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長野県松本市里山辺薄町2785 地理院地図
主祭神:
例大祭:5月5日 お船祭り
・近隣地区から船形2輪の山車が出され、宮入参詣する。9雙集まる。前後が揺らされたり回転したりでなかなかに激しい。
Youtubeに動画が多数あげられている。
近くに「須須岐水神社古宮」地理院地図があり、東方に「須須岐水神社奥宮」地理院地図がある。
里山辺の社は「須須岐水神社里宮」とも呼ばれる。
薄川は薄水と記されていることもある。
この辺りは筑摩山地を水源域とする扇状地であり、今は薄川が松本の市街地に向けて流れているが、古来氾濫が繰り返され、川筋は一定ではなかった。薄水・須々岐水という表記は、ススキの生える水流域ということであったのであろう。
「薄川の神」は奥宮のある大明神平に降臨しススキの舟に乗って薄畑にやってきたと伝える。その際ススキの葉が石に擦れて片葉になりそれを御神体としていたが、御神体は年降るうちに失われ、その後はススキを植栽し祭るという。
(一部にススキ舟を笹舟とするものがあるが誤りである。wikipediaに誤りを投稿したものが居りそれをコピペして拡散している)
「薄川の神」は又素戔嗚命であるとも云い、治水を行い稲作のできるように開拓したという。
延暦18年(799)高句麗からの渡来人
鎌倉時代諏訪大社上社
現社殿はこれ以後のものであり諏訪神社であったのであろう。
・「信府統記」享保9年(1724)巻六k21に「薄宮大明神」として縁起が記されている。国会図書館デジタルアーカイブ
(須須岐水神社)薄宮大神

・現社殿は元は「諏訪神社」であり、それ故今でも御柱が立てられているのであろう。こちらが本来の「須須岐水神社」だったと思われる。
神楽殿とされているが拝殿と思われ、御神体が片葉のススキであったためこの先に薄宮大神が奉られていたと思われる。
(須須岐水神社)桜之宮

・聖徳太子を祭っている。
「須々岐水神社」の北西(600m)に〈
〈兎川寺〉は「須々岐水神社」の別当寺であった。
聖徳太子(厩戸皇子)がこの地方に名馬を求めてやってきたという。
記紀に記載はないのでその名から想定されたものかと思われる。
(須須岐水神社)桜之宮

・熨斗瓦部分の装飾に「聖徳太子」の文字。
(須須岐水神社)宮司家墓所

・左に「袴越山」 右に「宮入山」、奥に「美ヶ原」のある「王ケ頭」
・ススキは茅葺屋根の屋根材として古くから使われてきた。通気性が良く保温・撥水する。
ススキは葉が薄いので[薄]の字が充てられた。又葉先がトゲ状であるため[芒]とも記される。
ススキの穂は尾花と呼ばれる。
又、お月見で飾られるように穂は神の依代とされ、茅の輪くぐりでは邪気除けとしても使われる。
茅(カヤ・チ)というのはススキやアシなどの総称で部位により使い分けされる。