神社a
○「神代神社」
島根県雲南市三刀屋町神代236 地理院地図
主祭神:国常立命
神代は(コウジロ)と読む。
「出雲国風土記」飯石郡に「神代社」として記載されている。
・出雲風土記抄4帖k09解説で「神代社者飯石郷神代村久仁加汨加大明神是也」とある。
・雲陽誌k116p219で、神代「久仁加羽加明神 【風土記】に載る神代社なり。」とある。
・出雲国風土記考証p296で「神代社 神代の久仁波賀大明神であつて、國常立尊を祀る。」とある。
六重の「飯石神社」の東方、かつては斐伊川本流の湯村に抜ける古道であったのであろうと思われる峠脇にある。
大原郡との国境の社であったのであろう。
今は未舗装道の突き当たりで、車両は通り抜けできそうにない。道路案内では「この先行き止まり」となっている。
社殿は近年修築されたのであろう。境内も整備中の観があるが参道は古風が漂っている。
(神代神社 参道)
(神代神社 拝殿)
(神代神社 本殿1)
(神代神社 本殿2)
(神代神社 境内社)
(神代神社 境内)
(神代神社 境内柱)
・上に秋葉神社、下に社日神社
- 出雲風土記抄「久仁加汨加大明神」、雲陽誌「久仁加羽加明神」、 出雲国風土記考証「久仁波賀大明神」と異なるのが少々気になる。
出雲風土記抄の「汨」(ベキ)は(沈む)という意味であり、元は太陽が水面下に沈む事を表している。
「久仁加汨加(クニカベキカ)」というのは「国か汨か」という事であろうから「この峠を過ぎれば国を去り下っていく」という意味を表しているように思われる。
「久仁加羽加」「久仁波賀」は意味が掴めない。「羽」は「汨」の草体を誤り、その誤りの読みから「波賀」を充てたのであろう。
共に誤記であろうと思われる。
ちなみに、修訂出雲国風土記参究p394では「出雲風土記抄に「飯石郷神代村久仁加羽加大明神是なり」とあって、~」と記し改変している。
・現在社地の近くに「国ヵ墓」の地名があるという。
掛合西谷の城主 長門守が病気平癒のため湯村温泉に通う中、この地で亡くなったという。
又神代城主神代大炊介もこのあたりで亡くなったという。
いずれにせよ風土記の時代からは遥かに後世の話である。