『出雲国風土記』
『出雲国風土記』神門郡

『出雲国風土記』飯石郡(いいしのこおり)

(白井文庫k39)
http://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-39.jpg
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飯石郡
合郷湊  里十九
 熊谷郷      今依前用
 三屋郷      今字三刀屋
 飯石郷      本字伊鼻郷
 多禰郷      本字種
 須伏郷下ニ須佐トアリ  今依前用以上位郷別里参
 波多郷      今依前用
 來嶋郷      今字支自眞以上貳郷別里
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飯石郡

(ゴウ)サト(サウ)ミナト  里十九

合わせて郷七。里十九

  • 湊…[漆]の誤写であろう。[漆]は[七]の当て字

熊谷郷 今依前用

熊谷郷 今、前より用いる

三屋郷 今字三刀屋(ミトヤ)

三屋郷 今の字は三刀屋

飯石郷 本字伊鼻(イビ)

飯石郷 本字は伊鼻郷(イビゴウ)

多禰郷 本字(タネ)

多禰郷 本字は(タネ)

須伏郷下ニ須佐トアリ 今依前用以上位郷別里参

須伏郷(下に須佐とあり) 今、前より用いる。以上の五郷、別に里参。

  • 須伏郷…「須佐郷」の誤写であろう。
    ・細川家本k50、日御﨑本k50、倉野本k51、萬葉緯本k66で「須佐郷」注記はない。
  • 位郷…「伍郷」の誤写であろう。
    ・細川家本k50、日御﨑本k50、倉野本k51、萬葉緯本k66で「伍郷」

波多郷 今依前用

波多郷 今、前より用いる

來嶋(キジマ)郷 今字支自眞(キジマ)以上貳郷別里

來嶋郷、今の字は支自眞。以上二郷、別に里(二)


(白井文庫k40)
http://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-40.jpg
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所以号飯石者飯石郷中伊毘志都幣命唑故云飯石
之 熊谷郷郡家東北廿六里古老傳云久志伊奈
大美等與麻奴良比売命任身及将産持求所生
之尒時到來此處詔甚久摩久摩志枳谷在故云
熊谷也 三屋郷郡家東北廿四里所造天下
大神之御門即在此所故云三刀矢神亀三年
改字三屋

即有正倉 飯石郡家正東一十二里伊毘志
都幣命天降唑故云伊鼻志神亀三年
改字飯石

多禰郷屬郡家所造天下大神大穴持命與。須
久奈比古奈命巡行天下時稻種随比處故云種
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神亀三年
改字多称
須佐郷郡家正西一十九里神須佐能表
命詔此国者雖小国之處在故我御名者非着本石
詔即己命之御魂鎮置給之然即大須佐田小須佐田
定給故云須佐郷有正倉 波多郷郡家西南一十
九里波多津美命天降生家在故云波多
來嶋郷郡家正南卅二里伎自摩都美命生故
云支自眞神亀三年
改字來嶋
即有正倉
[社]
須佐社     阿邊社  御門屋社   多位社
飯石社以上五所並
在神祇官
 狭長社  飯石社田中社  多加社
毛利社     兎比社  目倉社    井草社
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所以ヘハ飯石(イヒシ)者飯石郷中伊毘志都幣(イヒシトベノ)命唑マス故云飯石(イヒシ)

