◎「日御碕神社」
島根県出雲市大社町日御碕455地理院地図
主祭神:天照大御神・素戔嗚尊
変遷のあった神社である。
上の宮と下の宮に分かれている。
『出雲国風土記』出雲郡で「美佐伎社」・「延喜式」出雲国出雲郡で「御碕神社」
現社殿は徳川家光の命により寛永21年(1644)建立。
参道口は元は宇龍であったが、家光の社殿建立に際し現在のように変更。
・「下の宮(日沉宮)」
祭神:天照大御神
元社地は経島にあったという。地理院地図
元社地に神木を残し、それが百枝棬社(百枝槐社)であるという。
([沉]は[沈]の異体字俗体)
・「上の宮(神の宮)」
祭神:素戔嗚尊
元社地は隠ケ丘にあった。地理院地図
雲陽誌では元社地を秘基神社と記している。
日御碕は、大国主命の父、天葺根命(天冬衣命)のいた土地である。
素戔嗚尊が鎮まる地を求めて柏葉を風で飛ばすと、その葉が隠ケ丘に留まり、そこに天葺根命が素戔嗚尊を祀ったのが上の宮となったという。
又、文島(経島)に天照大御神が降臨し、神勅により天葺根命が祀ったのが下の宮となったという。
社家の小野氏は天葺根命の末裔という。
・「月讀神社」
祭神:月夜見命・高皇産霊尊
境外天一山山頂にある。「雲陽誌」では八束水命が八岐蛇を切った際尾から出た神劔を天葺根命が深夜この山頂から天に奉じたといい、そこに月讀命を祀ったという。地理院地図
月讀命の力を借りて、天葺根命が高皇産霊尊に天叢雲剣を奉じたということであろう。
・「推恵神社」
祭神:小野尊俊
「月讀命神社」参道途中にある。
小野尊俊は日御碕神社神職・検校。松江藩2代藩主松平綱隆により、いわれなき罪を着せられ1674年隠岐へ流罪。1678年没。
原因は綱隆が尊俊の妻を見初めたことに始まる。松江に連行された妻は綱隆の求めを固辞し続けた。綱隆は1675年没。
その後妻は開放され隠岐に向かったがすでに尊俊は死去しており入水自殺。
以後松江藩に凶事が続き尊俊夫妻の祟りと噂され、6代藩主
松江市西川津町に「推恵神社」があり境内「御前神社」で祭神: