『出雲国風土記』
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』意宇郡『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』嶋根郡『出雲国風土記』嶋根郡2
『出雲国風土記』秋鹿郡『出雲国風土記』楯縫郡
『出雲国風土記』出雲郡『出雲国風土記』神門郡
『出雲国風土記』飯石郡『出雲国風土記』仁多郡
『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』後記

『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介


『出雲国風土記』嶋根郡(しまねのこおり)

(白井文庫k13)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-13.jpg


嶋根郡
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(白井文庫k14)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-14.jpg

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合郷捌里廾五        餘戸壹驛家壹家壹
山口郷           今依前用
朝酌郷           同
手染郷           同
美保郷           同
方結郷           同
加賀郷           本字加-々
生馬郷           今依前用
法吉郷           今依前用以上捌郷別里参
餘戸郷
千酌驛家
-----
所以号嶋根郡国引唑八束水臣津野命之詔而頂
給名故島根
朝酌郷郡家正南一十里六十四歩熊野大神命
詔朝御餼勘養夕御餼勘羪五贄緒之処定
給故云朝酌
山口郷郡家正南四里二百九十八歩須佐能烏命
御子都留支日子命詔吾敷唑山口處在詔而故
山口頂給
手染郷郡家正東一十里二百六十四歩所造天下大神
命詔此国者丁𡨴造国在詔而故丁𡨴頂給而
──────────

合郷捌里廾五        餘戸壹驛家壹家壹

合わせて郷八、里二十五     餘戸一、駅家一、家一

山口郷           今依

山口郷  今依り前に用いる

朝酌郷           同

手染郷           同

美保郷           同

方結郷           同

加賀郷           本字加-々

生馬郷           今依前用

法吉郷           今依前用以上捌郷別里参

餘戸郷

千酌驛家

所以嶋根郡国引唑八束水臣津野命(ヤツカミマヲシツノミコト)()而頂故島根

嶋根郡と(ゴウ)所以(ユエ)は、国引きます八束水臣津野命の(ノリ)て頂き給う(カレ)島根と名づく。

朝酌鄉郡家正南一十里六十四步

朝酌鄉(アサクミノゴウ)郡家(グウケ)の正に南一十里六十四步

熊野大神命詔御餼(ミケ)勘養夕御餼勘羪五贄緒之処定故云朝酌

熊野大神命(ノリ)て、朝御餼(アサミケ)勘養(カムカイ)、夕御餼の勘養に、五贄(イツニエ)の緒の處定め給ひき。(カレ) 朝酌と云う。

山口郷郡家正南四里二百九十八歩

山口郷、郡家の正に南四里二百九十八歩

須佐能烏(スサノヲノ)御子都留支日子命(ツルキヒコノミコト)敷唑(シキマス)山口リト而故山口頂給

須佐能烏命の御子都留支日子命(ツルキヒコノミコト)詔り、吾が敷きます山口の處に在りと詔りたもうて、(カレ)山口と頂き給ひき。

手染郷郡家正東一十里二百六十四歩

手染郷(タシミノゴウ)、郡家の正に東、一十里二百六十四歩

所造天下大神(ミコト)詔此者丁𡨴造国在詔而故丁𡨴頂給而人猶詔手染郷之耳即正倉

所造天下大神命(アメノシタツクラシシオオカミノミコト)詔。此の国は丁𡨴(タダニ)造りし国に在りと詔て、(カレ)丁𡨴(タダニ)(の名を)頂き給う。(シカシ)て人なお手染(タシミ)郷と()るのみ。即ち正倉あり。


(白井文庫k15)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-15.jpg

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人猶詔手染郷之耳即正倉
美保郷郡家正東廾七里一百六十四歩造天下大神命
娶高志国唑神意支都久辰為命子俾都久辰為
命子奴奈宜置波比賣命而令産神御穂須々美命
是神唑矣故美保美保号名
謂此類落

方結郷郡家正東廾里八十歩須佐素命御子国忍別
命詔吾敷唑池者国形宜者故云方結
加賀郷郡家西北一十六里二百九歩神魂命御子八
尋鉾長依日子命詔吾御子平明不憤故云生馬
法吉郷郡家正西二百卅歩神魂命御子宇武賀
-----
比賣命法吉鳥化而飛度静唑此所故云法吉
餘戸里説名如
意宇郡

千酌驛郡家東北一十九里一百八十歩伊差奈枳命
御子都久豆美命此所生然即可謂都久豆美而
今人猶千酌号郷
[社]
大掎社    大掎川邊社   朝酌下社   努郡彌社
掠見社 以上卅五所並
不在神祇官

