神社a
◎「加多神社」
島根県雲南市大東町大東362 地理院地図
主祭神:少彦名命
祭神:大己貴命・神阿多津姫命
『出雲国風土記』大原郡記載の「加多社」
「延喜式」出雲国大原郡記載の「加多神社」
「大原郡一の宮」と称されていたという。
「加多」は「神田」の転じたものと云うが疑問。(かた)であり(かだ)と呼んでいない。
南方に「神田」の地名があるが、「加多神社」の神田であったから「神田」と呼ばれていたのであり、神田があるから加多が神田に由来することにはならない。神社創建より先に神田があったのであれば、その「神」は誰かという別の疑問が出てくる。
主祭神として少彦名命を祀る神社は多くはない。
常世国からやって来て、大己貴命の国造りを手伝い、その後常世国に帰ったとされる。
農業・医術・醸造など多くの知識と技術をもたらした神として崇敬されてきた。
「加多」は(多くを加える)と云うことであるから、少彦名命が多くの知識と技術をもたらした事を意味する社名と思われる。
「神阿多津姫命」と云うのは所謂コノハナサクヤヒメのことであるが、少彦名命や大己貴命と直接の関係性はないので神社後背の山の祭神であろうかと思われる。
今は大東高校のグランドになっている場所も社域だったようである。
神社の参道や階段が丁度良いランニング場所となっている。
近隣の発掘調査により、かつては加多里(カタノサト)と呼ばれた集落があり、主として碧玉を磨く集団の集落であったことが知られる。又、発掘された須恵器は大東式と呼ばれる特徴を持つ。
赤川氾濫により消滅し水田となっていたようである。
雲陽誌によれば、かつては加多明神と呼ばれていた。度々の火災により古記棟札消失、社殿は元禄2年建立とある。
(加多神社 参道口)
・参道口は赤川河畔から始まる。参道左右は大東高校グラウンド。
(加多神社 参道)
(加多神社 隨神門)
(加多神社 社殿)
(加多神社 案内)
(加多神社 拝殿扁額)
(加多神社 拝殿内)
(加多神社)
(加多神社 本殿)
(加多神社 本殿)
(加多神社 境内 嚴島神社)
(加多神社 護符井戸)
(加多神社 護符井戸案内)
・遷宮の際に出現と記されているから、現社殿は移設されたものということであろう。
(加多神社 加多大神腰掛松由来)
・「加多大神」と云うのは少彦名命のことであろう。この松が加多神社創建縁起に纏わるものかと思われる。
幹廻り6m余り、高さ13m余り、落雷により立ち枯れたという。
(加多神社 境内 稲荷神社・子守神社)
(加多神社 境内社)
・左から「社日神社」「織部神社」「鷺神社」「金刀比羅神社」
「織部神社」と云うのは、東方織部地区にあった神社を移設したものかと思われる。
(加多神社 境内社)
・左「恵美須神社」、右「庚申神社」
(加多神社 境内 恵美須神社)
・八重事代主命を祀っているのであろう
(加多神社 境内 庚申神社)
・佐太大神を祀っているのであろう
(加多神社 境内 恵美須神社)
・上の「恵美寿神社」とは別に「恵美須神社」がある。こちらは石祠であり、何処からか移設されたものと思われる。
(加多神社 境内 疫神社)
(加多神社 疫神社)
・「疫神社」は大己貴神を祀っているのであろう。
- 「加多神社」には「須佐之男命」に関連する社がない。又「荒神社」もない。
この地方の神社としては珍しいことである。
「少彦名命」は「鳥取氏」の祖神ともされているが、その集団が移住して祀った神社かとも考えられるが不明。
・和歌山市の「淡島神社」は少彦名命を祭っている。元社地は友ヶ島の北にある神島であるが、現社地は和歌山市加太にある。
この「加太」と云う地名が大東町の「加多」と関連がありそうな気もするが不明。
尚、加太の「淡島神社」が全国の「淡島神社」の総社と称しているのは、ここから多く勧請されたからであり、神島が淡島(粟島)という説は疑問。
少彦名命が常世の国に帰った際の「粟島」は鳥取県米子市の「粟島神社」の地であろう。