神社a
◎「富田八幡宮」「勝日神社」
島根県安来市広瀬町広瀬85 地理院地図
・「富田八幡宮」
主祭神:應神天皇
・「勝日神社」
主祭神:大己貴命
「富田八幡宮」の縁起については不明。源頼朝の八幡信仰により鎌倉期に勧請したものであろう。
「勝日神社」は『出雲国風土記』意宇郡にある「加豆比乃社」
古来月山中腹にあったが、保元年間(1156~1159)藤原景清(平景清)が月山に城を築くに際して、月山から対岸に移転。
その際、景清が月山から弓を射てその矢の達したところを社地としたという。富田八幡宮の参道口前に松がありそこが矢の届いた場所として「矢中の松」と呼ばれている。矢中は矢があたったという意味。(古松は枯れ代替わりしている)
「勝日神社」移転の際「富田八幡宮」となったと記している向きがあるが、あり得ない事である。
景清は平氏方であり八幡信仰とは無関係。八幡宮を建てるわけがない。
又いわゆる出雲八所八幡に「富田八幡宮」の名は見られないから、その創建は1185年以前ということはない。
佐々木義景が鎌倉幕府守護として出雲入りし、月山富田城を居城としたのが1221年以降(一説には1185年と云うが疑問)であるから、その際富田八幡宮を創建したものと思われる。
「勝日神社」は明治期に「富田八幡宮」の境内社とされている。
「延喜式神名帳註-下-k166」では「勝日」に(カチヒ)の読みを振っている。
『出雲国風土記』意宇郡では加豆比(カヅヒ)であり[豆]に(チ)の読みはないから勝日は(カツヒ)が妥当。
(矢中の松)
(勝日神社)
(勝日神社 扁額)