メモa
○「元八重垣神社」
社殿があるわけではない。
島根県仁多郡奥出雲町佐白八頭地理院地図に、「八重垣大神」という石碑が建てられている。
「八重垣神社」の跡地であるという。元八重垣神社跡と呼ばれる。
明治期以前には社殿もあったが、明治政府の合社令により「伊賀武神社」境内に移設された。
- 出雲風土記抄4帖k18に、この地のことについて記されている。
- 松江の八重垣神社には怪しさがつきまとうが、
こちらが本来の八重垣神社であるとすれば、素戔嗚尊や稲田姫或いは八俣の大蛇伝説などとの関連もある程度得心がいく。
ちなみに、松江の八重垣神社側では、この地の八重垣神社に関しては一切無視している。剽窃したのであろうと思われる。
以前はこの地から移ったと称してもいたようだが、その様な根拠もないので今では云わなくなったようだ。
(元八重垣神社跡地 案内板)
(元八重垣神社跡地 全景)
・工事中であった。元社地は中央右手に石段を登った所にある。
(元八重垣神社跡地 元結掛けの松外案内板)
(元八重垣神社跡地 元結い掛けの松石碑)
(元八重垣神社跡地 石碑)
・石碑のみ残る。此処も工事中
(元八重垣神社跡地 鏡ヶ池案内)
・脇道(旧道)を少し南下したところにある。
(元八重垣神社跡地 鏡ヶ池)
(元八重垣神社跡地 鏡ヶ池碑)
- 「八重垣」と云うのは七重八重のように八重にめぐらした垣根と云うことであろうが、
この地で垣を八重に巡らすと云うには少々疑問が残る。
出雲にしがらみのない余所者故自由に記述できる立場で云えば、そもそも八俣の大蛇伝説というのも訝しい。
案内板では八俣の大蛇に呑ませた酒はこの鏡ヶ池の湧き水を使って造ったと云うようなことが記されているが、
楯縫の「佐香神社」では、佐香川の水で造った酒を飲ませたと記していたりする。
「出雲国風土記」には八俣の大蛇の神話はどこにも出てこない。
にもかかわらず、例えば「日本初之宮」を自称する「須我神社」とか、茫洋とした出雲の神話には
原初的な民間伝承神話の上に異質な外界の妄想が持ち込まれ神話が重層化した印象がある。
近年、八束水臣津野命が国を綱で引っ張ってきたのだから巨人でダイダラボッチだと云うような妄想が持ち込まれていたりするのも
似たような印象を受ける。
「何だってかんだってあったっていいじゃないか」という適当さが出雲の特徴なのかも知れない。
それはある種、深い思いを内に秘めた中央支配に対する抵抗表現の一つなのかも知れない。
言ってしまえば出雲大社国造家とて、出雲人には余所者でしかない。