-沼河比売の伝説
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▲岡山県勝田郡奈義町・鳥取県八頭郡智頭町「那岐山」
▲島根県出雲市「姉山」
▲島根県安来市切川町「城山」
▲島根県安来市島田町「清水山」
▲島根県松江市八雲町・雲南市大東町「八雲山」(須我山)
▲島根県雲南市加茂町「高麻山」
▲島根県雲南市大東町中湯石「室山」
▲島根県雲南市木次町里方「城名樋山」
▲広島県庄原市比和町「比婆山」
△007-孝霊天皇
△043-元明天皇
○兵庫県南あわじ市榎列下幡多415「自凝島神社」
○兵庫県洲本市上内膳2132-7「岩戸神社」
○千葉県香取郡小見川町岡飯田字天之宮「天之宮神社」
○千葉県香取郡東庄町い580-1「諏訪大神」
○和歌山県新宮市神倉1-13-8「神倉神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町出雲58「朝貴神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町樫野1037「雷公神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2878「潮御崎神社」
○和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山「飛瀧神社」
○和歌山県田辺市本宮町本宮1「大斎原」
○大分県宇佐市安心院町妻垣203「妻垣神社」
○山口県山口市阿東地福下「諏訪神社」
○山口県山口市阿東地福下鷹巣「諏訪神社」
○山口県山口市阿東徳佐上「諏訪神社」
○山口県山口市阿東徳佐台「諏訪神社」
○山口県柳井市伊陸7599「大諏訪神社」
○山口県萩市須佐「黄帝社」
○山梨県北杜市白州町横手3804-1「駒ヶ嶽神社(横手)」
○山梨県北杜市白州町白須8884-1「駒ヶ嶽神社(竹宇)」
○岡山県勝田郡奈義町宮内639「宮内神社」
○岡山県勝田郡奈義町成松94-2「諾神社」
○島根県仁多郡奥出雲町三成687「三成八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町三成宇根「玉日女神社」
○島根県仁多郡奥出雲町三所806「須我非神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上三所334「居去神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井2「大原神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井「荒神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井内尾谷「穴命さん」
○島根県仁多郡奥出雲町中村1587「羽鳥神社」
○島根県仁多郡奥出雲町中村聞語山170「横田八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1284「湯野神社」
○島根県仁多郡奥出雲町佐白八頭「元八重垣神社」
○島根県仁多郡奥出雲町八代344「仰支斯里神社」
○島根県仁多郡奥出雲町八川2071「八川八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町八川三井野3137「稚児ヶ池神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大呂2058-2「鬼神神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大谷1122「大谷神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大谷「姫子神社」
○島根県仁多郡奥出雲町横田385「本山神社」
○島根県仁多郡奥出雲町竹崎474「萬歳山之神社」
○島根県仁多郡奥出雲町郡597「大領神社」
○島根県仁多郡奥出雲町高尾780「高尾神社」
