『出雲国風土記』
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』意宇郡『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』嶋根郡『出雲国風土記』嶋根郡2
『出雲国風土記』秋鹿郡『出雲国風土記』楯縫郡
『出雲国風土記』出雲郡『出雲国風土記』神門郡
『出雲国風土記』飯石郡『出雲国風土記』仁多郡
『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』後記

『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介


『出雲国風土記』嶋根郡2(しまねのこおり2)


(白井文庫k16)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-16.jpg

──────────
郡家東北九里一百八歩江山郡家東北廾六里卅
歩小倉山郡家正東廾四里一百六十歩凡諸山所
在草木白朮菱門冬藍漆五味子苦参獨活葛根
暑蕷萆解狼毒杜仲芍薬柴胡百部根石斛藁本
藤李赤桐白桐海 榴楠楊松禽獣則有鷲字或
作鵰

隼山鶏鳩鴙猪鹿猿飛鼯
[川]
水草河源二一水源出郡家東三里一百八十歩毛志山一
水源出郡家西北六里一百六十歩同毛志山

二水合南海流入入海
長見川源出郡家東北九
里一百八十歩大倉山東流犬鳥山源出郡家東北
一十二里一百一十歩墓野山南流二水合テ東流テ
-----
入入海野浪川源出郡家東北廾六里卅歩糸江山
西流入大海加賀川源出郡家正北廾四里一百六
十歩小倉山西流入秋鹿郡佐太水海以上六川並少々
旡魚忮也 忮此字本ノ侭

[池]
法吉陂周五里深七尺許有鴛鴦鴨鷠鮒須我毛
當夏節尤
在美菜
前原披周二百八十歩有鴛鴦鳬鴨
等之類張田池周一里卅歩匏池周一里一百一十

美能夜池周一里口池周一里一百八十歩
有蒋
鴛鴦
敷田池周一里有鴛
南入海自海
行東

朝酌促戸東通道西在平原中央渡則筌亘
東西春秋入出大小雜魚臨時來湊筌邉[馬否]
──────────

朝酌促戸東通道西在平原中央渡則筌亘東西

朝酌促戸(アサクミノセト)、東に通い道、西に平原(ハラ)在り。中央は渡し。則ち筌を東西に(ワタ)す。

(矢田の渡し)
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・現在まで続く矢田の渡し。左下方の草地に古代の渡船場跡が見つかっている。今は発掘調査後埋め戻されている。

春秋入出大小雜魚臨時來湊筌邉[馬否][馬亥]風厭水衡或破堸筌製日鹿於鳥被捕

春秋に、入り出る大小の雜魚(ザコ)、時に臨みて(ヤナ)の辺りに来(アツマ)りて、[馬否](オドロ)[馬亥](ハネ)て風のごとく()し、水のごとく()き、或いは筌を破堸(ウチヤブ)り、日鹿(ヒジシ)(ツク)り、鳥に捕られる

(白井文庫k17)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-17.jpg

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[馬亥]風厭水衡或破堸筌製日鹿於鳥被捕大
小雜魚莫濱藪澡家闐市人四集自然成墨矣自茲
入東

至于大井濱之周南北二
濱兼捕日魚水深也
朝酌渡廣八十歩許自国廰通
海邉道矣 上有廳此字
大井濱則有海鼠海松又造陶器也
邑美冷水東西北山並嵯峨南海澶浸中央
鹵灠磷男女老少時叢集常燕會地矣
前原埼東北並巃嵸下則有陂周二百八十歩
深一丈五尺許三邉草木自生涯鴛鴦鳥鴨
随時常住陂之南海也即陂與海之間濱東西長
-----
一百歩南北廣六歩肆松蓊欝濱鹵淵澄男女随
時叢会或愉樂耽遊忘帰常燕喜之地矣蜛蝫
島周一十八里一百歩高三丈古老傳云出雲郡杵築
御埼在蜛蝫天羽合鷲椋持飛燕來止于此嶋故
云蜛蝫島今人猶誤栲嶋号耳土地豊渡西邉
松二株以外茅沙薺頭蒿路等之類生靡
即有
去陸三里蜛蝫島周五里一百廾歩高二丈
古老傳云有蜛蝫島食來蜈蚣止居此嶋故云
蜈蚣嶋東邊神社以外皆悉百姓之家土体
豐渡草木扶踈桑麻豐富此淵所謂嶋里是
──────────

