所ヲ以為
三處ノ郷ト也顧フニ古ノ郡家ハ盖シ乃シ當ニ
ヘシ郡村ナル欤又
於テ久比須村ノ北比太村ニ有比太社記ニハ以テ此ノ
之社ヲ入比ノ郡ニ而モ今ハ属能儀郡ニ牟且ツ又有中
湯村ニ古城ノ之跡其山ハ今ノ之亀嵩山之也
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鈔に云う。いわゆる仁多と號する所以は、尒多志枳小国有りと詔に之由て也。今に見るに横田郷竹埼村の田疇の中に小国と言う之處有り。神代玄古の旧名を餘誠に異なるかな。
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布勢郷郡家正西一十里古老傳云大神大巳
貴命之宿坐處故云布勢 神亀三年
改字布勢
鈔云此郷ハ上布勢下布勢前布勢
佐白 八
代 中村共ニ併セテ以為布勢ノ郷ト也按スルニ號スル大巳貴
命ヲ於葦原色許男ト之時自木国ノ大屋彦神ノ
之處ロ八十神ニ所シテ追 而来ルノ于此ノ国ニ之時相婚メ
乎須世理比賣ノ命ニ而使メ大巳貴ヲ寝臥 其ノ蛇
室ニ乃シ其處ハ盖シ可令ノ之布勢ノ郷ナル欤下布勢村ニ
亦有八重垣ノ之神祠矣昔シ素戔嗚尊[言商] 雲
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引ニ到ル于簸ノ川上ニ有リ其ノ處ニ老翁嫗中ニ坐 少女ヲ
而泣ク女甚美シ尊同ジテ何為カ哭スル對テ曰我ニ有八兒
其ノ七巳ニ為メニ蛇ノ呑 マル今此ノ一女又無由脆ルゝニ故ニ哭スト
尊ノ曰与ヘテ女ヲ於我ニ可解ク此ノ愁ヲ父母喜テ諾ス尊問
曰其ノ大蛇ハ何為形ヲ對テ云八首八尾可シ甚怖ル
也尊乃 設為八槽ヲ盛ル以ス醸酒ヲ装 テ稲田女 ヲ置ク
山ノ頂ニ其影沈ム八槽ノ中ニ大蛇喜ヒ見テ之以為 真
女ト便矯 八ノ頭ヲ飲八槽ノ醞酒ヲ釂 テ醉テ不寤 尊抜
十握ノ劔ヲ斬 彼ノ大蛇ヲ其地ハ乃 布勢ヨリ三四十町
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以東佐白ヨリ二十町以北大原郡下久野村ノ
堺八頭坂盖シ是也故ニ有リ此辺ニ于県ノ社宜 ナリ矣
雖如這筒事説 於旧記ヲ今ニ詳メ其ノ之方路ヲ以テ
呈似スル乎不ルノ出テ戸庭ヲ之人ニ耳
三澤郷ハ郡家西南廾五里大神大穴持命ノ御子
之
御子之哭
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則
御祖前ヲ立去坐テ而石川
尒[日之]其津ノ水
云三津ト神亀三年
改字三沢即有正倉
鈔ニ云此郷ハ併湯村
槻屋 北原尾原石村 比
羅田下鴨倉上鴨倉四日市原田鞍掛乙
社 大 吉 川内三成 堅田大谷高尾大馬木
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小馬木下阿井上阿井等ノ廿三所ヲ以為三
沢ノ郷ト和名鈔ニハ分上阿井下阿井大馬木小
馬木大谷高尾ノ六箇ヲ以テ別ニ割阿佐ノ郷ヲ也
横田郷郡家東南廾一里古老傳云郷中有田
四段許形聊長遂依田而故云横田即有正倉
以上諸郷所於鉄
堅尤堪造雜具
鈔云此郷翕乎竹埼代山中帳五反田馬
場角村横田布大曲下横田原田樋口稲
田久羅屋福頼八川等十五処以為横田
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郷也廾一里者今之三里十八町所謂四
段許田者盖可為今五反田欤此山中有
岩屋密寺聞行基創之不知尒否哉
三沢社
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也玉作社ハ者在于三処ノ郷中湯野村今ノ亀
嵩山ニ曰此記ニ于玉峯山ト是也此社又ハ曰玉
上ノ神社ト牟須我乃非社ハ者可シ在ル同郷菅火
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野山ニ俗呼此山ヲ於日光ト古城ノ之陣跡也今
廃替メ無シ此社牟湯野社ハ者同郷中湯野村
大森大明神是也比太社ハ者比太村一宮
大明神而モ今ハ入能儀郡中ニ也漆仁社ハ者三
沢ノ郷湯布弥大明神之書スルハ漆仁里或ハ出湯ノ川
辺ト者共ニ湯村ノ事也大原ノ社ハ者三沢ノ郷尾原
村岩坪大明神是也仰支斯里社ハ者布勢ノ
郷八代村加美伎里大明神也石壺社ハ者
三沢ノ郷御埼大明神是也
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鳥上山郡家東南卅五里 伯耆与出雲之
堺有塩味葛
鈔云此山詳之于先ニ卅五里ハ者今ノ五里三十
町之
室原山郡家東南卅六里備後与出雲二
国之堺有塩味葛
鈔云室原ハ者備後国油来村ト与ノ横田郷八
川村堺ノ山名也卅六里ハ者今ノ六里也
灰火山郡家東南三十里
鈔云灰火ハ者大谷村ハ与トノ小馬木中路ノ山名
也三十里者今ノ五里之也
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葛
鈔云遊託ハ者阿井郷大馬木村ノ山名也自
是備後國乙原村隣 レリ焉此山俗呼曰フ仙山ト
