神社a
○「求院八幡宮」
島根県出雲市斐川町求院731地理院地図
祭神:誉田別命・息長足姫命
瀛津嶋姫命・湍津姫命・田心姫命
境内社:「浮島神社」伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇御神
境内社:「鵠神社」古事記:伊邪那美命・誉津別命・湯河板誉命
境内社:
・「木山社」吉備津彦命・素戔嗚尊
・「稲荷社」稲倉魂命
・「宝殿社」武内宿禰・少彦名
・「石宝社」菅原道真
・「社日社」天照大神他
- 瀛津嶋姫命・湍津姫神・田心姫神…宗像の三女神であるが、読み方が少々変わっている。
・瀛津嶋姫命ウミツシマヒメノミコトと呼んでいるが、普通はオキツシマヒメノミコトで市杵島比売命の事
・湍津姫命ハヤツヒメノミコトと呼んでいるが、普通はタキツヒメノミコトで多岐都比売命
・田心姫命タキリビメノミコトと呼んでいるが、普通はタゴリヒメノミコト
- 宗像三女神は古事記と日本書紀で神名が異なり、混乱が多い。(宗像大社でも時代により祭神の変動がある)
- 由緒によれば、古くは「浮島神社」が奉られていた。鎌倉期に八幡宮を奉安置、室町末に改めて宇佐から八幡宮を勧請。
- 鵠…兵庫県豊岡市の「久久比神社」では鵠はコウノトリ。
宍道湖周辺で現在よく見られるのはコハクチョウである。以前はハクチョウと呼んでいたが今は他と区別するためコハクチョウと呼ぶ。和名白鳥(はくちょう)というのはコハクチョウを指す。
宍道湖周辺では現在コウノトリは見られない。オオハクチョウは極稀に見られるという。
コハクチョウは全身白い鳥であり、数十羽、ときに数百羽の群れを作って飛び、水辺の葦原などに巣を作る。
コウノトリは尾などが黒い。
鵠の話は、記紀で出雲大神の祟によりもの言えず育った垂仁天皇の皇子誉津別皇子が鳥の群れをみて初めて「これは何物ぞ」と声を発した話として記されている。
説は色々あるが、白鳥の群れの中に黒い羽根を持つ鳥が混じっていたことから、その鳥を指して声を発したのであろうから、これは鵠すなわちコウノトリであろう。
「求院」は地名であるが、元は「鵠村」と呼ばれ、垂仁天皇の命を受けた天湯河板挙命は鵠村の宇屋江にあった宇屋池で鵠を捕まえたという。その功により鳥取の姓を与えられ、鳥取氏の祖となったという。
又誉津別皇子は鵠と遊ぶうちに次第に言葉が話せるようになったという。
- 宇屋江の宇屋池というのは定かではないが、この池かと思われる。地理院地図
この近くには古くは錦織氏の築いた宇屋城があり今の「神代神社」の社家でもあった。
今は宇屋谷を流れる宇屋川と神庭谷を流れる神庭川が合流し新谷川となり、新建川に合流して宍道湖に注いでいる。
江戸期に宇屋江は新田開発の為埋め立てられたのであろう。
(求院八幡宮 社叢)

(求院八幡宮)

(求院八幡宮 案内)

(求院八幡宮 社殿)

(求院八幡宮 拝殿扁額)

(求院八幡宮)

(求院八幡宮 本殿)

(求院八幡宮 浮島神社)

(求院八幡宮)

(求院八幡宮 鵠神社)

(求院八幡宮)

(求院八幡宮 荒神社)

(求院八幡宮 稲荷社・木山社)

(求院八幡宮 寶殿社・石寶社)

(求院八幡宮)

(求院八幡宮 社日)

- 境内「鵠神社」祭られる「誉津別命」は垂仁天皇の御子「本牟智別気王」の事であろう。
出雲市所原の「富能加神社」に祭られる「本牟智別気尊」「肥長毘賣尊」に関連する話は「求院八幡宮」には伝えられていないようである。
古くは「浮島神社」があったということから、このあたりは斐伊川の河畔地域だったと考えられるが、古事記にいう「檳榔長穂宮」というのはこの地にあったのかと思われる。
ちなみに、近くの斐伊川は標高12.4(m) 、現社地標高は11.9(m) である。