大小雜魚莫濱藪澡家闐市人四集自然成墨矣自茲入東至于大井濱之周南北二濱兼捕日魚水深也

大小雜魚()く、濱藪澡(サワガシ)く、家(サカン)にて、市人(イチビト)四集し、自然(オノズ)から(ミセ)と成る。(ここより東に入り大井濱に至るまで、南北二濱の周りは水深く日魚を捕るを兼ねる也)

朝酌渡廣八十歩許自国廰通海邉道矣 上ニ有ル廳トハテイ
チヤウ
マラウドノクリヤ
タビノクリヤ
此字ニヤ

朝酌渡、廣八十歩許り。国廰より海邉に通う道なり。(上に有る廳とは廳テイ
チヤウ
マラウドノクリヤ
タビノクリヤ
此字にや)

大井濱則有海鼠海松又造陶器也

大井濱、則ち海鼠(ナマコ)海松(ミル)有り。又陶器(スエキ)を造れる也。

邑美冷水東西北山並嵯峨南海澶浸中央鹵灠磷男女老少時叢集常燕會地矣

邑美冷水(オウミノシミズ)、東西北は山にして(ミナ)嵯峨し。南は海にて澶浸(ダンシン)す。中央に(カタ)あり灠磷(ランリン)す。男女老少、時に(ムラ)がり集いて常に燕會(エンカイ)する地なり。

前原埼東北並巃嵸下則有陂周二百八十歩深一丈五尺許

前原埼(サキハラノサキ)、東と北は(ミナ)巃嵸(ロウシュウ)。下には則ち()有り。周り二百八十歩、深さ一丈五尺許り。

ュウ)…「巃」はけわしい、「嵸」はそびえる。山が急峻な様子。

三邉草木自生涯鴛鴦鳥鴨随時常住陂之南海也

三邉に草木自から(ガケ)(シゲ)る。鴛鴦・鳥・鴨・時の(ママ)に常に住めり。陂の南は海也。

即陂與海之間濱東西長一百歩南北廣六歩肆松蓊欝濱鹵淵澄

即ち、陂と海の間は濱。東西の長さ一百歩、南北の廣さ六歩。松(ツラナ)蓊欝(オウウツ)する濱なり。(カタ)(フカ)く澄めり。

男女随時叢会或愉樂耽遊忘帰常燕喜之地矣

上段の注記に、「会リョウ
レイ
ツカフ・モテアソブ・ヒトリ 使也・弄也、此字」とある。

男女随時(トキノママ)叢会(ムレツドイ)、或いは、愉樂(タノシミテ)遊びに(フケ)り帰るを忘れる。常に燕喜の地なり。

蜛蝫島周一十八里一百歩高三丈

蜛蝫(タコ)島、周り一十八里一百歩、高さ三丈

古老傳云出雲郡杵築御埼在蜛蝫天羽合鷲椋持飛燕來止于此嶋故云蜛蝫島今人猶誤栲嶋号耳

古老の傳えて云。出雲郡杵築の御埼に蜛蝫在り。天羽合鷲(アマノハハワシ)()り持ち飛燕(トビ)來たりて此の嶋に止まりき。故蜛蝫島という。今の人、猶誤まりて栲嶋(タクシマ)(ナヅ)く。

土地豊渡西邉松二株以外茅沙薺頭蒿路等之類生靡即有枝

土地豊かに渡り、西の(ホトリ)に松二株あり。以外(ホカニ)、茅・沙・薺頭蒿(オハギ)・路・等之類生い(ナビ)く。(即ち枝有り)

