神名解題a

「阿陀加夜努志多伎吉比売命」

・出雲市稗原町の「市森神社」によれば、父が「大国主命」、母が「玉邑比売命」。

・米子市橋本の「阿陀萱神社」によれば、父が「大国主命」、母が「八上比売命」。出雲国の直江で生まれたという。
出雲国直江は今の斐川町直江であり、ここには「御井神社」があり八上姫が木俣神(御井神)を生んだと伝える。

八上比売の父母神は知られていない。
(「因幡故事編」に八上姫の父を安蔵(アソウ)長者と呼んでいるとの俗諺があると記している。又「河原町町史(昭和34年版)」には鳥越長者が父であるという伝承があるという。但しこれら長者の話は太古の八上姫ではなく中古における同名別人の八上姫の話のようである。)

玉邑比売の父は神魂命である。

木俣神(御井神)と云うのは名付け前の幼子の呼び名であろう。
八上比売が因幡に帰ったため、引取り育てた養母が玉邑比売であったと考えられる。

阿陀加夜努志というのは、「阿」は山の奥まった所、陀は[阜+它]で[它]は象形で蛇のように曲がりくねった様子を表す。
すなわち「阿陀」は曲がりくねった山道の奥という意味である。
加夜は、茅・萱であり、油分を含むので茅葺き屋根の材料として用いるチガヤ・ススキなどを指す。

従って、阿陀加夜努志は阿陀茅主であり、山の奥まった場所にある茅を採る為の里の主という意味であり、「多伎吉比売命」が名であろう。
『出雲国風土記』神戸郡で多伎郷の地名由来となっている。
「多伎神社」西方に「加夜堂」と呼ばれる仏堂があり、元は『出雲国風土記』神戸郡記載の「加夜社」であり、阿陀加夜努志多伎吉比売命を祀っていたという。

・「秋鹿村誌」奥原碧雲著(秋鹿村教育會:大正11年7月20日刊/Googlebooksで閲覧可能)によれば、-下-p125で「内神社」祭神について「~高姫命亦名下照比賣命亦名稚國玉神亦名阿陀加夜奴志多伎吉比賣命亦名大倉比賣命」と記している。
奥原碧雲は「竹島及鬱陵島」の著作で知られる史家・歌人・教育者で信頼度は高い。


「阿陀加夜努志多伎吉比売命」は大己貴命の長女であり、「阿遲須枳高日子命」の異母姉である。妹ではない。
古代に於て、「妹」の文字は姉・妹・妻のいずれにも用いられたため混乱を生じている。
高屋で育てられた「阿遲須枳高日子命」の世話をしていたので、下照比賣命と呼ばれていたのであろう。
高姫命とも呼ばれたという。

出雲国造神賀詞では「賀夜奈流美命」と称される。

高天原からやってきた天若日子命と結ばれ益田市の石谷で暮らし「若宮神社」に祭られているが、天若日子命が亡くなった後には、出雲に戻り、さらに伯耆国に渡り、「倭文神社」の地でなくなったと伝える。

松江市雑賀町の「賣豆紀神社」では下照比賣命として祀られている。
出雲の神在祭の時には、祭りが終わって神々が出雲から帰国する前に元社地に立ち寄り下照姫(多伎吉比売)の接待を受けたという。
居心地が良くて、なかなか国に帰ろうとしない神々もいたという。


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Last-modified: 2024-04-19 (金) 01:57:00 (1d)