飯石と号する所以は飯石の郷中に伊毘志都幣命唑す。故に之を飯石と云う。

  • 伊毘志都幣命…「飯石神社島根県雲南市三刀屋町多久和1065 に祭られている。
    • 神國島根」に、この神が「天穂日の子、天夷鳥命云々」等と記してあると紹介しているものがあるが、「神國島根」k83(p133)には、「さて出雲風土記解以來伊毘志都幣命は穂日ノ命の御子大背飯三熊之大人の亦名なるべしと云う説が行はれてゐるが、風土記考には天上より御飯を持降らせ給うた女神といひ、元禄十二年舊藩造営の時の棟札にも御食都命の別稱と見えて居ります。~」と記しており天穂日説を否定している。
      天穂日の子説は内山眞龍の説であり「神國島根」(朝山晧)の説ではない。(元禄12年=1699年)
      ・「出雲風土記解」-下-k02解説で「命を令尒誤本有.伊毘志都幣の御名の意ハ否備鎮米(イナビシヅメ)奈り.()()音便通.穂日命の御子大背(オオセ)三熊之大人(ウシ)の亦名なるべし.~」
      眞龍の妄説が巡り巡って千家参向となり境内案内にも記され、女神が男神に変えられるなどしている。
      「伊毘志都幣命」は記紀に記されていない飯石の固有神であることから、このようなことが生じたのであろう。
      「都幣」については別記する。「都幣」
      「伊毘志都幣」というのは、伊毘志で人々が貢ぎ物を持ち寄り参集し神を祭る場所のことであり、その場所の神が「伊毘志都幣命」であったと理解できる。
      ・雲陽誌飯石郡では「形飯を盛るがごとし、故に其の地を称して飯石という。」と記している。確かに三角おにぎりのような形の石である。
      (飯石神社 神体石)
      http://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/mitoya-t/takuwa/iisi-j/iisi-01.jpg

熊谷郷郡家東北廿六里古老傳云久志伊奈大美等與麻奴良比売(ヒコノ)任身(ハラミテ)
スルニ
ント尒時(ソノトキ)到來(マフキテ)此處(コゝニ)久摩久摩志枳谷(クマクマシキヤ)故云熊谷(クマガヤ)

熊谷郷、郡家の東北廿六里。古老伝へて云う。久志伊奈大美等與麻奴良比売命はらみて、将に産まんとするに及び、もちて生む所を求む。その時此処に到り来て、甚だ久摩久摩しき谷と詔うあり。故に熊谷と云うなり。

  • 熊谷郷…雲南市木次町上熊谷及び下熊谷のあたり。
    本文上部に「谷」と記され、ガエ・ガ井・ガヤそしてタニと傍記している。関老甫が読みを考察したのであろう。
  • 久志伊奈大美等與麻奴良比売命(クシイナダミトヨマヌラヒメノミコト)…ルビは「ヒコ」となっているがヒメの誤り。
    須佐之男命の妻神奇稻田姫命のこととされる。
    上熊谷に「河辺神社」地理院地図がありこの神を祭っている。
    元社地(やや北方正理の谷奥地理院地図)が比売の出産地と伝える。
    ここで生まれた御子は「清之湯山主三名狭漏彦八島篠命」で同じく「川辺神社」に祭られている。
    「河辺神社」に速須佐之男命は祭られていないから、出産の時には居なかったのであろう。
    ここに記された「ミトヨマヌラヒメ」というのが比売の本来の名前で、「奇稻田姫」というのは称名であろうかと思われる。
    又、下熊谷の「竝九神社」地理院地図が縁起地であるという説もある。
    • 「久志伊奈大美等與麻奴良比売命」は通常上記のように読まれているが、少々疑問がある。
      素直に読めば(クシイナオオミトヨマヌラヒメノミコト)であろう。[大]を(ダ)と一音で読むのは、「奇稻田姫命」になぞらえるための無理な読み方である。
  • 久摩久摩志枳谷…周辺が樹林に囲まれた静かで薄暗い谷という意味であろう。

三屋(ミトヤノ)ミツヤ郷郡家東北廿四里所造(ツクリマス)天下大神之御門(ミト)此所(コゝニ)故云三刀矢(ミトヤ)神亀三年
改字三屋
正倉

三屋郷、郡家の東北廿四里。所造天下大神の御門、即ち此所にあり。故に三刀矢と云う。(神亀三年字を三屋と改める)即ち正倉あり。

  • 三屋郷…今の雲南市三刀屋町のあたり。斐伊川水系三刀屋川の下流域にあたる。
    三屋神社」がありこれを(ミトヤ神社)と呼んでいる。地理院地図
  • 所造天下大神之御門…大己貴神が八十神を追った後、「青垣内には入れじ」と御門を作ったという。それが三屋神社の辺りと云う。
    三刀屋川川辺は今は田畑や住宅地となっているが、かつては川幅がもっと広く防塞の地として重視されたのであろう。
    それが「御門」と呼ばれた防塞施設の名づけになっているのだと考えられる。
    「御門」を鳥居だという説があるが、鳥居立てたところで防塞には何の役にも立たない。
    「青垣内」というのは神戸川・斐伊川・三刀屋川に囲まれた一帯を指している表現だと考えられ、大己貴命の直轄地を表しているのであろう。

