『出雲国風土記』

『出雲風土記抄』

岸崎時照の『出雲風土記抄』は現在島根大学図書館と国立国会図書館で書影が公開されているが、
ここでは島根大学図書館桑原家旧蔵本をベースに文字起しを行う。(必要において国立国会図書館藤浪氏旧蔵本を取りあげる)


『出雲風土記抄』桑原本第1帖k07

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夫六十餘國之廣矣五畿七道之盛矣多
不聞先代之風土記漏残于世吁惜哉此
書之残闕誤字夥矣難尒有此消解則後
世博洽之士不探略而得詳革誤而歸于
正也乎然則君之此奉其豈曰少補之哉
於乎此書
天和三陽月日
      杵築松林野衲法印宏雄
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出雲國風土記
 國之大體首震尾坤東南宮北属海東一百
 卅七里一十九歩南北一百八十三里一百
 九十三
  一百歩
  七十三里卅二歩
  得而難可誤
   鈔曰國之震者以能儀郡母里郷為首
   坤者以飯石赤穴村為国之尾也東西
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  • 於乎此書…
    ・藤浪氏本では「於是乎遂書」
  • 天和三陽月日 杵築松林野衲法印宏雄…
    ・藤浪氏本では日付を後に記し「杵築松林寺法印破衲宏雄 天和癸亥歳冬十二月日」となっている。
    天和三年癸亥は1683年。「陽月(ヨウゲツ・ヒヅキ)」は陰陽の陽で偶数月の意味。十月を指すと云う。
    「衲」(ノウ)は僧衣の事で、「破衲」は破れた僧衣を意味し僭称に用いられる。同じく「野衲」は雲水僧を意味するのであろう。
    「法印」は僧侶の位階で「法印大和尚位」の略。最高位。
    「松林寺」は出雲市大社町杵築東641にある。真言宗醍醐派。

(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k08)

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k09)

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k10)

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k11)

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k12)

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意乎()尒御杖立而意惠登詔故云意宇 所謂
意宇

 ()者郡家東北辺田中在塾是
也国八歩許其上有木以茂

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k13)

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(『出雲風土記抄』桑原本第1帖k14)

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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k29

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 乎可笑矣
諸山野所在草木草薢百部根女委夜
于商陸独活葛根薇藤李蜀椒楡赤桐
白桐椎椿松栢禽獸則有晨風鳩山雞
鵠鶉ツクミ楮鹿狼兎狐猕猴飛鼯也

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  • 鶉…[亠/里 鳥]。書影では偏はナベブタに里。ツクミと傍記されている。ツグミは「鶇」である。
  • 楮…楮は(コウゾ)であるから「猪」の誤記であろう。

『出雲風土記抄』桑原本第3帖k30

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 鈔云出雲川河源鳥上山雲伯両國堺仁多郡横
 田郷竹埼(タケサキ)俗呼曰舩通山所謂素戔嗚尊
 (ヒキヰテ)子五十猛神(クタ)到於新羅國云云遂
 埴土(ハニツチ)作舟(ノツテ)之東到出雲國簸川上所
 在鳥上(ダケ)云云蓋舩通山是也祭横田郷
 五十猛神俗呼云伊賀多気大明神又是也

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意保美小川源出雲御埼山北流入大
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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k31

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有年魚
少々

 鈔云出雲郷御ハ埼山者指宇加山第一峯杵築今
 山此川出此山ヨリ下稍合流鰐淵寺川宇賀
 郷川下村入于大海
池江頂池周二百四十歩須々比池周
二百五十歩西門江周三里一百五十
八歩東流入于海

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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k32

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 薗三里一百歩廣一里二百歩
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松繁多矣即自神門水海通大海江長
参里廣一百廿歩此則出雲与神門二
郡堺也
凡此海所在雑物如楯縫郡説但鮑出
雲郡尤優所捕者所謂御埼海子是也
 鈔云池江頂池須々比池西門江大方江二江此等
 水澤リヤ出雲郡三部市久木庄原海辺
 歴而遂成耕田平原ノミ 比太海埼者楯縫郡
 古津浦トノ川下浦堺川下古タリ出雲郡今属楯
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  • 三部市…今は「三分市」
  • 久木(ヒサギ)…久木という地名は今は残っていない。斐川村が六村合併により成立し町制施行した際に久木村は消失(1965年)。今の出雲市斐川町福富の辺り。

『出雲風土記抄』桑原本第3帖k33

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 縫郡意保美濱則川下浦有同處海中気多嶋
 井呑濱宇太保濱者共出雲郡井呑今楯縫郡ニテ

