メモa
古事記伝-ミ
- 宣長古事記伝巻1、
- 神のミ、草木の実には、「微」をのみ書きて、「美」を書かず
とある。
書記で「美」が用いられた部分というのは、ここから考えると、
かなり示唆に富んでいるように思われる。
ところでこの件、岩波文庫版に関して以前記した、
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h-genngo/5h-genngo-a5.htm
p86 =p247 加牟「神」加是能
p138=p272 加牟「神」菩岐
に関しては、どう理解すればよいのか?・・
カミとカムは、本質的にどこか違いがあると、宣長が認識していたという事なのか??
「微」は大きさが小さいという事を顕わしている訳であろうから、
古事記世界に於いては元来神は少彦名命のように小さき者、
という認識が前提としてあったのであろうか?
神が巨大化するのは、王権成立後、微が美と変り行く中での出来事であったのかも知れない。
そこには何らかの政治的意図が込められていたと理解するのが妥当なのかも知れない。