○島根県出雲市佐田町下橋波172「波須波神社」
○島根県出雲市佐田町反辺1064「多倍神社」
○島根県出雲市佐田町吉野324「田中神社」
○島根県出雲市佐田町朝原641「寶坂神社」
○島根県出雲市坂浦町1503「立石神社」
○島根県出雲市多久谷町1141「宿努神社」
○島根県出雲市多伎町多岐1542「加夜堂」
○島根県出雲市多岐町奥田儀宮本「金屋子神社」
○島根県出雲市大社町杵築北2843-13「出雲手斧神社」
○島根県出雲市奥宇賀町布勢上「夜見神社」
○島根県出雲市小境町108「佐香神社」
○島根県出雲市斐川町求院731「求院八幡宮」
○島根県出雲市稗原町2571「市森神社」
○島根県出雲市美野町382「伊努神社」
○島根県出雲市美野町935「葦高神社」
○島根県安来市伯太町下小竹242「玉神社」
○島根県安来市利弘町521「賀茂神社」
○島根県安来市宇賀荘町473「嵩神社」
○島根県安来市安来町541「加茂神社」
○島根県安来市広瀬町上山佐182「水天宮」
○島根県安来市広瀬町東比田2595-6「縄久利神社」
○島根県安来市広瀬町西比田2452「比太神社」
○島根県安来市広瀬町西比田307-1「金屋子神社」
○島根県安来市広瀬町西比田市原「磐船神社」
○島根県安来市広瀬町西比田追神「待神社」
○島根県安来市清水町21「星神社」
○島根県安来市西松井町81「出雲路幸神社」
○島根県安来市野方町247「神藏神社」
○島根県松江市八束町江島184「蜛蝫神社」
○島根県松江市八雲町日吉10「劔神社」
○島根県松江市八雲町東岩坂2193「那冨乃夜神社」
○島根県松江市大庭町563「神魂神社」
○島根県松江市宍道町上来待和名佐「和名佐神社」(和奈佐神社)
○島根県松江市宍道町東来待1700「屋風呂神社」
○島根県松江市岡本町876「多太神社」
○島根県松江市島根町大芦2106「大埼神社」
○島根県松江市島根町大芦2209「大埼川邊社」
○島根県松江市東出雲町出雲郷588「阿太加夜神社」
○島根県松江市東持田町262「加佐奈子神社」
○島根県松江市福原町547「虫野神社」
○島根県松江市秋鹿町2853「秋鹿神社」
○島根県松江市西忌部町1148「空山神社」
○島根県松江市西持田町895-1「持田神社」
○島根県松江市鹿島町御津2911「御津神社」
○島根県邑智郡邑南町八色石792「龍岩神社」
○島根県邑智郡邑南町岩屋1714「志都岩屋神社」
○島根県雲南市三刀屋町乙加宮2206「日倉神社」
○島根県雲南市三刀屋町伊萱1096「井草神社」
○島根県雲南市三刀屋町六重243「飯石神社」
○島根県雲南市三刀屋町古城1304「奈倍山神社」
○島根県雲南市三刀屋町古城94「田中神社」
○島根県雲南市三刀屋町神代236「神代神社」
○島根県雲南市三刀屋町粟谷949「粟谷神社」
○島根県雲南市加茂町加茂中996「加茂神社」
○島根県雲南市加茂町大竹676「赤秦神社」
○島根県雲南市加茂町岩倉「矢櫃神社」跡
○島根県雲南市加茂町延野251「布須神社」
○島根県雲南市加茂町東谷1133「屋裏八幡宮」
○島根県雲南市加茂町砂子原196「比和神社」
○島根県雲南市加茂町立原115「須美禰神社」
○島根県雲南市吉田町吉田1023「兎比神社」
○島根県雲南市吉田町吉田361「多賀毛利神社」
○島根県雲南市吉田町民谷793「王子神社」
○島根県雲南市吉田町民谷宇山「石神社」
○島根県雲南市大東町上久野1110「嶽神社(春殖社)」
○島根県雲南市大東町上久野269「鎌倉神社」
○島根県雲南市大東町下佐世837「狩山八幡宮」
○島根県雲南市大東町中湯石1446「日原神社」
○島根県雲南市大東町中湯石934「湯神社」
○島根県雲南市大東町仁和寺1719-1「諏訪神社」
○島根県雲南市大東町北村18「船林神社」
○島根県雲南市大東町大ヶ谷427「置谷神社」
○島根県雲南市大東町大東下分1016「春殖神社」
○島根県雲南市大東町小河内167「除川神社」
○島根県雲南市大東町小河内402「川原神社」
○島根県雲南市大東町川井186「鮭神社」
○島根県雲南市大東町幡屋1052-1「幡屋神社」
