◎「三沢神社」(三澤神社)
島根県仁多郡奥出雲町三沢402 地理院地図
主祭神:阿遲須枳高日子根命
合祀神:大巳貴命・素盞嗚命・志那都比古命・志那都比売命・息長足比売命・分雷命・少彦名命・五十猛命
『出雲国風土記』仁多郡に記載のある神社
出雲国風土記には「弎澤社」と記され、延喜式神名帳には「三澤神社」と記されている。
祭神名については『出雲国風土記』では「阿遲須伎高日子命」であり、三沢神社の現祭神名「阿遲須枳高日子根命」とは異なる。
「伎」は踊り手の事であり、「枳」は植物の(カラタチ)の事である。
「根」をつけているのは『古事記』の影響であろう。
古来郷名は御津郷(ミツ)であったが後に御沢郷・三澤郷(ミサワ)と変わり、荘名は三沢荘(ミザワ)と呼ばれた。
鎌倉期、承久の変(1221年)で戦功を上げた信濃源氏の裔飯島氏(一説には木曽氏)がこの地域の地頭となり鴨倉山に三沢城を作り居所として移住し三沢氏(ミザワ)を称した。
三沢氏はこの地で産鉄により勢力を誇ったが、尼子に服し、毛利に服し、江戸期には長府毛利の家老として遇されている。
三沢神社はその崇敬を得てきた。
「雲陽誌」によれば、p167四日市の「高森大明神」で阿遲須枳高日子根命を祭り地理院地図、p175原田の「大森大明神」で伊弉諾伊弉冊素戔嗚瓊瓊杵を祭っており、別神社であった事が知られ、「高森大明神」を「三澤社」としている。
現社地は下鞍掛にあるから、何度かの合社を経て現在地に落ち着いたものであろう。
三沢神社では風土記記載の御津を、要害山中の三澤の池としているが、以前この三澤の池は「三澤社」とされ旧社地とされていたように覚える。
その程度に経緯変遷は曖昧である。
ちなみに雲陽誌の風土記関連の記述は出雲風土記抄を引いている例が多い。
(三澤神社 境内社)
・左から「荒神社(荒神大神)」「足守社(八街比古命・八街比咩命」
「社日神社(天照大神・大巳貴神命・少彦名命・宇賀魂命・埴安姫命)」
「原田八幡宮(誉田別命)」
・右手の2石は寄進碑である。