言語、特に古代日本語について 文責「風姿」
「大論争」のホームページで、古代日本語についての議論が始まるというか、始める事になりそう。
下書きがてら、資料整理を行っておく。

大論争には縁切りしたので、追記は個人的探求心による。御意見等は歴史ボードにどうぞ。
古事記、日本書紀(以下、記紀)は、原文は漢字表記されている。
その表記は、古代日本語を基にしているという。
一方、古史古伝と言われる一連の文献の中には、神代文字と通称される表記があり、
過去何度か議論が行われてきた。

さて、古代日本において、固有文字が有ったのか否か、記事確認を行いながら記していく事にする。
《天津教事件》
《漢字の伝来》
《万葉集》
《朝鮮の言語》
《上代古語》
《豊国文字》
《サンカ文字》

《アイヌ語》
アイヌ民族はこれまで文字を持たない民族であるとされてきたが、
アイヌ語の中に「ユビン」という言葉があり、これは(=文字)を意味する。
同様に、「イキリ」(=数・文字・縫い目)、「ノカハ」(=像・地図・絵)、「フンダ」(=筆記具)、など、文字に関わる表現があり、
近年アイヌ文字ではないかと考えられるものも好事家により提示されている。

《戦争と言語強制》
帝国主義時代、世界の「列強国」が植民地を海外に作っていった時、その植民地には言語の強制を行った。
帝国日本が朝鮮併合を行ったとき、日本語の使用を朝鮮民族に強制した。
琉球、台湾に対しても、アイヌに対してもおなじであった。

支配者が被支配者に支配者の言語の使用を強制するのは、歴史の示すところである。
そして支配者の用いる言語を使えない被支配者を劣等民扱いするのである。

江戸幕末から明治維新期にかけて、外国語の摂取に努めてきた時期がある。
これは世界史上奇妙な状態であった。つまり、国内各藩が、幕府の政治的弱体化により、内乱状態になった時期で、
国内での主導権獲得のために、海外勢力の文物を摂取しようとしていた事による。

鎖国により、世界情勢から取り残され国際感覚を失っていた事もあり、言語文化に対して深い自覚を持っていなかった事とも相まって、時の文部大臣「森有礼」が、フランス語を母語にしようと主張したような事も起きた。


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