『出雲国風土記』
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』意宇郡『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』嶋根郡『出雲国風土記』秋鹿郡
『出雲国風土記』楯縫郡『出雲国風土記』出雲郡
『出雲国風土記』神門郡『出雲国風土記』飯石郡
『出雲国風土記』仁多郡『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』後記

『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介


『出雲国風土記』飯石郡(いいしのこおり)

(白井文庫k39)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-39.jpg
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飯石郡
合郷湊  里十九
 熊谷郷      今依前用
 三屋郷      今字三刀屋
 飯石郷      本字伊鼻郷
 多禰郷      本字種
 須伏郷下ニ須佐トアリ  今依前用以上位郷別里参
 波多郷      今依前用
 來嶋郷      今字支自眞以上貳郷別里
──────────

飯石郡

(ゴウ)サト(サウ)ミナト  里十九

合わせて郷七。里十九

熊谷郷 今依前用

熊谷郷 今も前に依り用いる

三屋郷 今字三刀屋(ミトヤ)

三屋郷 今の字は三刀屋

飯石郷 本字伊鼻(イビ)

飯石郷 本字は伊鼻郷(イビゴウ)

多禰郷 本字(タネ)

多禰郷 本字は(タネ)

須伏郷下ニ須佐トアリ 今依前用以上位郷別里参

須伏郷(下に須佐とあり) 今も前に依り用いる。以上の五郷、別に里参。

波多郷 今依前用

波多郷 今も前に依り用いる

來嶋(キジマ)郷 今字支自眞(キジマ)以上貳郷別里

來嶋郷、今の字は支自眞。以上二郷、別に里(二)


(白井文庫k40)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-40.jpg
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所以号飯石者飯石郷中伊毘志都幣命唑故云飯石
之 熊谷郷郡家東北廿六里古老傳云久志伊奈
大美等與麻奴良比売命任身及将産持求所生
之尒時到來此處詔甚久摩久摩志枳谷在故云
熊谷也 三屋郷郡家東北廿四里所造天下
大神之御門即在此所故云三刀矢神亀三年
改字三屋

即有正倉 飯石郡家正東一十二里伊毘志
都幣命天降唑故云伊鼻志神亀三年
改字飯石

多禰郷屬郡家所造天下大神大穴持命與。須
久奈比古奈命巡行天下時稻種随比處故云種
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神亀三年
改字多称
須佐郷郡家正西一十九里神須佐能表
命詔此国者雖小国之處在故我御名者非着本石
詔即己命之御魂鎮置給之然即大須佐田小須佐田
定給故云須佐郷有正倉 波多郷郡家西南一十
九里波多津美命天降生家在故云波多
來嶋郷郡家正南卅二里伎自摩都美命生故
云支自眞神亀三年
改字來嶋
即有正倉
[社]
須佐社     阿邊社  御門屋社   多位社
飯石社以上五所並
在神祇官
 狭長社  飯石社田中社  多加社
毛利社     兎比社  目倉社    井草社
──────────

所以ヘハ飯石(イヒシ)者飯石郷中伊毘志都幣(イヒシトベノ)命唑マス故云飯石(イヒシ)

飯石と号する所以は飯石の郷中に伊毘志都幣命唑す。故に之を飯石と云う。

熊谷郷郡家東北廿六里古老傳云久志伊奈大美等與麻奴良比売(ヒコノ)任身(ハラミテ)
スルニ
ント尒時(ソノトキ)到來(マフキテ)此處(コゝニ)久摩久摩志枳谷(クマクマシキヤ)故云熊谷(クマガヤ)

熊谷郷、郡家の東北廿六里。古老伝へて云う。久志伊奈大美等與麻奴良比売命はらみて、将に産まんとするに及び、もちて生む所を求む。その時此処に到り来て、甚だ久摩久摩しき谷と詔うあり。故に熊谷と云うなり。

三屋(ミトヤノ)ミツヤ郷郡家東北廿四里所造(ツクリマス)天下大神之御門(ミト)此所(コゝニ)故云三刀矢(ミトヤ)神亀三年
改字三屋
正倉

三屋郷、郡家の東北廿四里。所造天下大神の御門、即ち此所にあり。故に三刀矢と云う。(神亀三年字を三屋と改める)即ち正倉あり。

飯石(イヒシ)郡家正東一十二里伊毘志都幣(イヒシトベノ)天降(アマクダリ)マス故云伊鼻志(イヒシ)神亀三年
改字飯石

飯石(郷)、郡家の正東一十二里。伊毘志都幣命天降ります、故に伊鼻志という。(神亀三年字を飯石と改める)