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 御厳嶋御厨嶋等々嶋恎聞埼意能保濱
 栗嶋黒島這田濱二俣濱門石嶋等自日御埼
 到ルマテ杵築伊奈佐濱之或海嶋或海濱名也

 薗長二里二百歩今十九町四十間廣一里二百歩
 今九町二十間薗村古出雲郡今入神門郡中
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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k34

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 至ニス

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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k35

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神門郡
合郷[木別]
廾二
餘戸驛家神戸

 鈔云按スルニ此記郷八餘戸一驛二神戸一和名鈔ニハ
 (アラタメテ)餘戸伊[禾共](イチゝヲ)為郷也又古者杵築郷入出
 雲郷(イマ)神門郡為十郷又到マテ干宇峠
 佐伎宇龍御﨑浦及濱薗松山共以杵築
 郷ニテ入出雲郷則為神門郷中
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[木別]…「捌」であろう。行書体では手偏と木偏は判別しがたい事が多々あるので、岸崎が参照した元本が行書体で記述されていたのかも知れない。


『出雲風土記抄』桑原本第3帖k36

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 朝山(アサヤマ)郷  今依前用 里二
 (ヲキ)郷   今依前用 里参
 鹽冶(エンヤ)郷  本字止屋 里参
 八野(ヤノゝ)郷  今依前用 里参
 高岸(タカキシ)郷  今字高峯 里参
 古志郷  今依前用 里参
 滑挾(ナメメノ)郷  今依前用 里二
 多伎(タキ)郷  本字多吉 里参
 餘戸里
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 挟結(サイフ)驛  本字最邑
 多伎(タキ)驛  本字多吉
 神戸里
所以號神門者神門(ヲミ)伊加曽然之時
神門貢之故云神門即神門臣等自古
至今常居此處故云神門
 鈔云古志川(ホトリニ)有墓俗呼号神門塚
 門臣等[葬]埋之地乎而(イマ)往往有神門氏者蓋
 又往古(ソノカミ)神門之裔孫乎或土民或巧道等也
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[葬]の足部分は「寸」



『出雲風土記抄』桑原本第3帖k37

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朝山郷郡家東南五里五十六歩神魂
命御子真玉著玉(マタマツケタマノ)邑日女(ムラヒメ)命唑之尒
時所造天下大神大穴持命娶給而毎
朝通坐故云朝山
 鈔云古之五里五十六歩者今之卅町五十六間則
 當レリ路尺神朝山(カミアサヤマ)セテ西馬木(マキ)宇奈手(ウナテ)()
 (シリ)薭原為朝山郷也又書朝山
 郷里二其一以野尻薭原宇那手為一里其二
 以馬木村(スル)一里者也今俗呼朝山廿五箇村
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 称スルノ下朝山諸村者盖中古有朝山氏某私領廿
 五箇村故曰朝山廿五箇村者也然ヘノ之朝
 山スル之五箇村(ノミ)
(オキ)者郡家正東四里志紀嶋(シキシマ)宮御宇
天皇(スメラミコト)之御世(オキ)伴部等所遣(ツカハシ)宿(ヤトリ)(トゝマテ)
(ナスノ)之所故云置郷

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「盖」は「蓋」の異体字。(けだシ)



『出雲風土記抄』桑原本第3帖k38

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鹽冶郷郡家東北六里阿遅須枳高日
子命御子塩冶毘古能命坐之故云止
神亀三年
改字塩冶


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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k39

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八野郷郡家正北三里二百一十歩須
佐能表命御子八野若日女命坐尒時
所造天下大神大穴持(マサニ)娶給(メトリ玉ヒテ)為而
令造(ヤヲ)故云八野

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『出雲風土記抄』桑原本第3帖k40

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高岸郷郡家東北二里所造天下大神
御子阿遲須枳高日子命甚晝夜(ナキ)マス
仍其高屋(タカヤ)可坐マス之即建高椅可登
(ヒタし)奉故云高岸 神亀三年
改字高岸

 鈔云従郡家今十二町者相當ルヲ塩冶村俗高西
 地辺西天神村東北渡橋村中阿利原以為高
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 岸也先所謂塩冶之諸士成家宅後忘高岸
 旧號○皆入ルト云塩冶村中是也

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  • 鈔に云う。郡家に従う。今の十二町は塩冶村俗に曰う高西の地辺りにあたる。あわせて西は天神村、東北は渡橋村の中阿利原をもって高岸の郷と為す也。先にいわゆる塩冶の諸士、家宅を成して後、高岸旧號を皆忘れて塩冶村中に入るという是也。


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Last-modified: 2018-06-18 (月) 00:55:25 (4d)