去陸三里

陸を去ること三里。

蜛蝫島周五里一百廾歩高二丈

標注古風土記p137の解説に「古寫本には皆、蝫蜛島とあり。内山眞龍の風土記解以後、後に「故云蜈蚣島」とある語より推して、蜈蚣島と改めしものなり。蜛蝫社が、この島にあることを以て見れば、現今人が、江島を大根島の属島と考ふるが如く、古代に於ても、蜈蚣島と蜛蝫島とを合せて、蜛蝫島と云ふこともあり。主島に對して、區別して稱する時に、蜈蚣島といふ事ありしかも知るべからず」とある。
最初の「蝫蜛島」は「蜛蝫島」の誤りであろうが、それは置くとして、
古写本にはいずれも蜛蝫島とあるのを、内山眞龍が後の文から勘案して蜈蚣島と改めたというのである。
これについて栗田は、両方の島を総じて蜛蝫島と呼び、区別する場合に江島を蜈蚣島と呼んだのではないかと推察しているわけだが、本当のところは解らない。というのである。
内田眞龍以後、多くはこの部分を「蜈蚣島」に変えているようである。が、まずは原文通りで読んでおく。

蜛蝫(タコ)島、周り五里一百二十歩、高さ二丈
蜈蚣(ムカデ)島、周り五里一百二十歩、高さ二丈」

古老傳云有蜛蝫島食來蜈蚣止居此嶋故云蜈蚣嶋

古老の傳へに云。蜛蝫あり、島に蜈蚣を食へ来たりて此の島に止居(トドマリ)き。故に蜈蚣嶋と云う。

東邊神社以外皆悉百姓之家

東辺の神社以外皆悉く百姓之家

土体豐渡草木扶踈桑麻豐富

土体(ツチ)豐かに渡り、草木扶踈(フソ)し、桑・麻豐富なり。

此淵所謂嶋里是

此淵所謂(イワユル)嶋の里是なり


(白井文庫k18)
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去津二里
一百歩
即自此嶋達伯耆國郡内夜見嶋磐石二
里許廣六十歩許乘馬猶往來鹽滿時深二尺五
寸許塩乾時者已如陸地和多太嶋周三里二百廾歩
有椎海榴白桐松芋菜
薺頭蒿落都波猪鹿
去陸渡一十歩不知深浅美佐嶌
周二百六十歩高四丈有椎模芳葦
蒿落都波猪鹿

戸江剗郡家正東廾里一百八十歩非島陸地濱耳伯耆郡
内夜見島將相向之間也

栗江埼相向夜見島没戸
渡二百一十六歩

埼之西入海堺也凡南入海所在雜物入鹿和爾
鯔須受枳近志呂鎭仁白魚海鼠鰝鰕海松等之
類至多不可令名
-----
北大海崎之東大堺也猶自西
行東
鯉石島生海
丈嶋
宇田
比演廣八十歩捕志
毘魚
盗道濱廣八十歩捕志
毘魚
澹由比濱廣
五十歩捕志
毘魚
加努夜濱廣六十歩捕志
毘魚
美保濱廣一百
六十歩西有神社北有百姓
之家捕志毗魚
美保埼用壁崎
[山/罪]定岳
等々島禺々
當位

久毛等浦廣一百歩自東行西
十舩可曹
黒島生海
這田濱
長二百歩比佐島生紫菜
海藻
長嶋生紫菜
海藻
比賣嶋結嶋門
周二里卅歩高一十丈有松薺頭
蒿郡波
御前小嶋質簡比浦
廣二百廾歩南神社北百姓
之家卅舩可泊
久宇嶋周一里卅歩高七尺有椿
椎白