多禰(タ子ノ)郷屬本ノ侭郡家所造天下大神大穴持()須久奈比古奈(スクナヒコナ)命巡リ下フ天下稻種(イナダ子)随比處故云(タ子) 神亀三年
多称

多禰の郷、郡家に属す。所造天下大神大穴持の命と須久奈比古奈命天下を巡り行きし時、稲種をここに(ノコ)す故に種という。(神亀三年字を多称に改む)

須佐郷郡家正西一十九里。神須佐能表命(カミスサノヲノミコト)此国者雖小国之處リト(カレ)我御名者(アガミナハ)ズト(名カ)命之御魂鎮置(ミタマジヅメオキ)(コゝ)然即大須佐田(ヲフスサダ)小須佐田(オスサダ)故云須佐有正倉

・「本石」は「木石」に改める。

須佐の郷、郡家の正西一十九里。神須佐能表命詔う。此国は小国の処に在りと雖も、故、我が御名は木石に着くに非ずと詔う。即ち己れ命の御魂ここに鎮め置き給う。然に即ち大須佐田小須佐田を定め給う。故に須佐郷という。正倉有り。

波多郷郡家西南一十九里波多津美(ハタツミノ)命天降生唑カ家在故云波多

波多の郷、郡家の西南一十九里。波多津美命天降る生家在り。故に波多という。

來嶋(キシマノ)郷郡家正南卅二里伎自摩都美(キシマツミノ)(アレマス)故云支自眞(キシマト)神亀三年
改ム字ヲ來嶋ト
即有正倉

來嶋の郷、郡家の正南三十二里。伎自摩都美命生れます。故に支自眞という(神亀三年字を來嶋に改む)。正倉有り。

[社]

須佐社  阿邊社  御門屋(ミトヤ)社  多位社  飯石以上五所並在神祇官

須佐ノ社  阿邊ノ社  御門屋ノ社  多位社  飯石ノ社 (以上五所並に神祇官在り)

狭長(サナガ)社  飯石田中社  多加
毛利社  兎比(トヒ)社  月倉社  井草社


(白井文庫k41)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-41.jpg
──────────
深野社  託和社  上社  葺鹿社 △此所
可有

穴見社  神代社  △此印可合栗谷社  志志乃村社以上十六所
不在神祇官

[山]
焼村山郡家正東一里。穴厚山郡家正南一里。笑村山
郡家正西一里。廣瀬山郡家正北一里。琴引山郡家
正南卅五里二百歩高三百丈周一十一里古老傳云
此山峯有窟裏所造天下大神之御琴長七尺
廣三尺厚一尺五寸又在石神高二丈周四丈尺
故云琴引山

石穴山郡家正南五十八里髙五十丈。咋山郡
家正南五十二里有知
野見不見石以三野並郡家
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南西四十里有紫
佐比賣山郡家正西五十一里
一百四十歩石見與出
雲二国堺
 本書此所
何モ不見
正西四十一里有杉
城垣野、
郡家正南一十二里有菜
伊我山郡家正北一十九里二
百歩。奈倍山郡家東北廿里二百歩凢謂山野所在
草木萆薢外麻當歸獨活大葪黄精前胡藷蕷
自木女荽細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮
杜仲石斛藤李楊赤桐椎楠楊梅柘楡松柳
蘗楮禽獣則有鷹隼山鶏鳩雉熊猪鹿猿兎狐飛鼯
[川]
三屋川源出郡家正東一十五里多加山北流入于
斐伊川有年
須佐川源於郡家正南六十八里琴
──────────

深野社  託和社  上社  葺鹿社 △此所
可有

穴見社  神代社  △此印可合栗谷社  志志乃村以上十六所
不在神祇官

深野ノ社  託和ノ社  上ノ社  葺鹿ノ社 △此所有るべき
穴見ノ社  神代ノ社  △此印を合すべし栗谷ノ社  志志乃村ノ社 (以上十六所は神祇官在らず)

