『古事記』
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『古事記』真福寺本-下-k31~
『古事記』真福寺本-上-k01~
(『古事記』真福寺本-上-k01)†
(『古事記』真福寺本-上-k02)†
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文政四年辛巳九月日令
修理畢
寺社奉行所
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~
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文政四年辛巳九月日令
修理畢
・文政四年…1821年。(徳川家斉の時代)
・修理畢…修理完了
(『古事記』真福寺本-上-k03)†
古事記上巻序幷
臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然
乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖
所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身故太
素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖
而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇
以万神蕃息與議安河而平天下論小濱而淸国土是以番
仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歷于秋津嶋化熊出
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古事記 上巻 序幷†
古事記 上巻 序幷たり
臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形 †
臣安萬侶言す。それ、混元既に凝りて、気象未だあらわれず。名も無く爲も無ければ、誰か其の形を知らむ。
- 「爲」を岩波文庫(以下i文庫)では(わざ)と読んでいる。「無為」は(動きがない}の意味。
- 「效」は「敷」に見えるのだが・・・・「気象未敷」であれば(気象未だひろがらず)か?
「敦」と見るものもある。「效」としたのは宣長の「古訓古事記」に依るらしい。
→参考:早稲田大学図書館蔵「古訓古事記」/該当頁書影
「效」の採用は観智院本名義抄に「効は效の俗字」とあり、アラハスの訓がある事によるらしい。
「玄奘表啓平安初期点」では「未遠」(イマダトオクアラズ)とあるらしいが未見。
(安万呂の上表文にこだわっていても仕方ないので、この件一時中座)
然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖 †
然あれども、乾坤初めて分かれて、参神造化の首となれり。陰陽ここに開けて、二霊郡品の祖となれり。
- 「乾坤」をi文庫では(けんこん)とそのまま読んでいる。
所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身†
所以に、幽顕に出入て、日月目を洗うに彰れ、海水に浮き沈みて、神祇身をすすぐに呈われたり。
故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世 †
故、太素は杳冥けれども、 本教によりて土を孕み島を生みし時を識り、元始綿邈けれども、先聖によりて神を生み人を立てし世を察れり。
- 「太素杳冥」i文庫では、(タイソはヨウメイなれども)
- 「本教」は日本古来の伝承の意。
- 「綿邈」:観智院本名義抄により、「綿」も「邈」も訓読みで(とほし)である事から「綿邈」で(とほし)と訓んでいる。
i文庫では(めんばく)としている。
寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土 †
寔に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、百王相続ぎ、劒を喫み、蛇を切りて、万神蕃息りたまい、安河に議りて、天下を平らげ、 小浜に論ひて、国土を清めたまいしことを。
- 「蕃息」:岩崎本皇極記訓にある「不蕃息」(ウマハラス)より援用。i文庫では(ばんそくせしことを)
- 「議安河而平天下」:岩波文庫では(安の河に議りて、天下を平むけ)
「淸国土」を(国を清めき)
- 岩波文庫は「寔知~国土」を上記のような1文ではなく、與/議の部分で2文に分け解釈している。
2文に分けると「知」の範囲が「議安河~」には掛からないことになり問題。。
是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋†
是をもちて、番仁岐命 初めて高千嶺に降り、神倭天皇、秋津嶋に経歴たまいき。
- 「番仁岐命」本文にこの表記はない。「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命」
(『古事記』真福寺本-上-k04)†
未移浹辰 氣旀自淸†
浹辰を移さずして、氣はいよいよ自ずから淸らかなり。
