文献

『島根県口碑伝説集』

・国立国会図書館デジタルコレクション/『島根県口碑伝説集』

k104


御客社の傳説
簸川郡出西村大字求院、八幡宮屋己の方約一丁の處に、小さな社がある。
今は村社内に社神を移して、跡荒神として祭られてある。
古は客の森、又はお客神社と稱し、伊弉冊命を祭神とし、社域も廣く、樹木生茂り、鳥獣多く住んで居た。 垂仁天皇の御代、勅諚にて此處で鵠を捕つた。
之に依って鵠村と云ひ、境内西を流れる川を鳥越川と云つた。
鵠が此の川を越ゆるに依つて、名づけたものと察せられる。
今も此川名を存して居る。
昔は此邊は入江であって、垂仁天皇の皇子誉津別皇子、曙立皇子 兎上皇子と共に大社御参拝の御歸途、此處で出雲国造の遠祖伎備佐都美高彦根は黒木の橋を作り、
假宮を建て、皇子等へ様々の饗應があった。
誉津別皇子は是迄御言葉を發し給はなかつたが、此時始めて御言葉を發し給ふことを得るやうになったと云ふ。
其當時銚子、膳夫に仕へ奉つたものは長子、飯塚の姓を賜り、今も此地方で姓を名乗るものが數多ある。
鵠村は求院村に變り、今は出西村大字求院と稱せられるに至つたのである。



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Last-modified: 2023-12-27 (水) 22:59:31 (121d)