飯石(イヒシ)郡家正東一十二里伊毘志都幣(イヒシトベノ)天降(アマクダリ)マス故云伊鼻志(イヒシ)神亀三年
改字飯石

飯石(郷)、郡家の正東一十二里。伊毘志都幣命天降ります、故に伊鼻志という。(神亀三年字を飯石と改める)

  • 飯石郡家…「飯石郷郡家」のように「郷」が落ちていると思われるが、細川家本・日御﨑本・倉野本は白井本と同じく「郷」は無いのでそのままにしておく。出雲風土記抄本文・萬葉緯本では「郷」が付いている。

多禰(タ子ノ)郷屬本ノ侭郡家所造天下大神大穴持()須久奈比古奈(スクナヒコナ)命巡リ下フ天下稻種(イナダ子)随比處故云(タ子) 神亀三年
多称

多禰の郷、郡家に属す。所造天下大神大穴持の命と須久奈比古奈命天下を巡り行きし時、稲種をここに(ノコ)す故に種という。(神亀三年字を多称に改む)

  • 多禰郷(多祢郷)…今の雲南市掛合町多根の辺り。大己貴命・少彦名命を祭る「多根神社」がある。地理院地図
    ルビの[子]は既に記したが、干支の「子(ネ)」
  • 郡家…飯石郡家。今の掛合町郡地理院地図にあったという。
    ・出雲風土記抄4帖k02解説「鈔曰此郡家多根郷掛合村中今呼曰郡之處」
  • 屬…[属]の異体旧字
  • 随…したがう意味から(残す)と読む。
    ・細川家本・日御﨑本・倉野本・出雲風土記抄で「多祢郷」
    ・萬葉緯本で「多禰郷」
    ・鶏頭院天忠本k41で「多[礻尒]郷」

須佐郷郡家正西一十九里。神須佐能表命(カミスサノヲノミコト)此国者雖小国之處リト(カレ)我御名者(アガミナハ)ズト(名カ)命之御魂鎮置(ミタマジヅメオキ)(コゝ)然即大須佐田(ヲフスサダ)小須佐田(オスサダ)故云須佐有正倉

・「本石」は「木石」に改める。

須佐の郷、郡家の正西一十九里。神須佐能表命詔う。此国は小国の処に在りと雖も、故、我が御名は木石に着くに非ずと詔う。即ち己れ命の御魂ここに鎮め置き給う。然に即ち大須佐田小須佐田を定め給う。故に須佐郷という。正倉有り。

  • 神須佐能表命…須佐能袁命・素盞嗚尊・須佐之男命・速須佐之男命等と記される。「須佐神社出雲市佐田町須佐730に祭られている。「須佐神社」では「須佐之男命」が祭神名。
  • 本石…「木石」の誤りであろう。
    ・細川家本k51・日御﨑本k51・倉野本k51・出雲風土記抄4帖k05・萬葉緯本k67で「木石」
  • この一文、実は解っているようで良く解らない文である。「我が御名」とあるが、自分の名に[御]をつけるというのも奇妙で、「木石に着くに非ず」というのは木や石を依代としない或いは降臨地名としないと云う意味なのであろうか。判然としない。
    「御魂鎮め置く」というのも、又別に記すが日御﨑に「隠ヶ丘」という場所があり、ここに素盞嗚尊は自らの魂を鎮めたという伝説が残っており、日御碕神社の縁起の一つになっており、この一文と整合性がとれない。
    又、「大須佐田・小須佐田」とは何なのかも実は良く解らない。今須佐郷は佐田町にあたるが、「佐田」は「須佐田」から「須」が落ちた地名なのであろうか。「大須佐田・小須佐田」という地名は須佐郷には残っていない。
    軽く読み流すには疑問の多い一文である。(保留)