○島根県雲南市大東町新庄432「鏡神社」
○島根県雲南市大東町東阿用199「阿用神社」
○島根県雲南市大東町篠淵215「等等呂吉神社」
○島根県雲南市大東町遠所484「伊佐山神社」
○島根県雲南市大東町須賀260「須我神社」
○島根県雲南市大東町飯田158「素鵞神社」
○島根県雲南市掛合町多根1495「多根神社」
○島根県雲南市掛合町掛合2136「狭長神社」
○島根県雲南市掛合町波多344「波多神社」
○島根県雲南市掛合町穴見336「穴見神社」
○島根県雲南市木次町山方216「子安八幡宮」
○島根県雲南市木次町平田1960「石壺神社」
○島根県雲南市木次町平田435「日御崎神社」
○島根県雲南市木次町湯村1060「温泉神社」
○島根県雲南市木次町西日登1524-1「八口神社」
○島根県飯石郡飯南町上赤名1652「赤穴八幡宮」
○島根県飯石郡飯南町下来島3451「來嶋神社」
○島根県飯石郡飯南町下赤名石次「今石神社」
○島根県飯石郡飯南町佐見「琴弾山神社」
○島根県飯石郡飯南町八神60「志志乃村神社」
○島根県飯石郡飯南町頓原1636「由來八幡宮」
○広島県山県郡北広島町宮迫字磐門1357「天磐門別神社」
○広島県庄原市比和町三河内3462「比婆山神社」
○新潟県上越市五智国分2111岩殿山明静院「諏訪神社」
○新潟県糸魚川市一の宮1-3-34「天津神社」
○福岡県築上郡築上町大字高塚794-2「綱敷天満宮」
○福岡県行橋市南泉7-13-11「豊日別宮」
○福岡県遠賀郡芦屋町「神武天皇社」
○茨城県日立市大みか町6-16-1「大甕神社」
○茨城県東茨城郡城里町石塚1088「風隼神社」
○茨城県那珂郡東海村石神外宿1「石神社」
○長野県松本市入山辺6333「大和合神社」
○長野県松本市里山辺薄町2785「須々岐水神社」
○長野県茅野市本町東15「御座石神社」
○長野県長野市戸隠3506「戸隠神社中社」
○長野県長野市戸隠3690「戸隠神社奥社」
○鳥取県倉吉市国分寺426「國廳裏神社」
○鳥取県八頭郡智頭町大背708「那岐神社」
○鳥取県日野郡日南町阿毘縁224「上阿毘縁神社」
○鳥取県日野郡日南町阿毘縁2489「熊野神社」
○鳥取県米子市橋本623「阿陀萱神社」
○鳥取県西伯郡南部町寺内232「赤猪岩神社」
○鳥取県西伯郡南部町清水川「清水川神社」
○鳥取県鳥取市国府町菅野31「酒賀神社」
○鹿児島県鹿屋市吾平町神野「大川内神社」
◎三重県熊野市有馬町130「花の窟神社」
◎三重県鈴鹿市山本町1871「椿大神社」
◎兵庫県淡路市多賀740「伊弉諾神宮」
◎兵庫県豊岡市三宅1「中嶋神社」
◎兵庫県豊岡市下宮318-2「久久比神社」
◎千葉県館山市大神宮589「安房神社」
◎千葉県香取市香取1697「香取神宮」
◎大分県豊後大野市緒方町大座尾平鉱山236「健男霜凝日子麓社」
◎山口県周南市長穂1303「周方神社」
◎山口県山口市徳地岸見字樋ノ口557「三坂神社」
◎山口県防府市大字大崎1690「玉祖神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町三沢402「三沢神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町佐白116「伊賀武神社」「八重垣神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町横田1278「伊賀多氣神社」
◎島根県出雲市下古志町1374「比布智神社」
◎島根県出雲市久多美町301「玖潭神社」
◎島根県出雲市佐田町須佐730番地「須佐神社」
◎島根県出雲市別所町72「諏訪神社」
◎島根県出雲市口宇賀町521「宇賀神社」
◎島根県出雲市古志町2254「久奈子神社」
◎島根県出雲市唐川町後野408「韓竈神社」
◎島根県出雲市塩冶町1686「阿利神社」
◎島根県出雲市多伎町口田儀866「津野神社」
◎島根県出雲市多伎町多岐639「多伎神社」
◎島根県出雲市多伎町小田503「小田神社」
◎島根県出雲市多伎町小田「和歌山権現」(多伎社)
