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鳥取県西伯郡大山町上萬1124 地理院地図
主祭神:正哉吾勝勝速日天忍穗耳命・萬幡豊秋津師姫命・天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
祭神:稚國玉下照比賣命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・天照大神・稚日女神・少彦名命・素盞嗚命・菅原道眞
鳥取県神社庁の案内では
「創立年代不詳。戦国時代の争乱により、旧記を存しないが、往古より当郷の大社であり、近世も藩主の崇敬篤く社殿営繕費用は当郡賦課を例とし、安産守護の神として崇敬された。
明治初年に壹宮大明神の旧称を廃して壹宮神社と改称した。
大正5年に旧高麗村平田の村社津守神社(もと摂津大明神と稲荷大明神 表筒男命 中筒男命 底筒男命)、上萬の上萬神社(もと山王宮 大己貴命 倉稲魂命 罔象女命 菅原道眞)、妻木の富岡神社(もと利寿権現 天照大御神 稚日女命 少彦名命)、旧所子村野田の野田神社(もと大荒神 素盞嗚命)、清原の清原神社(もと大荒神 素盞嗚命)、莊田の庄田神社(もと山王宮 大己貴命)を合併した。妻木、富岡、荘田、清原の氏神である。上萬神社は昭和37年に分離した。
当社の裏山で「妻木晩田遺跡」が発掘され、縄文時代から室町時代までの遺跡が発見されている。弥生時代の集落跡は国内最大級で平成11年に国の史跡に指定された。本殿裏の「すくね塚」は孝霊山の神々を祀る聖地であったといわれている。
社号の由来について、天忍穂耳命が降臨なされようとした時、瓊瓊杵命が「いちはやく」御誕生になった故を以て一の宮と称したと言う伝承、また当郷開拓の際、最初に建てた神社である故との口碑がある。
六木(むき)村の老夫婦が、毎朝神社に祈願した甲斐あって一女に恵まれた。娘は長じて後に帝のお后にと望まれ、「月日よりなほいや増すの詔(みことのり)かずの女人も汗を入りぬる」と詠じたので、以後この地方を「汗入(あせいり)」と呼び、帝から「ははき(伯耆)には夢の架け橋大山寺妻木(つまき)の里にありとこそ聞け」と賜ってからは、六木が妻木に改められたという伝承がある(『伯耆民諺記』、『大山寺縁起』、『朝妻縁起』)。」
壹宮神社のサイトによると
祭神は天忍穂耳命・秋津師姫命(栲幡千千姫)・下照姫命・菅原道真命としており、鳥取県神社庁の記述とは異なっている。
由緒として
・同社地に「澤形神社」と「宮田神社」があり、宮田神社の祭神が下照姫命であると記している。
これらニ社は現在境内社としており、祭神に素戔嗚命を記しており澤形神社の祭神かと思われるが定かではない。
菅原道真については「唐王神社」で記したが、元は「壹宮神社」の摂社であったものを移して「松籠神社」としたと記しており、その経緯ははっきりしない。
菅原道真は土師氏の出であり、天穂日命の後裔とされる土師氏の祖野見宿祢の末裔。
島根県松江市宍道町菅原に「菅原天満宮」があり、ここが生誕地だと伝えており、三歳もしくは六歳の時母に連れら得れて父のいる京都に上ったという。
出雲・伯耆で広く崇敬されているようである。
合社された神社の祭神に「大己貴命」の名があるが、現在の祭神には記されていないのは奇妙である。
孝霊山というのは孝霊天皇による由来であり、孝霊天皇がこの山で暮らしたことがあるというので山名になっている。
「楽楽福神社」などでは孝霊天皇を奉っており鬼退治をしたと伝える。ここに言う鬼は出雲の神を指す。
孝霊山の伝説に、大国主命を祭る伯耆大山と背比べをした際、韓の国の民が山に土を運んだとして韓山・高麗山と呼ばれたという話がある。