深野社  託和社  上社  葺鹿社  栗谷社  穴見社  神代社  志志乃村以上十六所不在神祇官

深野ノ社  託和ノ社  上ノ社  葺鹿ノ社  栗谷ノ社  穴見ノ社  神代ノ社  志志乃村ノ社 (以上十六所は神祇官在らず)

[山]

焼村山郡家正東一里。穴厚山郡家正南一里。笑村山郡家正西一里。廣瀬山郡家正北一里。

焼村山、郡家の正東一里。穴厚山、郡家の正南一里。笑村山、郡家の正西一里。廣瀬山、郡家の正北一里。

琴引山郡家正南卅五里二百歩高三百丈周一十一里古老傳此山(イワヤ)所造天下大神之御琴長七尺廣三尺厚一尺五寸又在石神(イワガミ)二丈周四丈尺本ノ侭故云琴引山有鹽

琴引山、郡家の正南三十五里二百歩、高さ三百丈、周り一十一里。
古老伝に云へり。此山の峯に窟有り。裏に所造天下大神の御琴、長さ七尺、廣さ三尺、厚さ一尺五寸。
又石神在り。高さ二丈周り四丈尺。故に琴引山と云う。(塩有り)

石穴山郡家正南五十八里髙五十丈。

石穴山。郡家の正南五十八里、髙さ五十丈。

咋山郡家正南五十二里有知欲

咋山。郡家の正南五十二里(有知欲)

野見不見石以三野並郡家南西四十里有紫菜

野見・不見・石以の三野は郡家の南西四十里に並ぶ。(紫菜有り)

佐比賣(サヒメ)山郡家正西五十一里一百四十歩石見()出雲二国

佐比賣山、郡家の正西五十一里一百四十歩。(石見と出雲二国の堺)

本書此所何モ不見正西四十一里有杉松

(本書此所に何も見えず)正西四十一里。(杉松有り)

○諸本より「堀坂山 郡家」を補う
・細川家本k52「掘[亻反]山郡家正西卌一里有[扌攵]松
・日御碕本k52「堀坂山郡家正西卌一里有枚松
・倉野本k53 「掘阪山郡家正西卌一里有枚松」[卌]に[卅]を傍記、[枚]に[杉]を傍記。
・萬葉緯本k69「堀坂山郡家正西卌一里有杉松

堀坂山郡家正西四十一里有杉松

堀坂山、郡家の正西四十一里。(杉松有り)

城垣野、郡家正南一十二里有菜藻

城垣野、郡家正南一十二里(菜藻有り)

伊我山郡家正北一十九里二百歩

伊我山、郡家の正北一十九里二百歩

奈倍山郡家東北廿里二百歩

奈倍山、郡家の東北廿里二百歩

凢謂山野所在草木萆薢外麻當歸獨活大葪黄精前胡藷蕷自木女荽細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李楊赤桐椎楠楊梅柘楡松柳蘗楮
禽獣則有鷹隼山鶏鳩雉熊猪鹿猿兎狐飛鼯

・細川家本k52k53で「凢諸山野所在草木早解升麻當皈独治大薊黄精前胡暑預白朮女委細辛白頭公白恐赤前桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李榲赤桐椎楠楊梅槻柘楡松榧蘗楮 禽獣則有鷹[岳]鶏鳩雉熊狼猪廉菟[犭旀]飛鼯」
・日御碕本k52k53で「凢諸山野所有草木旱解升麻當皈独活大薊黄精前胡暑預白木女委細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李榲赤桐椎楠楊梅槻柘楡松柘蘗楮 禽獣則有鷹隼鶏鳩雉熊狼猪廉菟[犭旀]飛鼯」
・倉野本k53k54で、「凢諸山野所有(在)草木旱解升麻當皈独活大[荕](薊)黄精前胡暑預白朮女委細辛百白頭公白恐赤前(箭)桔梗葛根[秦]皮杜仲石斛藤李榲(榴)赤桐椎楠楊梅[木矢見]柘楡松[木非]蘗楮 禽獣則有鷹[岳](隼山)鶏鳩雉熊狼猪廉菟[扌旀](猴)飛鼯」
・萬葉緯本k70k71で「凢諸山野所在草木萆薢升麻當歸獨活大薊黄精前胡暑蕷白朮女委細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李椙(榴)赤桐椎楠楊梅槻柘楡松柳榧蘗楮 禽獣則有鷹隼山雞鳩雉熊狼猪鹿兎獼猴飛鼯」
・出雲風土記抄4帖k12本文で「凢諸山野所在草木旱解升麻當帰独活大薊黄精前胡暑預白朮女委細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李榴赤桐椎楠楊梅槻柘楡松柳榧蘗楮 禽獣則有鷹隼山雞鳩雉熊狼猪鹿兎猕猴飛鼯」

