[[メモ]] 足一騰宮(あしひとつあがりのみや) 神武記にある。 古事記では「足一騰宮」と記されており、日本書紀では「一柱騰宮」と記されている。 読み方は共に(あしひとつあがりのみや) 日本書紀の表記は、なにがしかの錯誤によるものと思われる。 「一柱」を(あしひとつ)とはどう転んでも読めない。 それはともかく、この宮に関して、候補地が3ヶ所あり。いずれも決め手を持たないままで居る。 というのも、本居宣長が「古事記伝」でこれを、「川岸の山へ片かけて宮を構え、一方は流れの中に大きな柱を一つかけて作った宮か」などと記したことから混乱が始まったのである。 「足一つ上がり」とはどう云うことなのか、片方の足が水中にあるなどと云う話はどこにもない。足であって柱ではない。なぜこういう当たり前のことを、宣長のような奇怪な解釈をする必要があるのか??またそれを真に受けるのか??不思議でならない。 「足一つ上がり」というのは、「一歩で上がることが出きる」という意味であり、「饗宴のために簡単に設えた」というほどの意味でしかない。 そうしてみれば、川辺でなければならないなどという奇妙な根拠は無用となるわけで、 3ヶ所ある候補地のいずれが正しいかは自ずと明かである。 即ち、安心院の妻垣神社がこれと断定できるのである。