波多郷郡家西南一十九里波多津美(ハタツミノ)命天降生唑カ家在故云波多

波多の郷、郡家の西南一十九里。波多津美命天降る生家在り。故に波多という。

  • 波多津美命…「波多神社」雲南市掛合町波多344に祭られている。
    社殿の経緯は多少複雑で、元は志許斐(シコビ)山(野田山)地理院地図を神体山としその麓、宮ヶ峠に在ったという。
    その後、承應2年(1653年)洪水のため社地壊滅。現社地後背の山地理院地図を志許斐山と見たてて、現社地に移転したという。
  • 生家…細川家本k51・日御﨑本k51・上田秋成書入本k44で「生家」。倉野本k52で「生家」とあり[生]に[坐]を傍記。
    鶏頭院天忠本k41・出雲風土記抄4帖k06本文・萬葉緯本k68で「坐家」。
    「天降生家」というのは少々疑問はあるがそのままにしておく。

來嶋(キシマノ)郷郡家正南卅二里伎自摩都美(キシマツミノ)(アレマス)故云支自眞(キシマト)神亀三年
改ム字ヲ來嶋ト
即有正倉

來嶋の郷、郡家の正南三十二里。伎自摩都美命生れます。故に支自眞という(神亀三年字を來嶋に改む)。正倉有り。

  • 伎自摩都美命…伎自麻都美命。「來嶋神社」 飯石郡飯南町下来島3451に祭られている。大己貴命6世の孫という。
    ・細川家本・日御﨑本・倉野本・萬葉緯本・出雲風土記抄・鶏頭院天忠本でいずれも「伎自麻都美命」
  • 波多津美命と伎自麻都美命…津美と都美、同じ読みなのに文字が異なる。「美」を「見」の事だとする説があるが、勝手な変更解釈である。「美」は美称なのであって「見」の意味であるという根拠はない。
    共に「生」で表されるから、人神であり、その土地に生まれた開拓神なのであろう。
    波多津美命の方で、「生家」を「坐処」の誤記とする説があるがこれも根拠はない。あり得るとすれば「天降」とある事から他所で生を受け、この地に暮らしたという意味での「生」なのかも知れない。文字からは秦氏との関係が想起され、「津」を用いているのは海を越えてきたという意味合いがあるのかも知れないが不明。

[社]

須佐社  阿邊社  御門屋(ミトヤ)社  多位社  飯石以上五所並在神祇官

須佐ノ社  阿邊ノ社  御門屋ノ社  多位社  飯石ノ社 (以上五所並に神祇官在り)

  • 阿邊社…河邊社(河辺社)であろう。
    細川家本・日御﨑本・倉野本・萬葉緯本で「河邊社」
  • 多位社
    ・細川家本・日御﨑本は「多位社」
    ・倉野本で「位」に「倍」を傍記
    ・出雲風土記抄4帖k07本文で「多倍社」k08解説で「多倍社者式亦同之是則須佐郷反部村神社也」
    …ここに云うのは佐田町反辺の「多倍神社」地理院地図だが、元来「須佐神社」の摂社であり疑問がある。
    ・萬葉緯本で「多倍社」。「倍」に「位」を傍記し上部注釈に「和名鈔飯石郡田位郷」
    …田位郷は今の雲南市吉田町田位だがそれらしき神社がない。田位地区にあるのは「深野神社」地理院地図で、後に「深野社」と別記されている。
    ・春満考k58で「多位社 今按位ハ倍の誤奈るへし 延喜式尓多倍神社と有を證と寸」
    ・鶏頭院天忠本k41で「多倍社」
    • これらで解るのは「多位社」と「多倍社」の二種類の写本の系列があることである。
      春満は、延喜式を根拠に「多倍神社」としているが、国宝延喜式巻10出雲国飯石郷に5社挙げられているのを見ると「多倍神社」とはっきり読めるわけではない。
      通説では、岸崎の記述を元に佐田町反辺の「多倍神社」とされているが、上に記したように「多倍神社」は「須佐神社」の摂社であり、普通に考えれば「多倍神社」の神官は「須佐神社」から派遣され、神祇官記載もその旨記されていそうなものだが、その様になっていない。
      一方「出雲国風土記」飯石郷の郷名由来で「多禰郷(多祢郷)」が記され、ここは郡家に属すとあるのであるから、神祇官についての記載が無いというのは訝しい。
      思うに、「多位社(多倍社)」というのは「多祢社」の誤記ではないかと思われる。「位」「倍」「祢」の草体は似通っており、書写の過程における誤記が延喜式神名帳にまで引き継がれたのではないかと思われる。
      反辺の「多倍神社」は須佐之男命の十拳劔を奉る神社で「剣大明神上野神社」と呼ばれていたのがいつの頃からか「多米連」或いは「反辺」の関係から「多米・反辺」→「多倍」と変じたものであろうと思われる。