この部分異同が多い為、古写本比較し以下のように修正する。

凢諸山野所在草木萆薢升麻當歸獨活大葪黄精前胡藷蕷白朮女荽細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮杜仲石斛藤李榲赤桐椎楠楊梅柘楡松柳蘗楮
禽獣則有鷹隼山鶏鳩雉熊猪鹿猿兎狐飛鼯

およそ諸山野に所在の草木は、萆薢、升麻、當歸、獨活、大葪、黄精、前胡、藷蕷、白朮、女荽、細辛、白頭公、白恐、赤箭、桔梗、葛根、秦皮、杜仲、石斛、藤、李、榲、赤桐、椎、楠、楊梅、柘、楡、松、柳、蘗、楮

禽獣、すなわち鷹、隼、山鶏、鳩、雉、熊、猪、鹿、猿、兎、狐、飛鼯あり。

既述分:『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介

[川]

三屋川源出郡家正東一十五里多加山北流入于斐伊川有年魚

三屋川、源は郡家の正東一十五里多加山に出て、北に流れ斐伊川に入る。(年魚あり)

須佐川源於郡家正南六十八里琴引山綱乘嶋波々多須仇等(スキトウノ)三郷神門(カンド)門ト在立村此所謂神門(カンドノ)河上有年魚

・細川家本k53「須佐川源於郡家正南六十八里琴引山比流経乗嶋波〃多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門河上有年魚
・日御碕本k53「須佐川源於郡家正南六十八里琴引山北流經乗嶋波〃多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門河上有年魚
・倉野本k54 「須佐川源於郡家正南六十八里琴引山北流經乗嶋波-多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門河上有年魚
・萬葉緯本k70「須佐川源出郡家正南六十八里琴引山北流經來島波多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門川河上也有年魚
・出雲風土記抄4帖k12「須佐川源於郡家正南六十八里琴引山北流經來嶋波多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門川上也有年魚

・諸本を比較し、次の点を改める。
綱乘→経來、須仇→須佐、間立村→門立村

須佐川源於郡家正南六十八里琴引山北流経來嶋波多須佐等三郷入神門郡門立村此所謂神門河上有年魚

須佐川、源は郡家の正南六十八里に於て、琴引山の北を流る。來嶋・波々多・須佐等の三郷を経て神門郡門立村に入る。此所を神門の河上と謂う。(年魚あり)


(白井文庫k42)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-42.jpg
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引山北流綱乘嶋波々多須仇等三郷入神門
郡間立村此所謂神門河上有年
盤鉏川源於郡
家西南七十里箭山北流入須佐川有年
波多小川源
於郡家西南二十四里志許斐山北流入須佐川有鉄
飯石小川源於郡家正東一十二里佐久礼山北流入三屋
有鉄通道通大原郡堺斐伊川邊二十九里壹
百八十歩通仁多郡堺国堺泉川邊廿二里通神門
郡堺與曽紀村廿八里六十歩通同郡掘故山廿
一里通備後国惠宗郡今惠
蘓郡
堺荒鹿坂卅九里二百歩
經常
有剰
通道通三以郡三坂八十一里經常
有剰
波多々經佐
甫曰備後国十四郡 安那 深津 神石 奴可 沼隈 品治 葦田 甲奴 三上 惠蘓 世羅 三谿 三次 御調
-----
經剰但志都志都美經以上三經常元剰但當有
政時權置耳並通備後国之
       郡司主張旡位置首
       大領外正八位下勲業大弘造
       少領外従八位出雲臣

──────────

盤鉏川(バンシヨガワ)出カ郡家西南七十里箭山ヨリ須佐川有年魚

盤鉏川、源は郡家西南七十里箭山より於て、北へ流れ須佐川に入る(年魚あり)

波多小川源於ヨリ郡家西南二十四里志許斐山北須佐川有鉄

波多小川、源は郡家西南二十四里志許斐山より於て、北へ流れ須佐川に入る。(鉄あり)