朮小竹薺頭
蒿都波有
赤嶋生海
宇氣嶋
里嶋
粟嶋周
二百八十歩高一十丈有松芋
方都波
玉緒濱廣一百八十歩
──────────

去津二里一百歩即自此嶋達伯耆國郡内夜見嶋磐石二里許廣六十歩許

(津を去ること二里一百歩)即ち此嶋より伯耆國の郡内夜見嶋に達するに磐石(イワ)二里(バカリ)あり。廣さ六十歩許り。

乘馬猶往來鹽滿時深二尺五寸許塩乾時者已如陸地

馬に乗りて猶往來す。(シオ)滿つる時は深さ二尺五寸許り、塩()く時は(スデ)陸地(クガ)の如し

和多太嶋周三里二百廾歩

和多太嶋、周り三里二百二十歩

有椎海榴白桐松芋菜薺頭蒿落都波猪鹿去陸渡一十歩不知深浅

(椎・海榴・白桐・松・芋菜・薺頭蒿・蕗・都波・猪・鹿有り)陸を去ること渡り一十歩。深浅を知らず

美佐嶌周二百六十歩高四丈有椎模芳葦
蒿落都波猪鹿

美佐嶋、周り二百六十歩高さ四丈(椎・模・芳・葦・蒿・落・都波・猪・鹿有り)

戸江剗郡家正東廾里一百八十歩非島陸地濱耳伯耆郡
内夜見島將相向之間也

戸江剗(トノエノセキ)、郡家の正に東二十里一百八十歩(島に非ず。陸地の濱のみ。伯耆郡の内なる夜見島に相向の間也)

栗江埼相向夜見島没戸
渡二百一十六歩
埼之西入海堺也

栗江埼(夜見島に相い向い、促戸渡(セトノワタシ)二百一十六歩)埼の西は入海の堺也

凡南入海所在雜物入鹿和爾鯔須受枳近志呂鎭仁白魚海鼠鰝鰕海松等之類至多不可令名

(オヨ)そ南の入海に在る所の雜物(クサグサノモノ)は、入鹿(イルカ)和爾(ワニ)(ボラ)須受枳(スズキ)近志呂(コノシロ)鎭仁(チヌ)・白魚・海鼠(ナマコ)鰝鰕(エビ)海松(ミル)等の類。至多(イトサワ)にして、名をつくすこと不可。

北大海崎之東大堺也猶自西行東

北は大海。崎の東は大堺也。(猶西より東に行く)

鯉石島生海藻丈嶋議毘宇田比演廣八十歩捕志毘魚

鯉石島(海藻生う)丈嶋(議毘)宇田比演廣八十歩(志毘魚を捕る)

盗道濱廣八十歩捕志
毘魚

盗道濱、廣八十歩(志毘魚を捕る)

澹由比濱廣五十歩捕志毘魚加努夜濱廣六十歩捕志毘魚

澹由比濱、廣五十歩(志毘魚を捕る)。加努夜濱、廣六十歩(志毘魚を捕る)。

美保濱廣一百六十歩西有神社北有百姓之家捕志毗魚

美保濱、廣一百六十歩(西に神社有り。北に百姓の家有り。志毗魚を捕る)

美保埼用壁崎[山/罪]定岳等々島禺々當位上嶋

美保埼(用壁崎嶵定岳)。等々島(禺々(トド)常におり)。上嶋(礒)

(沖ノ御前島)
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/simane/okinogozen.jpg
海上保安庁「沖ノ御前島灯標」

再度記しておくと
「地の御前嶋」は地蔵崎沖合300(m) にある岩礁。4つの岩場からなる。
「沖の御前嶋」は地蔵崎東方沖4(㎞)にある岩礁。(上嶋と推定される。神島)

