神社a

◎爾佐神社
(にさじんじゃ)
島根県松江市美保関町千酌1052
地理院地図

もう随分前にどこかに記していたと思うのだが、見当たらないので消してしまったのかも知れない。ということで記憶を便りに再掲。
(サイトのデザイン変更した際、幾つかの頁を誤って消してしまったのである)

主祭神:伊耶那岐命(伊邪那岐命)・伊耶那美命(伊邪那美命)・都久豆美神

島根半島北側、千酌にある神社。
千酌湾は、古代において隠岐との交通要所であった。

祭神のうち、都久豆美神(ツクヅミノカミ)というのは、月讀命のことである。
出雲国風土記、
「千酌駅。郡家の東北一十九里一百八十歩。伊差奈枳命の御子、都久豆美命、此の処に生せり。然れば即ち都久豆美と謂うべきを、今の人猶千酌と號(なづ)くるのみ。」

伊耶那岐命(伊邪那岐命)・伊耶那美(伊邪那美命)を祭っているのは、都久豆美神の親神だからであり、
主祭神は都久豆美神であることは云うまでもない。那岐・那美二神を「命」と呼び、都久豆美を「神」と尊称しているのはその事を裏付けている。

これもどこかに書いたような気がするのだが、月讀命は、暦の神であり、潮の干満を測ることから航海神でもあった。
月讀命の生誕地を記した場所を他に聞かないから、真偽はともかく、よほど強い縁起がこの地にあったことは間違いない。

航海神として月讀命を見た場合、親神の2神は、那岐=凪、那美=浪、をその性格に持つことは指摘しておかなければならないだろう。
その場合に、天照神は無論太陽神であるが、スサノウは風の神としての性格を持つ。
「スサブル=強風が吹く」という意味である。

伊耶那岐神(伊邪那岐神)・伊耶那美神(伊邪那美神)・天照大神・月讀命・須佐能袁命、これら5神は海の民にとって航海する上で非常に大事ないずれも欠かすことの出来ない神々なのであった。

「爾佐(にさ)」と呼ぶ理由は今では不明となっているようである。一部には「西(にし)」であるとの説もあるらしいが疑わしい。
爾は尊称、佐は助ける、を意味し、「航海を大いに助ける」というのが爾佐の意味であろうと思われる。


付記)
○爾佐能加志能為神社(にさのかしのいじんじゃ)
爾佐神社西北の野井地区に「爾佐能加志能為神社」がある。map
地図では「弥佐加志能為神社」と記されていたりする。(爾が弥に変じ、助詞である能が一文字落ちている。これは、爾を尓と略して書いていた為これを弥の略字と勘違いしたのだと思われる。)

主祭神は大己貴命
元は、加志島にあったという。
加志島は、笠浦の沖にある笠島(白カスカ島)の事。map
加志島には2つの洞窟があると云われているから、それにより大己貴命(大穴持命)を祭ったのであろう。
天照大神を合祀したのは、加志島から移った後である。

どこかに書いた。月讀命の子が島根見命である。世阿弥が「風姿花伝」に書き残している。
出雲風土記では
「千酌駅
島根と號くる所以は、国引き坐しし八束水臣津野命の詔りたまひて、名を負せ給えるなり。故、島根と云う。」
とある。解ったような解らぬような記述である。島根と名づけたのは八束水臣津野命なのだが、その名の謂われについては記していない。
八束水臣津野命というのは国引き神話で有名な神である。
爾佐神社には月讀命が祀られているのだが、それを祀ったのは誰かという疑問。
それが息子である島根見命であったということは充分あり得ることだと思っている。
島根見命及びその末裔が古来この地に在り、八束水臣津野命が国引き、則ち出雲国の統合に歩いた際、
この島根見命にちなんで名付けた(名を負せ)のが「島根郷」であり、八束水臣津野命によるものであったと考え得る。

とあるサイトに
「島根という言葉は島または島国の意味で、根は島に付く接尾語です」と記されていた。
『根の堅洲国』『根之国、妣之国』島根の根はこの根と同じ意味であり、「根」は「元」という意味でもあって単なる接尾語ではない。当然に、島根は「島または島国」という意味ではない。

ついでに、爾佐三社というのは、爾佐神社と、爾佐能加志能為神社と、もう一社、
瀬崎にある日御碕神社(旧「爾佐名神」/祭神:都久津美神)の事。map
瀬崎の日御碕神社は爾佐能加志能為神社が加志島から風雨で飛ばされて一時たどり着いたと云われる元社地で、瀬崎の戌(まもり)と呼ばれる様に、隠岐への出入りを警備する場所でもあった。


(雑記)
記しながら思った。
今はGPSとカーナビ&gogleMapなどで、住所が解れば、迷うことなく目的地に行くことが出きる。
かつて、各地の神社を訪ね歩いていた頃は、地図を片手に、あそこでもないここでもないと、かなり時間をかけて地元の方にも尋ねてようやく目的の神社を探し当てるというのが毎度のことであった。有名大社は別として中小神社は全く五里霧中といっても良い状態だった。(変人扱いされることも屡々)
デジカメも無かった頃なので写真もあまり撮っていない。
今はnet上に、縁起から祭神まで詳細に写真付きで掲載されていたりするが、
そうなると困ったもので、現地に行かなくても行ったかのような気になってしまう。
或いは、net上での記述に誤りがあっても気づかないままで終始してしまったりする。
今回、あえて記したのもそういう事が契機である。
勿論私は観光案内するために記しているのではないから、紹介は最小限に留めている。
この都久豆美神社訪ねた際も、周辺の小社を山越え谷越えして片端から廻ったが一々は記さない。
疑問のある場合や重要と思われる場合には出来るだけ記したいと思っている。


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Last-modified: 2022-03-27 (日) 08:10:57 (754d)