飯石(イヒシ)小川源於ヨリ郡家正東一十二里佐久礼山北三屋(ミトヤ)ミツヤ有鉄

飯石小川、源は郡家正東一十二里佐久礼山より北へ流れ三屋川に入る。鉄あり。

通道 通大原郡堺斐伊川邊二十九里壹百八十歩
仁多郡堺国堺本ノ侭泉川邊廿二里
神門(カンド)與曽紀(ヨソキ)廿八里六十歩
郡掘故山廿一里
備後惠宗(エソ)惠蘓郡堺荒鹿坂卅九里二百歩經常有剰本ノ侭

通道。大原の郡の堺には、斐伊川邊を通り二十九里壹百八十歩。

・出雲風土記抄4帖k14解説で「従下熊谷村大原郡斐伊川之渡口也」
今の簸上橋と熊谷大椅の間辺りに斐伊川の渡船場があったと思われる。飯石郡家からこの渡船場までの道であろう。

仁多郡の堺には、国堺もとの侭泉川邊を通り廿二里。

・細川家本k53で「通仁多郡堺温堺泉河辺廿二里」
・日御碕本k53で「通仁多郡堺温堺泉川辺廿二里」
・倉野本k54で「通仁多郡堺温堺泉川辺廿二里」
・紅葉山本k44で「通仁多郡堺温堺泉川邊廿二里」
・出雲風土記抄4帖k14本文で「通仁多郡堺温泉川辺ニ廿二里」
・萬葉緯本NDLk72で「通仁多郡堺温泉川邊廿二里」

神門郡の堺には、與曽紀村を通り廿八里六十歩。

・日御碕本k53では「神門郡の堺と曽紀村を通じて三十八里六十歩」と読むようにしており、「與(与)」を助詞「と」としている。
・紅葉山本k44でも「與」を助詞としている。

同じ郡には掘故山を通り廿一里。

備後の国惠宗郡(今の惠蘓郡か)堺には荒鹿坂を通り卅九里二百歩。(經常に剰あり。もとの侭

・細川家本k53「通備後国惠宗郡堺荒廉坂卅九里二百歩(経常有剰)」
・日御碕本k53「通備後国恵宗郡堺荒鹿坂卅九里二百歩(經常有到)」
・倉野本k54「通備後国惠宗郡堺荒廉坂卅九里二百歩(經常有到[案+刂])」
・出雲風土記抄4帖k14本文で「通備後国惠宗郡堺荒鹿坂卅九里二百歩(經常有[案+刂])」
・萬葉緯本NDLk72「通備後國惠宗郡堺荒鹿坂卅九里二百經路欤常有剗」

・「出雲風土記抄」4帖k14本文で「備後国惠宗郡堺荒鹿坂卅九里二百歩(經常有[案+刂)」
k15解説で「備後国恵宗郡郡荒廉坂卅九里二百歩者今六里廿一町廿間多祢郷吉田村与備後国篠原之堺也和名鈔以吉田村曰田井郷」
とあり、(吉田村から篠原を結ぶ通路であった)と記しており、これは、吉田-梅木-杉戸-毛無山西麓-和南原川沿い-篠原を通る道を指す。
・「出雲国風土記考証」p307解説で後藤は「風土記鈔には「吉田村と備後國篠原との堺なり」とあれども、藝藩通志に「新市の西、上里原(あがりはら)の赤之谷の山を荒鹿山と曰へり」とあるを以つて見れば、荒鹿坂は篠原へ越すのではなく、頓原(とんばら)から草峠(くさんだは)を通りて、備後國の高野山(たかのやま)上里原(あがりはら)へ越す路を云つたものであらう。」と記し、出雲風土記抄の吉田-篠原の道を否定している。
加藤の「修訂出雲国風土記参究」p403参究では後藤の上記草峠説をほぼ丸写ししているが出雲国風土記考証の引用と云うことは記していない。
荻原の「講談社学術文庫出雲国風土記全訳注」でも同じく根拠を記さず草峠説を採っている。
後藤の草峠説の根拠は藝藩通志であるが、上に挙げたように藝藩通志掲載の地図に草峠を通る道はない。
・「藝藩通志」巻百三十四備後國惠宗郡二彊域形勢(裳華房版1915年刊p2174)において、「飯石郡の部に、通備後國惠宗郡荒鹿(アラカ)山、卅九里二百歩と見えたり、~荒鹿(あらか)山は今上里原村の内に、(あか)の谷といへるあり、或は、荒鹿の傳稱にてもあるべきか、今飯石(いひし)頓原(とんはら)よりの往來路、ひらけてあり、此外荒鹿といふ路聞えず、但今の和南原越にあたれるや、知らず~」とある。
後藤はこの部分を参照したのであろう。が、まず以て藝藩通志における出雲風土記の引用が間違っている。出雲国風土記では「荒鹿坂」であり「荒鹿山」ではない。古写本に「山」と記したものはない。それは置くとして、藝藩通志では上里原村に「赤の谷」というのがあり、これが荒鹿山ではないかと想像しているのであり、荒鹿山であると記しているわけではない。
(加藤や荻原の記述については論外)