盖シ徃 ノ昔カシ王喬赤松カ之徒遊テ乎此峯ニ食松葉ヲ
服スルカ薜茘ヲ乎如 不然韜 光ヲ匿 ノ名ヲ之士託スル迹ヲ於
林峦 ニ乎遊託之号信ニ不ン以 乎嗟 千載無メ人
山阿寂寥タリ
御坂山郡家西南五十三里即此山有神御門
故云御坂 備後与出雲之
堺有塩味葛
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藤浪氏蔵本4帖k18で遊託山解説で
鈔云遊託阿井郷大馬木村山名自
是隣備後国乙原村此山俗呼曰仙
山蓋徃昔食松葉服薜茘之[比/車]遊乎
此峯学長生久視之[辶+巛十目]乎如不然韜
光匿名之士脱塵網[木夕不/大]籠而託迹於
林峦乎[立/思]夫遊託之祢仙山之號信
有以也嗟乎千載無人山阿寂寥矣
鈔に云う。遊託は阿井郷大馬木村の山名也。
是より備後國乙原村に隣れり。これ此山を俗に呼びて仙山という。
けだし徃昔、王喬赤松がこれ徒 にて此の峯に遊びて松葉を食し薜茘 を服するか。
もし然らずんば、光をつつみ名をかくす。これ士なり。あとを託する林、戀 うらん。遊託の号、信じるにゆえざらん。
あぁ千載人無しめ、山阿寂寥たり。
- 王喬・赤松…王子喬・赤松子。共に支那の仙人の名。
- 薜茘(ヘキレイ)…イタビカズラ。薬樹。松葉・薜茘は仙薬として久米仙人も同様に食していたという。
- 山阿…山の隈。山中の深い場所。
鈔云御坂山ハ上阿井ノ郷呑谷山也是則雲
列ト与備後国高野山之封境之近来此辺ニ椀
盂ノ木工居 焉故俗呼云木地山ト矣五十
三里ハ今ノ八里卅町也
少々
鈔云志努ハ阿井郷高尾村ノ崖坂ノ名也卅一
里ハ者今ノ五里六町也
玉峯山郡家東南一十里古老傳云山嶺在玉
上神故云玉峯
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鈔云此山見タリ于上ニ一十里ハ者今ノ一里廾四
町也
城紲野郡家正南一十里有紫草
少々
鈔云此野ハ者在リ于三処ノ郷加食村ト与横田
郷大曲リ之中路ニ也一十里ハ者同于上ニ
大内野郡家正南二里有紫草
少々
抄云此野ハ者三処ノ郷俗ニ曰大内原村ト是也
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室原川源出郡家東南卅五里鳥上山北流所
謂斐伊川上有年魚
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也伯耆国日野郡阿志毘縁山卅五里二
百五十歩ハ今五里卅二町盖シ横田郷代山
村ノ東辺ト伯州大菅村堺也
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大原郷
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所以号大原者郡家正西一十里一百一十六
歩田一十町許平原号曰大原徃古之時此處
有郡家今猶追旧号大原今有郡家處
号云斐伊村
鈔云大原郡家ハ者所謂ル斐伊村也一十里
一百一十六歩ハ今ノ一里廾五町五十六間之
今マ考ルニ自斐伊郡家正西今ノ一里廾五町有
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餘ハ者飯石郡三刀屋郷
殿河内 村當レリ矣今
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神原郷郡家正北九里古老傳曰所造天下大
神ノ之
人猶
鈔云是レ今ノ神原村ヲ而メ有神宝大明神ノ社正
北九里ハ今ノ十八町之旧事記ニ曰ク纏向 珠城 宮ノ
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御宇天皇勅物部十市根大連曰屢遣使
者於出雲国雖検校其国神財而無分明
奏言者汝親行于出雲国宜検校定則十
市根校定神財郷者蓋委積玄古以降神財
於此地故名郷而已矣
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屋代郷郡家正北一十里一百一十六歩所造
天下大神之
改字屋代即
有正倉
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鈔云此郷ハ并テ東西ノ
三代 以為屋代郷ト西三
代ハ者出雲大河ノ側神門郡上ノ郷ノ中和久和
村ノ東辺ノ洲渚ノ之地也正北一十里一百一
十六歩ハ者今ノ之一里廾五町五十間也
屋裏郷郡家東北一十里一百一十六歩古老傳曰所造天下大神令殖矢給所故云矢内神
亀
三年改
字屋裏
鈔云此郷ハ[合/羽]セテ乎宇治南加茂加茂中村
延
野 大竹猪尾岩倉新宮砂子原近松立原
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大﨑等ノ一十二所ヲ以為屋裏ノ郷ト也宇治三
社ハ者祀レリ所造天下大神ヲ記ニ宇乃知社トハ是也
東北一十里一百一十六歩ハ今ノ之一里廾
五町五十六間之也
佐世郷郡家正東九里二百歩古老傳曰須佐
