神社a
○「劔神社」
島根県松江市八雲町日吉10 地理院地図
主祭神:伊弉冊尊
祭神:大山祇命・中山祇命・麓山祇命・正勝山祇命・籬山祇命
境内社:日吉神社(祭神:大己貴命)
境内社:稲荷神社(祭神:稲倉魂命)
境内社:藤森神社(祭神:舎人親王)
かつて意宇川を遮り蛇行させていたという剣山の山頂にある。
周辺は住宅地となり参道口は少々解りにくいが剣山の北東端にある。地理院地図
伊弉諾尊が黄泉の国から逃れる際、剣を抜きここ迄来たというのだが、良く解らない神社である。
伊弉冊尊を祀っているが、伊弉諾尊を祀っているのかどうかは定かではない。
又「布都御魂剣」を奉っていたとも云うが不明。
『出雲国風土記』意宇郡記載の詔門社であるという説もある。
山中に黄泉の国に通じる洞窟があると云うが未確認。
本殿は前方が男千木、後方が女千木というめづらしい構成になっている。
境内の「日吉神社」は元は山王山にあったが、明治期に現在地に移されたという。
(劔神社)参道口
(劔神社)案内板
(劔神社)鳥居
(劔神社)境内 日吉神社
(劔神社)境内 日吉神社扁額
(劔神社)境内 日吉神社本殿
(劔神社)参道2
(劔神社)境内
・荒神であろうか
(劔神社)境内
・不明な石柱
(劔神社)社殿
(劔神社)拝殿内
(劔神社)本殿1
(劔神社)本殿2
・手前に縦削ぎの男千木、奥に横削ぎの女千木
なぜこのようなことをしたのか定かではないが伊弉諾尊・伊弉冊尊を祀っていると云う意味かと思われる。
(劔神社)本殿奥 境内社
・左「藤森神社」・右「稲荷神社」
(劔神社)「稲荷神社」扁額
(劔神社)「藤森神社」扁額
(劔神社)本殿奥の石祠
・本殿奥の境内社を更に進むと小高くなっており、そこに石祠があった。山祇神を祀っていたのであろうか。
(劔神社)
・参道階段の東側に建物があったとおぼしき平地があり少々気になった。
これは1974~1978頃の地理院地図航空写真であるが、これを見ると、剣山と云うのは三角形の形状であり、丁度刃物の断面のような形である。
剣山というのはこの形状から名づけられたものであろう。
社伝に云う伊弉諾尊・伊弉冊尊の話はどうにも曖昧で、後の時代の付会としか思えない。
剣山に祀られていたのは元々は山祇神で、そこに伊弉諾尊・伊弉冊尊の話を持ち込んだのであろうと思われる。
(日吉の切通し)地区案内板
・公民館傍に案内板があるのだが、上が南、下が北、で描かれており、地元の人には解るのだろうが、他所から来た者は混乱する。
絵地図でも地図は北を上側にして描いて貰いたいものである。
(日吉の切通し)切通し案内板
・既に記したが、かつて意宇川は、剣山を大きく東に迂回して流れていた。
その為大雨などで水量が増えると、日吉地区では度々洪水・水害が発生していたという。
江戸中期、初代の周藤弥兵衛(家正)は松江藩に陳情し、藩主松平直正が取り上げ、3年かけて剣山は15(m) 幅で開削され、意宇川はまっすぐ流れるようなった。が、開削幅が狭かった為、その後も度々洪水被害は続き、切通しの幅を広げるよう藩に陳情が繰り返されたが、半世紀あまりのあいだ財政難を理由に取り上げられることはなかった。
三代目の周藤弥兵衛(良刹)は、56歳の時発念し、資財を投げ打ち人を雇うなどして開削を開始した。しかしじきに資金は底をつき、遂には鑿と槌にて単独で山の開削を続け、42年かけて幅30(m) 高さ15(m) を掘り広げ、ようやく地区の洪水被害は避けられるようになったという。
(日吉の切通し)切通し河畔
・意宇川の現在の流れ
(日吉の切通し)切通し河畔2
(日吉の切通し)切通し河畔3
・神籬がある。