「美保埼俯瞰」地理院地図
https://fuushi.k-pj.info/jpgb/izumos/mihonoseki1.jpg

久毛等浦廣一百歩自東行西十舩可曹黒島生海藻

久毛等浦、廣一百歩(東より西に行く。十(ソウ)(ソウ)すに可)。黒島(海藻生えり)。

這田濱長二百歩比佐島生紫菜海藻長嶋生紫菜海藻比賣嶋結嶋門周二里卅歩高一十丈有松薺頭
蒿郡波
御前小嶋

這田濱、長二百歩。比佐島(紫菜・海藻生えり)。長嶋(紫菜・海藻生えり)。比賣嶋(礒)。結嶋門、周り二里三十歩高さ一十丈(松、薺頭蒿、都波有り)。御前小嶋(礒)

「地理院地図航空図(法田港周辺)」
https://fuushi.k-pj.info/jpgb/izumos/haidahama.jpg

質簡比浦廣二百廾歩南神社北百姓之家卅舩可泊久宇嶋周一里卅歩高七尺有椿椎白朮小竹薺頭蒿都波有

質簡比浦、廣さ二百二十歩(南に神社、北に百姓の家、三十舩の泊り可)。久宇嶋、周り一里三十歩高さ七尺(有椿・椎・白朮・小竹・薺頭蒿・都波有り)。

この次に、出雲風土記抄第2帖21コマでは「加多比嶋」と「屋嶋」を記しており、
出雲国風土記考証・校注出雲国風土記では共に、「加多比嶋」と「屋嶋」の間に「船島」を記している。
一応整理しておく。

加多比嶋船島屋嶋周二百歩高廾丈有椿杉薺頭蒿

加多比嶋(磯)。船島(磯)。屋嶋、周り二百歩高さ二十丈(椿・杉・薺頭蒿有り)

赤嶋生海藻宇氣嶋同前里嶋同前粟嶋周二百八十歩高一十丈有松芋方都波

赤嶋(生海藻)。宇氣嶋(同前)。里嶋(同前)。粟嶋、周り二百八十歩高さ一十丈(有松芋方都波)。

玉緒濱廣一百八十歩有碁石東邊有
唐砥又石百姓家

「又石百姓家」は「又有百姓家」に改める

玉緒濱、廣一百八十歩(碁石有り、東辺に唐砥有り、又百姓家有り)


(白井文庫k19)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-19.jpg

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有碁石東邊有
唐砥又石百姓家
小嶋周二百卅歩高一十丈有松茅薺
頭都波

方結濱廣一里八十歩東西
有家
勝間埼有二窟一高一丈五
尺裏周一十

歩一高一丈五
尺裏周卅歩
鳩嶋周一百廾歩高一十丈有都
波苡

鳥嶋周八十二歩高一十丈五尺有鳴
黒嶋生紫菜
海藻

須義嶋カ濱カ廣二百八十歩衣嶋周一百廾歩高五丈中
鋚南北船猶往來也稻上濱廣一百六十歩有百
姓家

稻積島周卅八歩高六丈有松木
鳥之栢
中鋚南北舩猶
往來也大嶋千酌濱廣一里六十歩東有松林西
方驛家北方

百姓之家即家西北廾九里
廾歩此則所謂廣隱岐国津定矣
如志嶋周五十六歩高三丈

赤嶋周一百歩高一丈六尺
葺浦濱廣一百卅歩
-----
有百姓
之家
黒嶋生紫菜
海藻
龜島
附嶋周二里一十八歩高一丈
有椿松薺頭蒿茅芦都波
也其薺頭蒿者正月元日生長六寸
蘓嶋生紫菜
海藻
中鋚南北船猶往來スル
也眞屋嶋周八十六里高五丈
松嶋周八十歩高
八丈有松
立石嶋瀬埼礒所瀬竒
或是也
野浪濱廣二百
八歩東也有神社又
有百姓之家
鶴嶋周二百一十歩高九丈
間嶋生海

毛都嶋生紫菜
海藻
川來門大濱廣一里百歩有百姓
之家

黒嶋有海
小黒嶋生海
加賀神埼即有窟一十丈許
周五百二歩許東西北道所謂佐太大神之所産生唑
御祖(ミヲヤ)神魂命之御子(ミコ)枳佐賣命(キサメノミコト)クハ吾御子麻須罗神
御子(マサバ)者所ロノ弓箭出マス尒時角弓箭隨
尒時所本ノ侭子詔(ミコニ)レハ者非弓箭擲廢(ナゲステ)又金
──────────