能表命
世ノ木葉
鈔云郡家正東古ノ之九里二百歩ハ者今ノ之
一里廾一町廾間之則 下佐世村當レリ矣然レバ者
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併テ上佐世下佐世
大ヶ谷 飯田 [羊良]加 等五
所ヲ以為此郷ト也
阿用郷郡家東南一十三里八十歩古老傳曰
昔或人此ノ所ニ山田
食フ
時ニ竹ノ葉
龜
三年改
字阿用
鈔云此郷者ハ併於西阿用東阿用岡村川
合上久野下久野下阿用清田 大木 原金
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坂 此等一十一所ヲ以為阿用郷ト也東南一
十三里八十歩ハ者今ノ之二里七町廾間也
曰
雲ノ海潮ヲ押止
神亀三年
改字海潮即東北須我小川之湯渕村川中温
泉アリ不用
号同川上毛間林川中ニ温泉出不用
鈔云此郷者須我村引坂村薦沢山王寺
南村北村小川内村加利畑村塩田箱渕
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笹谷湯村飛石村以上十三所加之於新
五田中成木織部稲村大東市山田村等
八ヶ村都并以為海潮郷也~
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国会図書館本4帖k27で「可之於新庄~八ヶ村惣以為海潮郷也」
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來次郷郡家正南八里所造天下大神命詔八
十神者不シト
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鈔云此郷ハ者合テ西日登東日登寺領宇谷
来次市等ノ五所ヲ以為来次郷ト也~
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斐伊郷屬郡家樋速日子命坐マス此處故云樋神
亀
三年改
字斐伊
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鈔云此郷者則古之属郡家也自仁多
郡鳥上峯流出水又諸處小川等入合于
此水到斐伊郷遂為大河~
~
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~
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~
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~
矢口社 宇乃遲社 支須支社
布須社 御代社 宇乃遲社
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神原社 樋社 樋社
佐世社
加多社 以上一十三所
並在神祇官 赤秦社
等々呂吉社 矢代社 比和社
日原社 幡屋社 春殖社
舩林社 宮津日社 阿用社
置谷社 伊佐山社 須我社
川原社 除川社 屋代社
以上一十六所並
不在神祇官
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~
~支須支
社ハ者式ニ書来次ト来次郷宇治村室大明神
也~
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矢代社者坐屋代郷三代村高麻
山青幡佐草日古命神社也俗曰高塚大
明神是也~
~
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~
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鈔云菟原野ハ者斐伊川ノ滸一町
許 以東俗
曰曽羅山ト八幡宮所座ノ山是也
城名樋山郡家正北一里百歩所造天下大
神大穴持命為伐八十神ヲ造城ヲ故云城名樋ト也
鈔云城名樋山ハ者斐伊郷ノ古城山也東北ハ
咸 山之以南ハ小川以西ハ大河之此山ノ辺ヲ俗呼テ云
劔埼ト是也
佐草氏自語テ予ニ云本文ノ代字如 伐ノ字訛
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乎記ノ意為ニ伐シカ八十神ヲ造城ヲ如クニ是見テ可ナランカ然
高麻山郡家正北一十里二百歩高一百丈周
五里北方有樫椿等類東南西三方並野古
老傳云神須佐能表命御子
山上麻蒔租故云高麻即此山峯坐其御魂也
鈔云高麻山ハ在屋代郷三代村俗ニ曰高塚
山是也所謂青幡佐草彦ノ社ハ者在此山ノ上
頭一十里二百歩ハ者今ノ一里廾七町二十
間也
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枌
鈔云須我山ハ海潮郷神明ノ座山ニメ俗呼云保
宇奈塚山ト是也東北一十九里一百八十
歩ハ者今ノ三里九町也
鈔云舩岡山ハ在リ海潮郷北村ト与南村之間ニ
今ノ舩山是也一十六里ハ者今二里廾四町
也
