神社a
○「加夜堂」(加夜社)
島根県出雲市多伎町多岐1542 地理院地図
『出雲国風土記』神戸郡に記された「加夜社」。
「阿陀加夜努志多伎吉比売命」を祀っていたようであるが、神仏習合で仏堂となり、地元では観音堂と呼ばれている。
観音菩薩ではなく大日如来を祀っていたようである。
大日如来は「天照大神」であり、又十一面観音でもあるので観音堂と呼ばれているのであろう。
「阿陀加夜努志多伎吉比売命」はこの地域の開拓神であり、多伎地域を人の住めない場所から人の住める場所にしたと伝えられている。
この地域における「阿陀加夜努志多伎吉比売命」は始祖神であり、それ故「天照大神」になぞらえられたものと思われる。
周辺は墓所のようになっている。
(加夜堂)
(加夜堂)
(加夜堂)
(加夜堂 堂内)
・3つの厨子があるが左右は空であった。(掃除道具があったので掃き掃除だけはした)
(加夜堂)
・中央厨子に像。仏像ではないようであり、阿陀加夜努志多伎吉比売命の像であろうか?不明。
(加夜堂)
・拝壇右手にまとめられた石仏
(加夜堂)
・拝壇左手
(加夜堂)
・堂の脇に石仏
(加夜堂)
・誰かの顕彰碑のようである。
(加夜堂)
・東側尾根筋を少し登ると階段があった。
(加夜堂)
・標高74(m)のピーク。
- お堂は島根半島に向いておらず、北の海に向かって建てられている。
訝しく思い山中を歩いてみたがそれらしい遺構はなかった。
途上丸石の散乱している場所があった。土壌は粘土質であり、他所から持ち込まれたものと思われる。
偶々溜め池の掃除に来られていた方に聞くと、以前は別にお寺があったと伝えられていると云う。
又、山陰自動車道を超えた所に良い筍のとれる竹林が有り、そこに遺跡が残っていたと云う。何の遺跡かは不明。
今は分断され行けなくなっているらしい。
トンネルを通す計画があったらしいが未だ実現されていない。