小嶋周二百卅歩高一十丈有松茅薺頭都波

小嶋、周り二百三十歩高さ一十丈(松・茅・薺頭・都波あり)

方結濱廣一里八十歩東西有家

方結濱、廣一里八十歩(東西に家有り)

勝間埼有二窟一高一丈五尺裏周一十歩一高一丈五尺裏周卅歩

勝間埼、二窟有り(一つの高さ一丈五尺、裏は周り一十歩。一つの高さ一丈五尺、裏は周り三十歩)

鳩嶋周一百廾歩高一十丈有都波苡

鳩嶋、周り一百二十歩、高さ一十丈(都波・苡あり)

鳥嶋周八十二歩高一十丈五尺鳴栢あり黒嶋生紫菜海藻

鳥嶋、周り八十二歩、高さ一十丈五尺(嶋栢あり)。黒嶋(紫菜・海藻生う)

須義嶋カ濱カ廣二百八十歩衣嶋周一百廾歩高五丈中鋚南北船猶往來也

須義(嶋カ濱カ)廣二百八十歩。衣嶋、周り一百二十歩、高さ五丈。中を(ウガ)ちて南北に船猶往來する也。

稻上濱廣一百六十歩有百姓家

稻上濱、廣一百六十歩(百姓家あり)

稻積島周卅八歩高六丈有松木鳥之栢中鋚南北舩猶往來也大嶋

稻積島、周三十八歩、高さ六丈(松木、鳥之栢あり)中を南北に(ウガ)ち、船猶往來する也。大嶋(礒)

千酌濱廣一里六十歩東有松林西方驛家北方百姓之家即家西北廾九里廾歩此則所謂廣隱岐国津定矣

千酌濱、廣一里六十歩(東に松林あり、西方に驛家、北方に百姓の家、即ち郡家の西北二十九里二十歩。此則ち、いわゆる廣く隱岐国の津と定むる)

如志嶋周五十六歩高三丈有松赤嶋周一百歩高一丈六尺有松

加志嶋、周り五十六歩高さ三丈(松あり)。赤嶋周一百歩高一丈六尺(松あり)

(カスカ島)地理院地図
https://fuushi.k-pj.info/jpgk/shimane/simane/kasuka.jpg
・右:白カスカ島(加志嶋)
・左:黒カスカ島(赤嶋)

葺浦濱廣一百卅歩有百姓之家

葺浦濱、廣一百三十歩(百姓の家あり)

黒嶋生紫菜海藻龜島同前

黒嶋(紫菜海藻生う)。龜島(同前)

附嶋周二里一十八歩高一丈有椿松薺頭蒿茅芦都波也其薺頭蒿者正月元日生長六寸

附嶋、周り二里一十八歩、高さ一丈(椿・松・薺頭蒿・茅芦・都波ある也。その薺頭蒿は正月元日には生いて長さ六寸なり)

蘓嶋生紫菜海藻中鋚南北船猶往來スル

蘓嶋、(生紫菜海藻)中を南北に鋚ちて船猶往來する也

眞屋嶋周八十六里高五丈有松松嶋周八十歩高八丈有松林立石嶋

眞屋嶋、周り八十六歩、高さ五丈(松あり)。松嶋、周り八十歩、高さ八丈(松林あり)。立石嶋(磯)

瀬埼礒所瀬竒或是也

瀬埼(礒所。瀬埼と或るは是也)。

野浪濱廣二百八歩東也有神社又有百姓之家

野浪濱、廣さ二百八歩(東に神社あり。又百姓の家あり。)

