《天津教事件》
茨城県北茨木市磯原町に、「皇祖皇太神宮天津教」という宗教法人がある。
ここは、武内(竹内)宿禰の末裔を称する、竹内家の神社でもあり、代々伝えられてきたという資料約3000葉が保存されていた。
この資料を通称「竹内文書」という。
戦前、66代宮司竹内巨麿の時、この資料の一部が公開された。
天津教は、天皇家の紋章である菊花紋を使ったという咎で、「不敬罪」に問われ、竹内巨麿は逮捕された。
これを天津教不敬事件と呼ぶ。事件は最高裁まで争われたが、結果を先に述べれば、竹内巨麿は無罪となった。無罪理由は、これは宗教上の教義問題であり裁判になじまないという事であった。
一方、竹内文書の批判は、元京都大学文学部長、狩野亮吉氏の「天津教古文書の批判」(岩波書店)により行われた。
狩野氏は以前天津教信者から貰ったという5枚の文書の写真を用いて、批判を行った。
その中の一枚に「神代文字」で記されたものがあった。
 この解読は、狩野氏自身の手で行われた。
狩野氏は、ここに記された記号を、50音表にあてはめる事から始め、当てはまらない記号は誤字・脱字として、
狩野氏自身が訂正したのである。

photo (狩野氏の解読した竹内文書)

この批判に対する反論は、ついに行われることはなかった。と言うのも、天津教関係者は特高警察に逮捕拘禁され、弾圧を受けて居たからである。

その後、この狩野氏の批判が神世文字に関する学界の定説となり、議論の俎上に上ることなく現在に至っているのである。

by「風姿」
良く神世文字に対して行われる批判の中に、「神世文字はアイウエオ50音で構成されており、これは平安中期以後の音である為、上代古語といえない」というものがある。この様な批判が的外れなものであることは、以上の事から明らかである。
つまり、狩野氏の解読において、最初から50音表への割付が行われているからである。
最初に割り付けておいて、割付からはずれるものを除外し、割り付けられているから駄目というのは、論理矛盾である。
狩野氏は古文書の真偽鑑定を行ったのであり、神代文字の真贋鑑定を行ったのではない。という議論がある。
これは奇妙な論である。というのも、狩野氏が鑑定したのは、写真であり、現物ではない。


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