小学校に通う道は、畑を抜けて小川に沿って、 二人並んでは歩けないような小径であった。 閉鎖された映画館の裏に出て、壊れた物置小屋をくぐり抜け、 一度は旧街道を横切り、再び路地裏を通っていく。 帰り道は小石を蹴りながら、石の転んだ方に任せて帰る。 山に向かったり、川に向かったり、家とは全然逆の方向に向かうこともある。 見知らぬ家の庭を通り抜けたり、通りがかりの友人の家に上がり込んだり、 日が暮れるまで時間を気にすることなど無かった。 小径の傍には四季があり、枇杷や柿、蜜柑・無花果・柘榴等 色々なものを味わうことが出来た。 枇杷の木は木塀に囲まれた古屋の庭から、鬱蒼と茂り出ていた。 柿の木は畦沿いに、何本も立っており、それぞれ少しづつ甘味が異なり、 最後まで残るのが渋柿であった。 鳥たちは、そういう渋柿でもつついており、渋味を感じないのかと不思議に思っていた。 春先には蓮華が花開く。 蓮華畑に座り込み、蜜蜂を真似て、吸ってみるのだが、一向に甘くない。 これでどうして蜂蜜が出来るのか、これも不思議なことだった。 麦畑では、中に真っ黒な穂を持つ麦があり、これを見つけるのが楽しみであった。 白シャツに一振りすれば煤痕がつくのだから、これは無敵の宝刀なのである。 学校が早く終る日には、学校裏の山に登る。 そんなに高い山ではなく、木々も生い茂ってはいない。 道々スイバを探す。喉の渇きはこれで間に合う。 瀬戸内海が一望できて気持ちよい。 頂上を超え少し下ると、池がある。 自然のものなのか、人工のものなのか良く解らない。 ここで蛙やトンボと遊ぶのである。 給食残りの麺麭を草で結わえ、池に垂らす。 これで蛙が釣れる。 食いついたら、ぐるぐる回して「飛んでいけー」と飛ばすのだ。 ひとしきり遊んだら、山を下る。 登ってきた道を戻れば速いのだけれど、山越えしたついでにそのまま下る。 下りきったところに、同級生の家がある。お寺なのだ。 本人が居ようと居まいと関係なく、本堂に上がり込み、如来さんに見守られながらお昼寝。