鶴嶋周二百一十歩高九丈有松間嶋生海藻毛都嶋生紫菜海藻

鶴嶋、周り二百一十歩、高さ九丈(松あり)。間嶋(海藻生う)。毛都嶋(紫菜・海藻生う)。

川來門大濱廣一里百歩有百姓之家

川來門大濱、廣さ一里百歩(百姓之家有り)

黒嶋有海藻小黒嶋生海藻

黒嶋(海藻あり)。小黒嶋(海藻生う)

加賀神埼即有窟一十丈許周五百二歩許東西北道

加賀の神埼、即ち(イワヤ)あり。一十丈許り。周り五百二歩許り。東西北に道。

所謂佐太大神之所産生唑尒時御祖(ミヲヤ)神魂命之御子(ミコ)枳佐賣命(キサメノミコト)クハ吾御子麻須罗神御子(マサバ)者所ロノ弓箭出マス尒時角弓箭隨尒時所本ノ侭子詔(ミコニ)レハ者非弓箭擲廢(ナゲステ)又金弓箭流出來即侍処之唑而闇鬱窟而射通御祖(ミオヤ)支佐加地賣命社唑此處人是窟也行時必色礄礚而待若行者神現而飄風起者必

いわゆる佐太大神の産生唑(アレマ)す所。時に御祖神魂命の御子枳佐賣命(キサメノミコト)(ネガワ)くは吾が御子麻須罗神(マスラガミ)の御子にまさば亡くす所の弓箭(ユミヤ)出し來しと願ひ唑す。時に(ツノ)の弓箭水に(シタガイ)て流れ出つ。時に、此れは(ミコ)に詔りし(ミコ)(モツ)弓箭に非ずと詔て擲廢(ナゲス)て給う。又(カネ)の弓箭流れ出で來る。即ち之が侍りたる処に唑して、闇鬱(クラ)き窟かなと詔て、射通します。即ち御祖支佐加地賣命の社此処に唑す。今の人、是の窟なるは、行ける時、必ず色礄礚(トドロカシ)て待つ。若し密かに行けば、神現れて飄風起り船を行けるは必ず覆す。

密行者神現而飄風起行船者必覆…佐太大神は武神であるから、この神の座に密かに近づく者は敵と見なすという意味であろう。


(白井文庫k20)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-20.jpg

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箭流出來即侍処之唑而闇鬱窟哉詔而射通唑即御祖支佐
加地賣命社唑此處今人是窟也行時必色礄礚而待若密行
者神現而飄風
起行船者必覆
御嶋周二百八十歩高一十丈中通東西
椿


葛島周一里一百十歩高五丈有椿松小
竹茅葦
櫛嶋周二百
卅歩高一十丈有松
意嶋周八十丈高一十丈有松茅
沢村

奥嶋周一百八十歩高一十丈
比罗嶋生紫菜
海藻
黒嶋

各嶋周一百八十歩高九丈
赤嶋生紫菜
海藻
大埼濱廣
一里一百八十歩西北有者
百姓之家
須々此埼有白
御津濱廣二百
八歩有百姓
之家
三島生海
虫津濱廣一百廾歩手結埼
濱邉
(高一丈裏
周三十歩
手結浦廣卅二歩船二ツ許
可泊

久宇島周一百三十歩高七丈

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凡此海所捕雜物志毘朝鮎沙魚烏賊蜛蝫鮑魚螺
蛤且字或作
蚌菜
蕀甲蠃字或作
石經子
甲蠃蓼螺子字或作
蝶子

螺蚄子石葦字或作蚄犬脚也
曠於脚者勢也
白具海藻海松紫菜凝海
菜等之類至繁不可令称也
通道通意宇郡堺朝酌渡一十一里二百廾歩之中
海八十歩通秋鹿堺佐太橋一十五里八十歩通
隱岐渡千酌驛家湊一十一里一百八十歩
    郡司主帳無位出雲臣
    大領外正六位下社部臣
    少領外從六位上社椄石若