◎島根県出雲市大社町日御碕455「日御碕神社」
◎島根県出雲市大社町遙堪1473「阿須伎神社」
◎島根県出雲市奥宇賀町1388-14「奥宇賀神社」
◎島根県出雲市所原町3549「富能加神社」
◎島根県出雲市斐川町三絡559「波知神社」
◎島根県出雲市斐川町直江2518「御井神社」
◎島根県出雲市斐川町神氷823「曽枳能夜神社」
◎島根県出雲市朝山町1404「朝山神社」
◎島根県出雲市東神西町842「那賣佐神社」
◎島根県出雲市矢野町725「八野神社」
◎島根県出雲市稗原町2571「市森神社」
◎島根県出雲市西林木町376「伊努神社」
◎島根県大田市三瓶町多根305「佐比賣山神社」
◎島根県安来市伯太町安田520「田面神社」
◎島根県安来市宇賀荘町473「嵩神社」
◎島根県安来市広瀬町上山佐598「山狭神社」(上山狭神社)
◎島根県安来市広瀬町下山佐1176「山狭神社」(下山狭神社)
◎島根県安来市広瀬町富田782「勝日高守神社」
◎島根県安来市広瀬町広瀬1415「都辨志呂神社」
◎島根県安来市広瀬町広瀬85「富田八幡宮」「勝日神社」
◎島根県安来市能義町366「能義神社」
◎島根県安来市飯生町679「意多伎神社」
◎島根県松江市上宇部尾町331「多気神社」
◎島根県松江市上本庄町921「川上神社」
◎島根県松江市上東川津町1「布自伎美神社」
◎島根県松江市乃白町779「野白神社」
◎島根県松江市八雲町熊野2451「熊野大社」
◎島根県松江市大垣町746「内神社」(高野宮)
◎島根県松江市宍道町上来待242「来待神社」
◎島根県松江市宍道町上来待551「佐久多神社」
◎島根県松江市宍道町白石1464「佐爲神社」
◎島根県松江市宍道町白石638「石宮神社」
◎島根県松江市山代町84「眞名井神社」
◎島根県松江市新庄町994「久良彌神社」
◎島根県松江市東出雲町揖屋2229「揖夜神社」
◎島根県松江市東忌部町平口「久多美神社」
◎島根県松江市玉湯町布志名151「布自奈大穴持神社」
◎島根県松江市玉湯町玉造508「玉作湯神社」
◎島根県松江市美保関町千酌1052「爾佐神社」
◎島根県松江市長海町59「長見神社」
◎島根県松江市雑賀町1663「賣豆紀神社」
◎島根県松江市馬潟町266「由貴神社」
◎島根県松江市鹿島町佐陀宮内73「佐太神社」
◎島根県江津市二宮町神主イ307「多鳩神社」
◎島根県江津市波子町イ1018「津門神社」
◎島根県益田市乙子町51「佐毘賣山神社」
◎島根県益田市匹見町大字石谷口1323「若宮神社」
◎島根県雲南市三刀屋町多久和1065「飯石神社」
◎島根県雲南市三刀屋町給下865「三屋神社」
◎島根県雲南市加茂町三代485「御代神社」
◎島根県雲南市加茂町宇治342「宇能遲神社」
◎島根県雲南市加茂町神原1436「神原神社」
◎島根県雲南市加茂町神原98「八口神社」
◎島根県雲南市大東町下佐世1202「佐世神社」
◎島根県雲南市大東町南村424「海潮神社」
◎島根県雲南市大東町大東362「加多神社」
◎島根県雲南市大東町清田67「西利太神社」
◎島根県雲南市木次町上熊谷1462「河邊神社」(河辺神社)
◎島根県雲南市木次町宇谷367「布須神社」
◎島根県雲南市木次町木次782「來次神社」
◎島根県雲南市木次町里方463「斐伊神社」
◎新潟県上越市五智6-1-11「居多神社」
◎新潟県糸魚川市大字田伏609-1「奴奈川神社」
◎石川県七尾市所口町ハ48「能登生國玉比古神社」
◎石川県珠洲市三崎町寺家4-2「須須神社高座宮」
◎石川県羽咋市寺家町ク1-1「氣多大社」
◎石川県鹿島郡中能登町金丸セ35「能登生國玉比古神社」
◎福井県敦賀市曙町11-68「氣比神宮」
◎福井県福井市足羽1丁目8-25「足羽神社」
◎福岡県遠賀郡芦屋町「岡湊神社」
◎茨城県鹿嶋市宮中2306-1「鹿島神宮」
◎鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754「倭文神社」
◎鳥取県鳥取市国府町宮下651「宇倍神社」
◎鳥取県鳥取市河原町曳田169「賣沼神社」
〈きゅうり〉
〈らっきょう〉
〈コーヒー〉
〈五味〉