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佐乃乎命御室
鈔云御室ハ在海潮郷
飛石 村ニ山ノ名也一十
九里一百八十歩ハ者今ノ三里九町也
~
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~
海潮ハ川源出意宇与大原二郡界入矣村山北
自海潮西流有年魚
少々
鈔云海潮川ノ水上ハ者来意宇郡ノ堺小川内
村刈畑村ヨリ於北村南村ノ間ニ合メ于須我川ニ
西ニ流也
須我小川源出須我山西流有年魚
少〃
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鈔云此川ノ水源者出意宇郡熊野村ノ界ヒ高
鍔山忌部村ノ界ニ佐井谷兩所ヨリ合流〆来須我
村於南村ノ側ニ又合潮川ニ西ニ赴ムク矣
佐世川小川出阿用山北流入海潮川無
魚
鈔云佐世小川ハ出西阿用久野谷亀谷ヨリ経
大ヶ 谷佐世羪加立原ノ敷所ヲ合須我川二也
幡屋小川源出郡家東北幡箭山南流旡
魚水曰氷合西流入出雲大河
鈔此川ノ小水源三ツ一ハ出遠所村ヨリ一ハ者出
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山田村畑谷ヨリ一ハ者出幡屋村丸倉山ヨリ此三
水合仁和寺村松ノ谷側ニ至大原ノ下分米原
山ノ辺ニ合ス須我川ニ為す加茂川ト西流テ経テ屋裏神
原等ノ郷ヲ入出雲大河也
屋代小川出郡家正東正除田野西流入斐伊
大河無魚
鈔云此川ハ過キ三代村高塚山ノ之辺ヲ自志ヶ
谷北ニ流西ニ折〆入斐伊大河ニ也
通道通意宇郡林垣坂廾三里八十五歩
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通仁多郡堺夆谷村廾三里一百八十二歩
通飯石郡堺斐伊河辺五十七歩
通出雲郡多義村一十一里二百廾歩
前件参郡并山野之中也
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又西二十一里至國廳意宇郡家北十家衝即
分為二道ト一ハ正西道
一ハ枉北ニ道 枉レル北ニ道去リ北ニ四里二百六
十歩至郡ノ北ノ堺朝酌渡ニ渡八十歩
渡舩一
鈔云西二十一里ハ者今ノ三里十八町也国
廳ハ即 意宇郡出雲 村十字街也本文家衝
字ハ恐クハ字街カ欤自此二道別ス矣去リ北ニ四里二
百六十歩者今二十八町廿六間則 自間
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[氵写] 福冨村ノ渡頭也
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東南道自郡家去リ二十三里一百八十二歩ニメ至
郡東南ノ堺ニ又東南[一]十六里二百卌六歩ニメ至仁
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多郡比比理村ニ分テ[為]二道ト其ノ一道ハ東方卅八里
一百廾一歩至仁多郡家一道ハ南方ノ卅八里一
百二十一歩備後国堺至遊託山
鈔云東南道卄三里一百八十ニ歩者今
三里卅三町ニ間郡東南堺者仁多郡上
阿井与飯石郡吉田村之堺也又東南一
十六里二百卅六歩者今二里卄七町五
十六間 仁多郡比々理村者同郡今上
阿井村也是即東南道畢又分為二道也
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其一道東方卅八里一百卄一歩者今六
里十四町許即仁多郡家三處郷郡村也
其一道南方卅八里一百卄一歩者今六
里十四町即備後堺遊託山也此山見于
先
正西道自玉作街西方九里至来行橋長八丈
廣一丈三尺
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又西三十三里三十四歩至出雲郡家自郡家
西二里六歩至郡西堺出雲川渡五十歩
渡舩一 又西
七里廾五歩至神門郡家即有川渡二十五歩
渡舩一
自郡家西四十三里至国西堺通石見国
安農郡 惣者
国程一百五十四里二百十四歩
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自東堺去西二十里一百八十歩至野城駅又
西二十一里至黒田駅即分為二道一正西道
度[阝+正ヨ心]岐国
道
也[阝+正ヨ心]岐道去北三十四里一百十歩至[阝+正ヨ心]岐渡
千酌驛
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土椋㷬神門郡家東南一十四里烽或東南四
里多夫志烽出雲郡家北一十三里卌歩布目
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鈔云此處有多闕文誤字欤文理甚不接
續故強難解之然記大抵路程以俟後人
之是正而巳意宇軍囲者即出雲村而属
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「完」