通道通三以郡三坂八十一里經常有剰

通道。三以郡へは三坂を通り八十一里(經常に剰あり)。

・細川家本k54「通道通三以郡堺三坂八十一里(経常有剰)」
・日御碕本k54「通道通三以郡三坂八十一里(經常有到)」
・倉野本k55「通道通三以郡堺三坂八十一里經常
有到
[案刂]
・出雲風土記抄4帖k14本文「通道通三以郡三坂八十一里(經常有[案刂])」
 k15解説で「三以郡三坂八十一里者今十三里十八町之赤穴与備後之堺欤」
・萬葉緯本NDLk72「通三以郡三坂八十一里(經路欤常有剗)」
 頭注に「[案刂] 俓常有郵馬傳日置歩傳曰郵 郵ハヒトヤトリトヨムヘキ欤 樋口氏」
・萬葉緯本k71「通道(衍文乎)三以(ミヨシ)郡三坂八十一里經常路欤上ニ有[案刂]剗欤
 頭注で「[案刂] 径常有郵馬傳日置歩傳曰郵 郵ハヒトヤトリトヨムヘキ欤 樋口氏」

改めて記すと次のようになる。
通道通三次郡三坂八十一里径常有郵
通道。三次郡へは三坂を通り八十一里(径常に郵あり)。

波多々經佐經剰但志都志都美本ノ侭經以上三經常元剰但當有權置耳(カリニオクノミ)並通備後国之

・細川家本k54「波多〃経佐経剰但志都志都美経以上三経常旡剰但當有政時椎置耳並通備後国之」
・日御碕本k54「波多〃經佐經到但志都志都美經以上三經常旡到但當有政時權置耳(カリニヲクノミ)備後国之」
・倉野本k55「波多〃径佐径[正/木+刂][案刂]但志都志都此二字一本無美径以上三径常旡[案刂]但當有政時椎耳並通備後国之」
・出雲風土記抄4帖k14本文「波多々經須佐經剰但志都美經以上三經常無[案刂]但當有政時權置耳並通備後国之」
・萬葉緯本NDLk72「波多多經祢乎須佐經路欤常[案刂]剗欤但志志都美經以上經路欤常無[案刂]但當有政時権置耳(カリニオクノミ)並通備後國之」

波多多径須佐径志都美径以上三径常旡郵 但當有政時権置耳 並通備後國之

波多多の径、須佐の径、志都美の径、以上三径は常には郵無し。但し政ある時にあたりて、かりに置くのみ。(波多多、須佐、志都美より)備後国に通うも同じ。

(甫曰備後国十四郡 安那(アンナ) 深津(フカツ) 神石(カメシ) 奴可(ヌカ) 沼隈(ヌマクマ) 品治(ホンヂ) 葦田(アシダ) 甲奴(カフノ) 三上(ミカミ) 惠蘓(エソ) 世羅(セラ) 三谿(ミタニ) 三次(ミヨシ) 御調(ミツキ)

(甫曰く、備後国十四郡は 安那 深津 神石 奴可 沼隈 品治 葦田 甲奴 三上 惠蘓 世羅 三谿 三次 御調)

郡司主張旡位置首
大領外正八位下勲業大弘造
少領外従八位出雲臣

郡司主張無位 置首
大領外正八位下勲業 大弘造
少領外従八位 出雲臣


『出雲国風土記』仁多郡


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Last-modified: 2024-06-07 (金) 06:13:43