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幼名「惣太郎」文政7年3月10日生まれ
天保9年(15歳)江戸遊学に際し「良庵」を称す。良庵は祖父の名でもあり、医家として「村田良庵」が代々受け継がれていた。父「孝益」は養子だった為、名乗っていない。

江戸遊学は藩主の江戸出府に際し、藩士木村某の連れとして孝益が頼みこんだ。

4年の遊学の後、父の病の報を機に帰国。

防府の蘭法医「梅田幽斎」の門下に入る。(医学・蘭学)
幽斎の紹介で、日田「広瀬淡窓」の門下に入る。(漢学・儒学)
長崎遊学を志し、父の了解を得るため一旦鋳銭司に戻ったが、幽斎の勧めにより大阪「緒方洪庵」の門下に入る。


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