○「宿努神社」
島根県出雲市多久谷町1141地理院地図
主祭神:多伎都比古命・天御梶姫命
今は(すくね神社)と呼んでいるようであるが訝しい。
出雲市西林木町の「伊努神社」は(いぬ神社)と呼ばれており、『出雲国風土記』出雲郡伊努郷の地名縁起となっており伊努郷は(いぬ郷)と呼ばれている。
又、出雲市美野町「伊努神社」も(いぬ神社)と呼ばれている。
「訂正出雲風土記 楯縫郡」では「
これらのことから「宿努神社」は(すくぬ神社)と呼ぶのが正しいと思われる。
・出雲国風土記抄には宿努社は不知としている。
・雲陽誌では、楯縫郡-3- 多久でk44畑蔵王權現として、「~滝二ヶ所あり、雄滝雌滝といふ」と記されている。これを宿努社に当たると見る向きもあるが、おそらく違う。
蔵王権現は修験者の奉ずる本尊で奈良吉野の金峯山寺から勧請したものであろう。
現在虹ヶ滝の傍に置かれている祠には不動明王像が置かれている。
(すくね神社)と呼ぶようになったのは、後藤が「出雲国風土記考証」p190で「
今は上流に多久谷畑浄水場が作られ、それに通じる道路が作られている。
元は今の「宿努神社」に通じる山道が要路であり、虹ヶ滝(雄滝・雌滝)を迂回していたのであろう。
そこに鳥居を据えた為古い街道が「宿努神社」の境内のようになっている。
「宿努神社」を更に進むと、数件の民家跡があり、又山道の跡もある。
藪化しているが、多久谷畑浄水場に通じる県道に通じている。
その先を更に行けば出雲峠(神名樋山)を超え坂浦に向かう。
(宿努神社)
・本殿裏に注連縄が置かれている。
房がついていることから鳥居の注連縄を掛け替えた古い方のものであろう。
この谷方向に多伎都比古命が生まれた際使ったと伝える長滑滝があり、そこへの道があったことによるのであろう。