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地理院地図航空図

御嶋周二百八十歩高一十丈中通東西有椿松栢

御嶋、周り二百八十歩高さ一十丈。中は東西に通ず。(椿松栢あり)

葛島周一里一百十歩高五丈有椿松小竹茅葦

葛島、周り一里一百十歩、高さ五丈(椿松小竹茅葦あり)

櫛嶋周二百卅歩高一十丈有松林 意嶋周八十丈高一十丈有松茅沢村

櫛嶋、周り二百卅歩、高さ一十丈(松林あり)許り。意嶋、周り八十丈、高さ一十丈(松茅沢村あり)。

奥嶋周一百八十歩高一十丈有松

奥嶋、周り一百八十歩、高さ一十丈(松あり)

比罗嶋生紫菜海藻

比罗嶋(紫菜海藻生う)

黒嶋同前各嶋周一百八十歩高九丈有松

黒嶋(前に同じ)。各嶋、周り一百八十歩、高さ九丈(有松)。

赤嶋生紫菜海藻

赤嶋、(紫菜海藻生う)

大埼濱廣一里一百八十歩西北有者百姓之家

大埼濱、廣さ一里一百八十歩(西北に有るは百姓之家)

須々此埼有白朮

須々此埼(白朮あり)

御津濱廣二百八歩有百姓之家

御津濱、廣二百八歩(百姓之家あり)

三島生海藻

三島、(海藻生う)

虫津濱廣一百廾歩

虫津濱、廣一百二十歩

手結埼濱邉有檜(高一丈裏周三十歩

手結埼、濱のほとりに(檜あり)窟あり。(高さ一丈、裏の周り三十歩)

手結浦廣卅二歩船二ツ許可泊

手結浦、廣三十二歩(船二ツ許り泊れり)

久宇島周一百三十歩高七丈有松

久宇島、周り一百三十歩、高さ七丈(松あり)

此海所捕雜物志毘朝鮎(アユ)沙魚烏賊蜛蝫鮑魚螺蛤且字或作蚌菜(クサ~モ)甲蠃字或作石經子甲蠃蓼螺子字或作
蝶子
螺蚄子石葦字或作蚄犬脚也曠於脚者勢也白具貝カ海藻海松紫菜凝海菜等之類至繁不可令称也

凡そ此海に捕る所の雜物、志毘・朝鮎・沙魚・烏賊・蜛蝫・鮑魚・螺・蛤、且つ(字を或いは蚌菜に作る)蕀の甲蠃(字或いは石經子に作る)・甲蠃・蓼螺子(字或いは蝶子に作る)・螺蚄子・石葦(字或いは蚄犬に作る。脚也。曠於脚者勢也)・白具(貝か)・海藻・海松・紫菜・凝海菜等の類、至って繁にして令称不可也

通道通意宇郡堺朝酌渡一十一里二百廾歩之中海八十歩

通道(カヨイジ)。意宇郡の堺、朝酌の渡に通うは一十一里二百二十歩、この(ウチ)海八十歩なり。

通秋鹿堺佐太橋一十五里八十歩

秋鹿の堺佐太橋に通うは一十五里八十歩なり。

通隱岐渡千酌驛家湊一十一里一百八十歩

隱岐の渡、千酌の驛家の湊に通うは一十一里一百八十歩なり。

郡司主帳無位出雲臣
大領外正六位下社部臣
少領外從六位上社椄石若
主政從六位下勳業蝮朝臣

郡司主帳無位 出雲臣
大領外正六位下 社部臣(コソベノオミ)
少領外從六位上 社椄石若
主政從六位下勳業 蝮朝臣


(白井文庫k21)
https://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-21.jpg

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    主政從六位下勳業蝮朝臣


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「出雲国風土記考証」天平時代島根郡之図
https://fuushi.k-pj.info/jpg/map/izumofudoki_tp_simane.jpg


『出雲国風土記』秋鹿郡


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Last-modified: 2024-11-08 (金) 01:39:22