神社a

◎「津野神社」

島根県出雲市多伎町口田儀866 地理院地図

主祭神:大名持命

斉衡年間(854~857)三島石古というものが津の国より大名持命を勧請し、田儀川の現社地対岸の神代屋と呼ばれる場所に祠を建て「津の神の大明神」と称えたという。
延宝年間(1673~1681)大洪水により社殿流出。現在地に遷宮再興したという。
現社殿棟札には貞享4年(1687)の棟札があるという。

・「出雲国風土記抄」3帖k45解説で「鈔云美久我社者多岐郷則口田儀村津嶋大明神是也延喜式書弥久加神社」
この津嶋大明神が津野神社に該当する。

・「雲陽誌」神戸郡1k74で「津野名神 素戔嗚尊をまつる」


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(津野神社)
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(津野神社)
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・社前の田儀川の様子


  • 三島石古が勧請したという「津の国の大名持命」について、津の国を摂津国とする説があるようであるが、摂津国に該当しそうな神社がない。
    これは愛知県津島市の「津島神社」かと思われる。主祭神「建速須佐之男命」、配神「大穴牟遅命」。
    滋賀県高島市角川の「津野神社」の可能性もないことはないが、祭神が「大国主命」で、「素戔嗚尊」を祀っていない。
    ただ、江戸期の洪水による再建の際角川の「津野神社」から勧請し直し、それ故に社名を「津島神社」から「津野神社」に変更したものかもしれない。
    津島市の「津島神社」は延喜式に記載がないが、社伝では欽明元年創建と伝える。
    岸埼が「出雲風土記抄」を完成させたのが1683年頃、社殿流出前後であり、風土記抄の記述は流出前のことだと考えられる。
    田儀川は度々洪水の起きた川であり、三島石古が勧請したのも、古の社殿が流出したためであったものと考えられる。
    それが『出雲国風土記』神門郡に載る「美久我社(義久我社)」であったのであろう。
  • 後藤は「出雲国風土記考証」p262で簡単に「美久我社」を西浜村大池の「美久我社」すなわち現在の「彌久賀神社」とし、それが定説となってしまっているが訝しい。
    別記するが現「彌久賀神社」は祭神も社名も頻繁に変わっており縁起も定かではなく、元は「若一王子権現社」つまり紀州熊野信仰の勧請社であって、紀州熊野信仰が全国に広まったのは平安後期以後であり『出雲国風土記』に載る神社ではない。
  • 『延喜式』(国宝)巻10出雲國神戸郡で「弥久賀神社」と記される。
    又、「延喜式神名帳註」k172で「弥久賀神社」、祭神に「水分神」と記している。
    田儀川は大きな川ではないが、支流の多い川であり流域は出雲と石見の両国に及ぶ。
    それ故、水分神を祭っていたのであろう。
    (みくが)の意味は定かではないが水分(みくまり・みくばり)の転じた呼び名かと思われる。
    水分神は言うまでもなく水の神であるが、度重なる洪水により、水神でもある八俣の大蛇を退治した素戔嗚尊、又斐伊川・神戸川の治水に尽力した大国主命を祀る「津島神社」を勧請したのであろう。

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Last-modified: 2023-06-16 (金) 02:48:32 (318d)