[山]
布自枳美高山郡家正南七里二百一十歩高丈周
一十里 女岳山郡家正南二百卅歩蝨野郡家西
南三里一百歩旡樹
毛志郡家北一里 大倉山
──────────

美保郷郡家正東廾七里一百六十四歩

美保郷、郡家の正に東、二十七里一百六十四歩

造天下大神(ヒキテ)高志国(タカシクニ)(マス)意支都久辰為命(イキツクシイノミコト)()俾都久辰為命(ヒツクシイノミコト)()奴奈宜置波比賣命(ヌナギチハヒメノミコト)(シム)(ウマ)神御穂須々美命(カンミホスゝミノミコト)

造天下大神命、高志国(タカシクニ)に唑す神、意支都久辰為命(イキツクシイノミコト)の子、俾都久辰為命(ヒツクシイノミコト)の子、奴奈宜置波比賣命(ヌナギチハヒメノミコト)(ヒキ)て、(シカ)して神御穂須々美命(カンミホススミノミコト)を産ましむ。

「沼河比売」
「武御名方神」

神唑マス矣故美保(ミホ)美保ト号スカ名ク
謂トカ此類落ルカ

是の神唑す矣故(ユエニ)美保と。(美保と号すか名ずく謂とか此の類落るか)

方結郷郡家正東廾里八十歩

方結郷(カタエノゴウ)、郡家の正に東二十里八十歩

須佐素命(スサスノミコト)進素烏カ御子国忍別命(クニヲシワケノミコト)詔吾敷唑(シキマス)者国(ムベナル)者故云方結

須佐素命御子国忍別命詔。吾が敷ます池は国の(カタチ)(ムベ)なる者。故方結と云う。


加賀郷郡家西北一十六里二百九歩神魂命御子八尋鉾長依日子命詔吾御子平明不憤故云生馬

この部分、欠落・混乱がある。
上田秋成書入本では、本文は全く同じだが、上部に次の注が加えられている。
「此所㝡初加賀ト有テ終ニ生馬ト有之不審也目録ニ加賀次生馬我之兩郷ノ内一方ノ理書落欤[ナベブタ/里]テ可[氺/又]」
(此の所、最初に加賀と有て終に生馬と有る。これ不審也。目録に加賀の次に生馬。我之を両郷の内一方の(コトワリ)を書落か。重ねて求むべし。)

出雲風土記抄(第2帖p6)からこの部分補う。但し出雲風土記抄では、生馬郷・加賀郷の順になっているが、上記により、加賀郷、生馬郷の順とする。

「加賀郷郡家北西二十四里一百六十歩佐太大神所坐也御祖神魂命御子支佐加地賣命闇岩屋哉詔金弓以射給時光加加明也故云加加」
「生馬郷郡家西北一十六里二百九歩神魂命御子八尋鉾長依日子命詔吾御子平明不憤故云生馬」
尚、出雲国風土記考証に、加加の最後に「神亀三年改字加賀」とあるのでこれを補う。


(出雲風土記抄による)

加賀郷郡家北西二十四里一百六十歩

加賀郷(カカノゴウ)、郡家の北西二十四里一百六十歩

佐太大神所坐也御祖神魂命御子支佐加地賣命闇岩屋哉詔金弓以射給時光加加明也故云加加神亀三年改字加賀

佐太大神(サダノオオカミ)(イマ)す所也。御祖(ミオヤ)神魂命(カモスノミコト)の御子、支佐加地賣命(キサカチメノミコト)(クラ)き岩屋かなと詔る。金弓(カナユミ)もて射給いし時、光加加明(カカアケル)也。故云加加。神亀三年、字を加賀に改む

生馬郷郡家西北一十六里二百九歩

生馬郷(イクマノゴウ)、郡家の西北一十六里二百九歩

神魂命御子八尋鉾長依日子命詔吾御子平明不憤故云生馬

神魂命御子、八尋鉾長依日子命(ヤヒロホコナガヨリヒコノミコト)詔て、吾御子平明(タヒラカ)不憤(イクマズ)。故生馬という


(ここから白井本に戻る。)

