[[メモ]] 移動しました 1790年(寛政2年)、徳島藩主・蜂須賀治昭が神職・早雲伯耆の進言を受け、各集落に地神碑を建てさせ、春分・秋分に最も近い戌の日に地神祭を行うように触れを出した。その数約2000柱という。 http://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?-%E4%BA%94%E8%A7%92%E6%9F%B1%E5%9C%B0%E7%A5%9E%E7%A2%91 岡山県下では、吉備中央町(旧加茂川町)の天明七年(1787)のものが最古と云われる。 出雲では、島根県八束郡鹿島町南講武602の多久神社で確認。社日祭と呼ばれる農耕祭で奉られてきた。 長野などでは作神様と呼ぶ地域もある。 ---- どうやら中国伝来の農業祭で地の神を奉り豊作を祈願したもののようである。