- 浹辰(しょうしん)…「浹」は一巡り、「辰」は日。12日間。壬申の乱は約1ヶ月なので、「浹辰」は(幾ばくかの日数)を意味する。
- 氣旀自清…[旀]は[弥]であろう。「弥」には(いよいよ、ますます)の意味があり、「氣弥自清」は(気はいよいよ自ずから清らか)の意味となる。
i文庫では→「氣旀」を「氣沴」(きしん)とし、「わざわい」と解し読んでいる。
…本来は「氛沴」。氛も沴も共に妖気・臭気。総じて、毒気・災い
ちなみに「沴」としているのは宣長古訓古事記に依るものであろう。該当書影
「沴」は本来[水+黎]でレイ・ライ、「水が澱む」の意
乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑†
乃ち、牛を放ち馬を息へて、 愷悌く華夏に帰りたまい、旌を巻き 戈を戢めて、儛詠いて都邑に停りたまいき。
- 思想体系では二文に分けているが、乃の掛かりを考慮しi文庫のように一文に解す。
- 放牛息馬…周の武王の故事による。「帰馬放牛」(書経)
- 華夏…中原、ここでは大和を指す。
- この辺りも含めて、中国の故事を多用する事から剽窃文と揶揄されるのも致し方ないことである。「華夏(古代中国の夏王朝・その都)」とか用いる感覚は理解しかねる。
- 都邑…飛鳥を指す。
歳次梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 †
歳梁に次り、月侠鍾に踵りて、清原大宮にして 昇りて天位に即きたまいき。
- 歳次梁…i文庫では「歳次大梁」
- 歳…歳星、木星のこと。木星が大梁に位置するのは酉年。乱の翌年。673年
- 俠鍾…十二律の一(夾鍾)。月では2月。
道軼軒后 德跨周王 †
道は軒后に軼たまひ、徳は周王に跨みたまいき。
握乾符而摠六合 得天統而包八荒†
乾符を握りて六合を摠べたまい、天統を得て八荒を包ねたまいき。
- 乾符…帝の爾。次の持統即位に際しては「神爾の剣・鏡」とあるが、天武の場合は不明。
神祇令「忌部上神爾之鏡剣」
- 岩波思想体系注では{持統紀4年7月条)としてこの例が挙げられているが、持統紀4年正月(書紀)の誤り。
- ここに云う「乾符」がいわゆる三種の神器(鏡・勾玉・剣)であったかどうかは天武・持統共に明かではない。
「三種の神器」と訳している場合、そういう訳は信用できない。
- 六合…四方と上下、即ち天下。
- 八荒…八方の僻遠の地。
乘二氣之正 齊五行之序†
二気の正しきに乗り、五行の序を斉へたまいき。
設神理以奬俗 敷英風以弘國 †
神しき理を設けて俗を奨め、英れたる風を敷きて国に弘めたまいき。
- i文庫では「国を弘めたまひき」と読んでいるが、「国を弘め」は疑問。
重加 智海浩汗 潭探上古 †
重加ず、智海は浩汗にして、潭く上古を探りたまいき。
- 浩汗…音で(こうかん)、訓で(おぎろ)。意味は「広大・深遠である様子」
心鏡煒煌 明覩先代 †
心鏡は煒煌にして、明けく先代を観たまいき。
- 煒煌(いこう)…[煒]は並はずれた火、[煌]はきらめく輝き。[煒煌]で光り輝く様子を表す。訓で(あから)。
於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 †
是に天皇詔りたまいしく、朕聞く、諸家の所賷てる帝紀と本辞、既に正実に違い、多く虚偽を加へたり。
- ここから、古事記編纂の由来となるが、他の文献との絡みで議論の多いところでもある。
- 天皇詔…書紀天武紀10年3月丙戌(17日)
- 帝紀…帝皇日継
- 本辞…先代旧辞
當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 †
今の時に当たりて、其の失を改めずは、幾年も経ずして其の旨滅びなむとす。
斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 †
斯乃ち、邦家の経緯、王化の鴻基なり。
- 経緯…縦糸と横糸。即ちここでは国家の骨格
- 鴻…天皇の事蹟に冠する美称
(『古事記』真福寺本-上-k05)†
惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍
人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心卽
勅語阿禮令誦習帝皇日継及先代舊辭然運移世異未行其事矣
伏惟
皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄
之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非
烟連柯幷穂之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月
可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀
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之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之
勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並