狭長(サナガ)社  飯石田中社  多加
毛利社  兎比(トヒ)社  月倉社  井草社

  • 狭長社…「狭長神社」であろう。「天忍穂耳命」を祀っている。雲南市掛合町掛合2136地理院地図
    ・出雲風土記抄4帖k08解説で「狭長社者多根郷掛合村佐長里加都乎大明神也」
  • 飯石社…六重の「飯石神社」であろう。雲南市三刀屋町六重243地理院地図
    ・出雲風土記抄4帖k08解説で「飯石社者飯石郷六重(ムエ)村伊毘津大明神是也」
  • 田中社…白井本ではなぜか小さく記されている。他書では他の神社と同じ大きさで記されている。
    「三屋神社」の近くにある「田中神社」であろう。「大己貴命」を祀っている。 地理院地図
    ・細川家本では「甲中社」
    ・日御﨑本では「田中社」
    ・出雲風土記抄4帖k08解説で「田中社者右三刀屋郷安田村田中大明神也」
    ・出雲国風土記考証p358解説で「今の一宮(いちのみや)案田(あんだ)の田中大明神である。大穴持命を祀る。給下(きふした)の一宮より南西へ直線で五町半の處にある。」
    一宮というのは「三屋神社」のことであり、案田というのは出雲風土記抄の「安田村」の事であろう。五町半=約600m
  • 多加社・毛利社…「多加毛利社」であろう。
    ・白井本では「多加社と記しており、疑問を持っているようである。
    ・細川家本k51・日御﨑本k51・鶏頭院天忠本k41・出雲風土記解-下-k06・上田秋成書入本k45・出雲風土記全k35で「多加毛利社」(次の「毛利社」はない)
    ・倉野本k52で「多加毛利社」傍記で「多加社」「毛利社」
    ・萬葉緯本k68で「多加社」「毛利社」
    ・出雲風土記抄4帖k07本文で「多加社 毛利社」k08解説で「多加社者三刀屋川上田井郷吉田村杉戸大明神是也 免比社未考 毛利社者三刀屋郷伊加夜村一森大明神是也」
    ・訂正出雲風土記で「多加毛利(タカモリノ)社」(「毛利社」はない)
    ・風好舎敬義筆本k60で「多加社 毛利社」頭注で「多加下一有毛利字」「一本多加社毛利社合而多加毛利社有」
    ・出雲国風土記考証p293解説で「多加(タカ)社 吉田村杉戸谷(すぎとだに)大歳(おほとし)大明神である。大歳(おほとし)命を祀る。訂正風土記には多加毛利社として居る。これは古寫本に一つの(くだり)の終りに多加と書きて、社の字が脱落してあり、その次の行の頭に毛利社があるから、此の二社を一社に誤りたるものであらう。
    毛利(モリ)社 伊萱(いがや)市森(いちもり)大明神である。栲幡千々比賣(たくはたちゝひめ)命を祀る。瓊々杵尊の御母神である。井萱(ゐがや)社と合殿にまつる。」
    ここに云う「大歳大明神」は雲南市吉田町吉田361の「大歳明神(多賀毛利神社)」であろう。地理院地図。出雲風土記抄の「杉戸大明神」も同じ。
    又「市森大明神」は雲南市三刀屋町伊萓1096「井草神社」であろう。地理院地図。出雲風土記抄の「一森大明神」も同じ。
    後藤の云う一行の終わりが「多加」となっているという古写本は不明。
    ・修訂出雲国風土記参究p391本文で「多加(たか)社 毛利(もり)社」参究に後藤の説と雲陽誌飯石郡の記述を容れている。
    但し、雲陽誌では「市守明神」については「一森明神か」と疑問を残しているが、これについては参究では触れていない。
  • 多くが「多加毛利社」となっている。いつの頃からか「多加社 毛利社」と分けられたのであろうと考えられる。
    「多加毛利社」がどこの社に当たるかは小考を要する。
  • 兎比社…「兎比神社」があり「足名椎命・手名椎命」を祀っている。雲南市吉田町吉田1023地理院地図
    ・細川家本k51・日御﨑本k51・倉野本k52・萬葉緯本k68・鶏頭院天忠本k41で「兎比社」
    ・上田秋成書入本k45で「免比社」
    ・出雲風土記抄4帖k07本文で「免比社」k08解説で「免比社未考」
    ・訂正出雲風土記で「兎比(トヒノ)社」

