○「船林神社」(舩林神社)
島根県雲南市大東町北村18 地理院地図
主祭神:阿波枳閉委奈佐比古命
・地誌大系-27-雲陽誌巻六k110p206北村で「【風土記】に松岡山とあり~」とあるが、誤植
・桑原文庫雲陽誌大原郡北村k59で「船山 風土記に船岡山とあり北村と南村の中間なり里民船山といふ高さ二十間横四十間はか里船林社此山上にあり
船岡山という南北約400(m) 東西50(m) 標高約120(m)、麓との標高差約30(m) という特徴的な山の頂に鎮座する。
縦長の瓢箪を半切りにして置いたような山である。
火山性の角礫岩質のようであるから、かつては北の山王寺方面から流れてくる川が西側を削り、東側を赤川が削って出来た山であるように思われる。(今は共に東側を流れている)
南麓に「湯観音の祠」地理院地図がある。道路工事の関係で此処に移設されたのであろうと思われる。
由緒書きで祭神名を「阿波枳閉委奈佐比古命」(アワギヘワナサヒコノミコト)と呼んでいるが、(アワキベ・イナサヒコノミコト)「淡辺稲佐彦命」(川の傍にいる稲作りの命)の意味かと思われる。
「阿波から来た倭(和)奈佐彦命」という説もあるが、[委]は人偏が付いて[倭]なら(ワ)であるが[委]は(イ)であり(ワ)ではない。
『出雲国風土記』大原郡で古写本は全て[委]であり[倭]と記したものはなくフリガナは(イ)である。
ちなみに[倭]は背の低い人という意味の蔑称である。
又「奈佐」は徳島方言で「波」の意味だという説もあるようだが「委奈佐」に繋がらない。
・出雲風土記解-下-k37の解説で「委は烏~」等と記しており、これを真に受け訂正出雲風土記-下-p86で「舩岡山~
(船岡山 全容)

・参道口が右手(北方)にあり、神社は左手(南方)の小高くなったところにある。
(船林神社)

・参道口を上ったところに基壇が残る。元の祠跡かと思われる。手前に明治頃立てられた石碑があるが読みがたい。
(船林神社 境内 山神神社)

・本殿奥に山神神社があり、この先には水道施設がある。
(船岡山 南麓光景)

・道路向こうに湯観音の祠があり、道路下にコンクリートの構築物がある。
(船岡山 南麓)

・赤川に橋が架かり、傍に廃屋となった「北の宿」と記された建築物と水車小屋跡がある。
この辺りに温泉が湧いていたのかと思われる。