法吉郷郡家正西二百卅歩

法吉郷(ホッキノゴウ)、郡家の正に西二百三十歩

神魂命御子宇武賀比賣命法吉鳥化而飛度静唑此所故云法吉

神魂命の御子、宇武賀比賣命(ウムカヒメノミコト)法吉鳥(ホッキトリ)()りて飛度(トビワタ)り此の所に静まれり。故法吉と云う。

餘戸里説名如意宇郡

餘戸里、名を説くこと意宇郡の如し

千酌驛郡家東北一十九里一百八十歩

千酌驛(チクミノウマヤ)、郡家の東北一十九里一百八十歩

伊差奈枳命御子都久豆美命此所生然即可謂都久豆美而今人猶千酌号郷

伊差奈枳命(イサナキノミコト)の御子、都久豆美命(ツクズミノミコト)此の所に(アレ)ませり。然れば即ち都久豆美(ツクズミ)と謂うべきを、今の人なお千酌(チクミ)と郷を号す。

[社]

大掎社    大掎川邊社   朝酌下社   努郡彌社

掠見社 以上卅五所並
不在神祇官

この部分、35所とあるのに5社のみで大部分欠落している。
出雲風土記抄(第2帖p9)から補う。
──────────
布自伎弥社     多気社     久良弥社
同波夜都武志社   川上社     長見社
門江社       横田社     加賀社
尒佐社       尒佐加志能為社 法吉社
生馬社       美保社以上十四所並
在神祇官

大埼社       大埼川辺社   朝酌上社
朝酌下社      努那弥社    椋見社
大井社       阿羅波比社   三保社
多久社       蜛蝫社     同蜛蝫社
質笍比社      方結社     玉結社
川原社       虫野社     持田社
加佐奈子社     比加夜社    須義社
伊奈須美社     伊奈阿気社   御津社
比津社       玖夜社     同玖夜社
田原社       生馬社     布夜保社
加茂志社      一夜社     小井ノ社
加都麻社      須衛都久社以上参拾五所並不在神祇官
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布自伎弥社     多気社     久良弥社
同波夜都武志社   川上社     長見社

門江社       横田社     加賀社

尒佐社       尒佐加志能為社 法吉社

生馬社       美保社(以上十四所並在神祇官)

大埼社       大埼川辺社   朝酌上社

朝酌下社      努那弥社    椋見社

大井社       阿羅波比社   三保社

多久社       蜛蝫社     同蜛蝫社

質笍比社      方結社     玉結社

川原社       虫野社     持田社

加佐奈子社     比加夜社    須義社

伊奈須美社     伊奈阿気社   御津社

比津社       玖夜社     同玖夜社

田原社       生馬社     布夜保社

加茂志社      一夜社     小井ノ社

加都麻社      須衛都久社(以上参拾五所並不在神祇官)


(白井本に戻る)

[山]

布自枳美高山郡家正南七里二百一十歩高丈周一十里

布自枳美高山。郡家の正に南七里二百一十歩、高さ二百七十丈、周り一十里

(嵩山と女岳山)
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/simane/dakesan.jpg
・虫野(福原)から見た嵩山と女岳山。

女岳山郡家正南二百卅歩

女岳山、郡家の正に南二百三十歩

蝨野郡家西南三里一百歩旡樹木

蝨野、郡家の西南三里一百歩(樹木無し)

毛志郡家北一里

毛志、郡家の北一里

大倉山郡家東北九里一百八歩

大倉山、郡家の東北九里一百八歩

小倉山郡家正東廾四里一百六十歩

小倉山、郡家の正に東二十四里一百六十歩


(白井文庫k16)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-16.jpg

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郡家東北九里一百八歩江山郡家東北廾六里卅
歩小倉山郡家正東廾四里一百六十歩凡諸山所
在草木白朮菱門冬藍漆五味子苦参獨活葛根
暑蕷萆解狼毒杜仲芍薬柴胡百部根石斛藁本
藤李赤桐白桐海 榴楠楊松禽獣則有鷲字或
作鵰

隼山鶏鳩鴙猪鹿猿飛鼯
[川]
水草河源二一水源出郡家東三里一百八十歩毛志山一
水源出郡家西北六里一百六十歩同毛志山

二水合南海流入入海
長見川源出郡家東北九
里一百八十歩大倉山東流犬鳥山源出郡家東北
一十二里一百一十歩墓野山南流二水合テ東流テ
-----
入入海野浪川源出郡家東北廾六里卅歩糸江山
西流入大海加賀川源出郡家正北廾四里一百六
十歩小倉山西流入秋鹿郡佐太水海以上六川並少々
旡魚忮也 忮此字本ノ侭