(白井文庫k41)
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深野社  託和社  上社  葺鹿社 △此所
可有

穴見社  神代社  △此印可合栗谷社  志志乃村社以上十六所
不在神祇官

[山]
焼村山郡家正東一里。穴厚山郡家正南一里。笑村山
郡家正西一里。廣瀬山郡家正北一里。琴引山郡家
正南卅五里二百歩高三百丈周一十一里古老傳云
此山峯有窟裏所造天下大神之御琴長七尺
廣三尺厚一尺五寸又在石神高二丈周四丈尺
故云琴引山

石穴山郡家正南五十八里髙五十丈。咋山郡
家正南五十二里有知
野見不見石以三野並郡家
-----
南西四十里有紫
佐比賣山郡家正西五十一里
一百四十歩石見與出
雲二国堺
 本書此所
何モ不見
正西四十一里有杉
城垣野、
郡家正南一十二里有菜
伊我山郡家正北一十九里二
百歩。奈倍山郡家東北廿里二百歩凢謂山野所在
草木萆薢外麻當歸獨活大葪黄精前胡藷蕷
自木女荽細辛白頭公白恐赤箭桔梗葛根秦皮
杜仲石斛藤李楊赤桐椎楠楊梅柘楡松柳
蘗楮禽獣則有鷹隼山鶏鳩雉熊猪鹿猿兎狐飛鼯
[川]
三屋川源出郡家正東一十五里多加山北流入于
斐伊川有年
須佐川源於郡家正南六十八里琴
──────────

深野社  託和社  上社  葺鹿社 △此所
可有

穴見社  神代社  △此印可合栗谷社  志志乃村社以上十六所
不在神祇官


(白井文庫k42)
http://fuushi.k-pj.info/jpgbIF/IFsirai/IFsirai-42.jpg
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引山北流綱乘嶋波々多須仇等三郷入神門
郡間立村此所謂神門河上有年
盤鉏川源於郡
家西南七十里箭山北流入須佐川有年
波多小川源
於郡家西南二十四里志許斐山北流入須佐川有鉄
飯石小川源於郡家正東一十二里佐久礼山北流入三屋
有鉄通道通大原郡堺斐伊川邊二十九里壹
百八十歩通仁多郡堺国堺泉川邊廿二里通神門
郡堺與曽紀村廿八里六十歩通同郡掘故山廿
一里通備後国惠宗郡今惠
蘓郡
堺荒鹿坂卅九里二百歩
經常
有剰
通道通三以郡三坂八十一里經常
有剰
波多々經佐
甫曰備後国十四郡 安那 深津 神石 奴可 沼隈 品治 葦田 甲奴 三上 惠蘓 世羅 三谿 三次 御調
-----
經剰但志都志都美經以上三經常元剰但當有
政時權置耳並通備後国之
       郡司主張旡位置首
       大領外正八位下勲業大弘造
       少領外従八位出雲臣

──────────


『出雲国風土記』仁多郡


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Last-modified: 2018-11-14 (水) 10:57:35 (3h)