神社a
◎「伊賀多氣神社」
島根県仁多郡奥出雲町横田1278 地理院地図
主祭神:五十猛命
合祀:素盞嗚尊・大己貴命
・11代垂仁期に神像二体を奉じて創建。元社地は五反田の東辺という。
戦国の時代に戦火に遭い社殿喪失。所在も不明となっていたが、
天文20年(1551)横田郷の三沢氏を尼子氏が制圧した際、現在地後背の山中にあった三沢氏居城「藤ヶ瀬城」の改修を行った代官森脇家真と五反田屋により、その鎮守として現在地に再建。
・出雲風土記抄4帖k21解説では「~角村見今曰伊我多気大明神是也」とある。
角村というのは現社地のある地区の小字名。
・雲陽誌k87p160では「五十猛神社」と記されている。
出雲風土記抄成立が1683年、雲陽誌成立が1717年であるから、僅か30年の間に社名が変わったと云うことになる。
その後「五十猛神社」と称してきたが明治期に「伊賀多氣神社」と改称。
(伊賀多氣神社 参道口)
(伊賀多氣神社 案内板)
・戦国時代戦火にかかり資料を失ったと記されている。
(伊賀多氣神社 社殿扁額)
(伊賀多氣神社 社殿内扁額)
(伊賀多氣神社 本殿)
(伊賀多氣神社 境内社)
(伊賀多氣神社 境内石碑)
・「塚神」と彫られている。
(伊賀多氣神社 古木)
・うろの大きく空いた欅の古木が歴史を物語る。
- 元社地五反田の東辺というと、今の「大呂神社」辺りかと思われる。地理院地図
「大呂神社」の今の祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穗耳命」とされているが、出雲と関係のないいかにも取って付けたような祭神を奉っていることが訝しい。