神名解題a

「天津彦彦火瓊瓊杵尊」
(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)書紀
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と栲幡千千姫の子

古事記では「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(アメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト)」「日子番能邇邇藝命(ヒコホノニニギノミコト)
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命と萬幡豊秋津師比賣命の子

  • 以下「瓊瓊杵尊」

天孫降臨神話で、瓊瓊杵尊は鹿児島県国分市を通過後、鹿屋市古江港から出港し、上陸地は現在の鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬海岸と云われている。
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  • 瓊瓊杵尊上陸地 -

言い伝えでは、瓊瓊杵尊は野間山中で暮らし、成長後吹上浜で塩土老翁(シオツチノオジ)事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサ))に出会い、その紹介で大山祇神の娘鹿葦津姫(カシツヒメ)木花之開耶姫(コノハナサクヤヒメ))を娶った後笠沙に宮を構えたという。


天孫降臨神話がどうにも怪しいのは、この上陸地点とこの地域での隠棲にある。
云ってしまえば九州の南の果てであり、野間岳を歩いてみると、樹木が生い繁りとても快適に暮らせるような場所ではない。
いかにも逃避行後に密かに隠棲したという以外の表現がし難い場所である。
上陸地から5kmばかり北に「姥」という地名があるが、瓊瓊杵尊を姥が育てたことに由来するという。
この付近もかなりの傾斜地で、生活環境としてはかなり厳しいものがある。稲作などできる場所ではないのは云うまでもない。
記紀の記す通りに出雲国譲りが行われたのであれば、何を好んでこのような南の果てに辿り着かねばならなかったのか全く理解しがたい。この件又別記する。


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Last-modified: 2015-07-16 (木) 10:56:15 (3206d)