朴敷文構句於字卽難已因訓述者詞不逮心全以音連者事
趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽
辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名
帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢
始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺
不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲
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故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉†
故、惟みれば帝紀を撰び録し、旧辞を討ね究め、偽を削り実を定めて後葉に流へむと欲ふとのりたまいき。
時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八†
時に舍人有り、姓は稗田 名は阿礼、年は廿八。
- 舎人…近従、下級見習い官人。男子。
- 姓…この場合カバネではなくウジ。
- カバネは大王から特別に与えられ、大王との関係を示す称号。通常「姓」はカバネと読まれるがここでの姓の表示にはそういう意味がないのでウジ(氏)と考えられている。漢字の姓と氏には元々日本のような区別が無い。
- 稗田…地名として奈良県大和郡山市稗田町があるが、阿礼自身がそこに縁があるかどうかは不明。稗田氏は猿女君の一族として知られる。
- 同地の売太神社では主祭神を稗田阿礼としているが、長く祭神不明であった神社で疑問が多い。
延喜式では賣太神社と記されているが、祭神名は無い。ヒメタと読むので「比」が欠落したのであろうと思われる。猿女田からの変化という説は疑問。
又、ヒメタノ神社との関連から、阿礼の女性説もあるが、この神社と阿礼との関係自体が不明なので女性説も疑問。
又「阿礼」は巫女の事であるとする女性説もあるが、阿礼男という表現もあり、女性とは限らない。
舎人(男子の職)と記してあるのに女性説をあえて採る理由は無い。
- 廿八…記すまでもないと思うが、ここでの年齢は数え年。
爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心†
為人聡明くて、目に渡り口に誦み、耳に払るれば心に勒す。
- 度目誦口…見ればすぐに音読し
- 拂耳勒心…聞けばもはや忘れない
卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭†
即ち、阿礼に勅語して、帝皇日継と先代旧辞を誦習はしめたまいき。
然 運移世異 未行其事矣†
然あれども、運移り世異りて、未だ其の事を行ないたまわずき。
- ここでの其事というのは、「削僞定實 欲流後葉」の事と思われる。
伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育†
伏して皇帝陛下を惟みれば、一つを得て光宅り、三つに通りて亭育いたまう。
- 皇帝陛下…ここでは元明天皇をさす。天皇のことを「皇帝陛下」と記すのは希。
皇帝陛下で改行しているのは養老令の公式令37の規定による。平出条…平頭抄出規定(文中で用いる場合、敬意を表す意味で改行し行頭に置く)
- 得一…天皇の地位を得て
- 光宅…徳が天下に満ち
- 通三…天地人の三才(万物)に通じて
- 亭育…人民を養う
御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮†
紫宸に御して德馬蹄の所極を被いたまい、玄扈に坐して化船頭の所逮を照らしたまう。
- 紫宸…紫は天帝の居る紫微(紫微垣の略。北極星を中心とした15星のある位置)、「紫宸」で天子の居所を意味する。i文庫では(ししん)
- 馬蹄之所極…陸路の果て迄
- 玄扈…黄帝が居た洛水畔の石室。天子の座す処を意味する。i文庫では(げんこ)
- 玄扈山を源とする玄扈水が黄河の支流である洛水に出会う場所から少し玄扈水を遡った河畔に黄帝が居した石室があると云い、この石室を玄扈と呼んだ。玄扈山・玄扈水はこの玄扈からつけられた名と思われる。
- 船頭之所逮…海路の果て迄
- 思想体系では2文に分けているが、対であるので一文に解す。ここでの比喩(馬蹄・船頭云々)は祝詞からの転用。
日浮重暉 雲散非烟†
日浮かびて暉を重ね、雲散りて烟に非ず。
- 「日」は帝位、「暉を重ね」は帝位を重ね。思想体系では「日」を先帝と解している。
- 雲散非烟…薄雲がたなびいている様子で、天の瑞祥。治部式では慶雲を大瑞とする。
連柯幷穂之瑞 史不絶書†
柯を連ね穂を幷す瑞、史書すことを絶たず。
- 連柯幷穂之瑞…柯は枝。「連柯幷穂」で枝が連なり稲穂が豊かに実る、即ち草木が豊かという意味で、地の瑞祥。治部式では連理・嘉禾を下瑞とする。
(ここで連理は連理木の事。木の枝が癒着結合したもので、その和合の姿を吉兆とする。又、嘉禾の禾は稲)
- 史は朝廷の書記。
