神社a
○「神倉神社」
和歌山県新宮市神倉1-13-8 地理院地図
主祭神:高倉下命・天照大神
境内社:
・猿田彦神社(祭神:猿田彦命)地理院地図
・神倉三宝荒神社(祭神:火産霊神・誉田別命)
・火神社
・中ノ地蔵堂
・満山社
・「神倉山(千穂ヶ峯・権現山・鎮護ヶ峰)」253(m)の南山稜部に「ゴトビキ岩」という巨岩があり、これを御神体として「神倉神社」がある。(ゴトビキはヒキガエルの方言という)又「琴引岩」と云う説もある。
かつては大黒天(大国主命)を祀る拝殿があったが、明治3年台風で崩壊・荒廃。熊野速玉大社に合祀されたというが、熊野速玉大社では現在その名はみえない。
現社殿は大正7年に再建されたもの。
今は「熊野速玉大社」 の境外摂社となっており、神倉神社を麓に降ろしたとして熊野速玉大社は新宮と呼ばれている。
・「猿田彦神社」は神倉山山麓に古くからあった神社で明治に入り廃社となっていたが昭和56年氏子有志により社殿再興された。
ちなみに、ヒキガエルは猿田彦大神の使いとされる。
・「神倉三宝荒神社」は立里(高野山)と記されているから、奈良県吉野郡野迫川村の「立里荒神社」を勧請したものと思われる。「猿田彦神社」と共に祀られている。
・例年2月6日には「御燈祭」という火祭りが行われている。
(神倉神社 参道口)
(神倉神社 案内板)
(神倉神社 参道大鳥居)
・大鳥居奥の右手に「女坂」と呼ばれる普通の山道があり、石段を使わず「火神社」まで登ることが出来る。
これが本来の参道であろう。
(神倉神社 参道石段)
・五百段以上あるという。大鳥居前に杖があるので必携。源頼朝が寄進したもので538段だとか。御参拝の掛け合わせか。
(神倉神社)
・鳥居方向にゴトビキ岩、右手石段を登ると「満山社」
(神倉神社 手水)
(神倉神社 手水案内板)
(神倉神社 社殿)
・ゴトビキ岩の直下に社殿が建てられている。
(神倉神社 大岩1)
・ゴトビキ岩の後方にも大きな岩がある。
(神倉神社 大岩2)
・二つの大岩の間に注連縄が懸けられ、祭礼されている。
銅鐸破片が発見されたというのはこの場所か。
(神倉神社 大岩3)
・岩の間に洞窟があり、こちらも祭礼されている。
経筒が見つかったというのはここか。
(神倉神社)新宮市街眺望
・この下は崖となっており、「天磐立」というのは、この崖のことかと思われる。
熊野灘からは良く見える断崖であろう。
(神倉神社 境内社1)
・猿田彦神社と神倉三宝荒神社。
(神倉神社 境内社1案内)
・境内社案内
(神倉神社 境内社1)
・右手に小川と小滝
(神倉神社 境内社2)
・左が「火神社」、右が「中ノ地蔵堂」
(神倉神社 境内社3)
・「満山社」
(神倉神社 境内)
・「満山社」と鳥居のある朱垣の間を登ると少し開けた場所があり、そこに石組み跡が残る。
ここが「大黒天」(大国主命)を祀った拝殿跡かと思われる。
(神倉山)案内板
・案内によれば、全体を「権現山」と呼び最高部を「千穂ヶ峯」、大岩のある稜線ピークを「高倉山」と呼んでいるようである。
(神倉山)展望所
(神倉山)千穂ヶ峯山頂
(神倉山)北側から見た神倉山
- 神倉山(千穂ヶ峯)に登った際、下りの谷筋の竹藪で野猿の群れに遭遇した。この谷は、丁度「猿田彦神社」の傍を流れる川の上流で、水飲みに来ていたのかと思われる。
- 和歌山県新宮市の「神倉山」は(カミクラヤマ)なのか(カンノクラヤマ)なのか判然としない。
古くは(カンノクラヤマ)であったと思われる。神の宝物を納めた山という意味であろう。
広島市安佐北区と安芸高田市の間に「神ノ倉山」地理院地図というのがあり、(カンノクラヤマ)と呼んでいる。
私事だが、「神ノ倉山」は、「朝鮮神社」の神職だった某氏が戦後帰国し、祖父を頼って広島に来て、とある神社の神職となり、この山で修行を続けていた山である。今は桜の名所公園となっているらしい。後、「江田島八幡宮」の宮司となった。