[池]
法吉陂周五里深七尺許有鴛鴦鴨鷠鮒須我毛
當夏節尤
在美菜
前原披周二百八十歩有鴛鴦鳬鴨
等之類張田池周一里卅歩匏池周一里一百一十

美能夜池周一里口池周一里一百八十歩
有蒋
鴛鴦
敷田池周一里有鴛
南入海自海
行東

朝酌促戸東通道西在平原中央渡則筌亘
東西春秋入出大小雜魚臨時來湊筌邉[馬否]
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江山郡家東北廾六里卅歩

江山、郡家の東北二十六里三十歩

凡諸山所在草木白朮菱門冬藍漆五味子苦参獨活葛根暑蕷萆解狼毒杜仲芍薬柴胡百部根石斛藁本藤李赤桐白桐海榴楠楊松

凡そ諸山に在る所の草木は、白朮・菱門冬・藍・漆・五味子・苦参・獨活・葛根・暑蕷・萆解・狼毒・杜仲・芍薬・柴胡・百部根・石斛・藁本・藤・李・赤桐・白桐・海榴・楠・楊・松

禽獣則有鷲字或作鵰隼山鶏鳩鴙猪鹿猿飛鼯

禽獣則ち、鷲(字或作鵰)・隼・山鶏・鳩・鴙・猪・鹿・猿・飛鼯、有り

[川]

水草河源二一水源出郡家東三里一百八十歩毛志山、一水源出郡家西北六里一百六十歩同毛志山

水草河、源二つ(一水は源を郡家東三里一百八十歩毛志山に出ず、一水は源を郡家西北六里一百六十歩同じく毛志山に出ず)

二水合南海流入入海有鮒

二水合せて南の海に流れ入海に入る。(鮒有り)

長見川源出郡家東北九里一百八十歩大倉山東流

長見川、源は郡家の東北九里一百八十歩の大倉山に出でて東に流る。

犬鳥山源出郡家東北一十二里一百一十歩墓野山南流二水合テ東流テ入入海

犬鳥川、源は郡家東北一十二里一百一十歩に出て、墓野山より南に流れ、二水合て東に流れて入海に入る

野浪川源出郡家東北廾六里卅歩糸江山西流入大海

野浪川、源を郡家の東北二十六里三十歩の糸江山に出づ。西に流れ大海に入る。


加賀川源出郡家正北廾四里一百六十歩小倉山西流入秋鹿郡佐太水海以上六川並少々
旡魚忮也 忮此字本ノ侭

この部分欠落がある。出雲風土記抄を参照する。

加賀川源出郡家正北廾四里一百六十歩小倉山北流大海入也
多久川源出郡家西北二十四里小倉山西流入秋鹿郡佐太水海(以上六川少々無魚川也)


(出雲風土記抄による)

加賀川源出郡家正北廾四里一百六十歩小倉山北流大海入也

加賀川、源を郡家の正に北二十四里一百六十歩に出、小倉山を北に流れ大海に入る也。

多久川源出郡家西北二十四里小倉山西流入秋鹿郡佐太水海(以上六川少々無魚川也)

多久川、源を郡家の西北二十四里小倉山に出、西に流れ秋鹿郡の佐太水海に入る。(以上六川少々は無魚の川也)


(白井本に戻る)

[池]

法吉陂周五里深七尺許有鴛鴦鴨鷠鮒須我毛當夏節尤在美菜

法吉の()、周り五里、深さ七尺(バカ)り。鴛鴦・鴨・鷠・鮒・須我毛(夏節に当たりて(モット)美菜(ウマキナ)在り

出雲風土記抄(第2帖p18)では「法吉坡周五里深七尺許有鴛鴦鳧鴨鯉鮒須我毛當夏節尤有美菜
注で、佐久佐自清の談として、出雲には慶長年間まで鯉は居なかったので、「鯉」は衍字かと疑っている。

前原披周二百八十歩有鴛鴦鳬鴨等之類

前原の陂、周り二百八十歩。鴛鴦(オシ)(ケリ)・鴨等の類有り

張田池周一里卅歩

張田池、周り一里三十歩

匏池周一里一百一十歩生蒋

匏池、周り一里一百一十歩((ショウ)生えり)

美能夜池周一里

美能夜池、周り一里

口池周一里一百八十歩有蒋鴛鴦

口池、周り一里一百八十歩(蒋・鴛鴦あり)

敷田池周一里有鴛鴦

敷田池、周り一里(鴛鴦あり)。

南入海自海行東

南は入海(自海行東)


「出雲国風土記考証」天平時代島根郡之図
https://fuushi.k-pj.info/jpg/map/izumofudoki_tp_simane.jpg


『出雲国風土記』嶋根郡2


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Last-modified: 2024-11-29 (金) 03:09:38