- 「瑞祥を書記官が絶えず記述している」という意味の文で、前文と併せて天皇の善政を称えている。
列烽重譯之貢 府無空月†
烽を列ね、訳を重ぬる貢、府空き月無し。
- 烽…白村江敗戦後40里(約21km)ごとに置いた狼煙を上げる砦。
- 訳…通訳
- 列烽重譯之貢…遠方からの連絡が続き通訳を重ねて貢ぎ物を持ってやって来る。というような意味で、遠方からの朝貢を表す。
- 府…倉庫
- 府無空月…倉庫が空になるような月はない。
可謂名高文命 德冠天乙矣†
名は文命より高く、德は天乙に冠れりと謂いつ可し。
- 文命…夏王朝の初代、禹王の名
- 天乙…殷王朝の初代、湯王の名
於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶
撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭†
焉に、旧辞の誤忤えるを惜しみ、先紀の謬錯れるを正さむとして、和銅の四年九月の十八日に臣安萬侶に詔して、
稗田阿礼が所誦る勅語の旧辞を撰び録して献上らしむといへれば、謹みて詔旨の随に、子細に採り摭いぬ。
- 和銅4年=711年
- 天武が行おうとした帝紀と旧事の誤りを正すという試みは天武の死去により行われておらず、元明が引き継いだとしている。
天武が稗田阿礼に誦習させた帝紀と旧事から撰び録して献上するように、元明が安万呂に詔したので、安万呂は詔の趣旨に従い阿礼の誦習から細やかに拾い出した。
然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難 †
然あれども、上古之時は 言と意と並に朴にして、文を敷き句を構うること、字に於きては難し。
- しかしながら上古にあっては、言意共に素朴で、それを文章にするのは難しい。という。
已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長†
已に訓に因りて述べたるは 詞心に不逮。全く音を以ちて連ねたるは、事の趣更に長し。
- 漢字で記すに際して、訓読みだけでは意味が伝わりにくく、音読みだけでは文が冗長になる。
是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄
卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注†
是を以て今、或いは一句之中に音と訓とを交へ用い、或いは一事之內に全く訓を以て録しぬ。
即ち、辞の理の見え叵きは、 注を以ちて明し、意の況の解り易きは、更に注せず。
- 音訓を交える場合と、訓のみで記す場合がある。筋道の解りにくいものには注をつける。
亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改†
亦、姓に於て日下をくさかという。名に於て帯の字をたらしという。如此る類は、 本の隨に改めず。
大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世†
大抵所記は、天地開闢より始めて、小治田御世に訖る。
故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷
神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷
幷錄三卷 謹以獻上†
故 天御中主神より以下 日子波限建鵜草葺不合尊より以前を上卷と為し、
神倭伊波禮毘古天皇より以下 品陀御世より以前を中卷と為し、
大雀皇帝より以下 小治田大宮より以前を下卷と為す。
幷て三卷を録して 謹て獻上る。
- 上巻…天之御中主神~鵜草葺不合尊
中巻…神武~応神
下巻…仁徳~推古
(『古事記』真福寺本-上-k06)†
中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上臣安萬
侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝
臣安萬侶~
臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首†
臣安萬侶、誠に惶き、誠に恐まり、頓首頓首
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶†
- ここ迄で[神]はすべて[神]であり[神]ではない。
- 一言。
古事記古写本の中で、最も古いとされる真福寺本であるが、書影でも解るように、かなり雑。
これを書写したという賢瑜が、内容を理解していたのかどうかさえ疑問。
安万呂の序文と本文を区切りもつけず書き連ねるとか感覚を疑う。
また、この序があるが為に偽書と疑われる事もあったわけである。(本文にない事跡を安万呂が記している点等)
- 「たまひ」は「たまい」に揃える事にする。hiでもiでもなくfiが近いのだろうと思うが、拘っても仕方ない。
- 現代語訳については、やってできないことはないが、語句説明が冗長になるので、今のところ予定はない。
読む事が出来て、意味が理解できればそれで充分。
それにつけても、高踏的且つ慇懃阿諛で読むほどに気持ち悪くなってくる文ではある。
→『古事記』真福寺本-上-k06~