〈塩締め鯖〉
〈柏餅〉
〈煮魚〉
〈納豆〉
〈緑茶〉
〈鶏を絞める〉
「健御雷神」
「八坂刀売命」
「八束水臣津野命」
「国常立尊」
「大山咋神」
「大山祇神」
「天之御中主尊」
「天児屋命」
「天常立尊」
「天日槍」
「天津彦彦火瓊瓊杵尊」
「天火明命」
「天石門別命」
「天香香背男命」
「守矢神」
「布都御魂大神」
「布都斯魂大神」
「彦狭知命」
「御倉板挙之神」
「意宇杜」(松江市竹屋町)
「手置帆負命」
「武居大伴主神」
「武御名方神」
「沼河比売」
「泥土煮尊・沙土煮尊」
「知波夜比古」
「神漏岐命・神漏美命」
「神産巣日神」
「神魂命」
「薗神」
「衝杵等乎而留比古命」
「豊国主尊」
「足名椎・手名椎」
「都留支日子命」
「金屋子神」
「阿陀加夜努志多伎吉比売命」
「高御産巣日神」
「高比売命」
「鵜草葺不合命」
「鵜萱草不葺合命」
「麻須羅神」
『三代実録』
『伊勢国風土記逸文』
『信府統記』
『倭姫命世記』
『倭姫命世記』籠神社巻子本
『先代旧事本紀』
『先代旧事本紀』巻一
『先代旧事本紀』序
『出雲国造伝統略』
『出雲国風土記』
『出雲国風土記』仁多郡
『出雲国風土記』倉野本
『出雲国風土記』倉野本2
『出雲国風土記』倉野本3
『出雲国風土記』倉野本4
『出雲国風土記』出雲郡
『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』嶋根郡
『出雲国風土記』後記
『出雲国風土記』意宇郡
『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』日御碕本
『出雲国風土記』日御碕本2
『出雲国風土記』日御碕本3
『出雲国風土記』日御碕本4
『出雲国風土記』楯縫郡
『出雲国風土記』神門郡
『出雲国風土記』秋鹿郡
『出雲国風土記』紅葉山本
『出雲国風土記』紅葉山本2
『出雲国風土記』紅葉山本3
『出雲国風土記』紅葉山本4
『出雲国風土記』細川家本
『出雲国風土記』細川家本2
『出雲国風土記』細川家本3
『出雲国風土記』細川家本4
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』荷田春満考
『出雲国風土記』荷田春満考-江守本-2-
『出雲国風土記』萬葉緯本
『出雲国風土記』萬葉緯本2
『出雲国風土記』萬葉緯本3
『出雲国風土記』萬葉緯本4
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL2
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL3
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL4
『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介
『出雲国風土記』飯石郡
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-1-
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-2-
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-3-
『出雲風土記抄』桑原本
『出雲風土記抄』桑原本2
『出雲風土記抄』桑原本3
『出雲風土記抄』桑原本4
『出雲風土記解』
『出雲風土記解』上1
『出雲風土記解』上2
『出雲風土記解』上3
『出雲風土記解』下1
『出雲風土記解』下2
『出雲風土記解』下3
『出雲風土記解』下4
『出雲風土記解』中1
『出雲風土記解』中2
『出雲風土記解』中3
『出雲風土記解』中4
『古事記』
『古事記』真福寺本-上-k01~
『古事記』真福寺本-上-k06~
『古事記』真福寺本-上-k11~
『古事記』真福寺本-上-k16~
『古事記』真福寺本-上-k21~
『古事記』真福寺本-上-k26~
『古事記』真福寺本-上-k31~
『古事記』真福寺本-上-k36~
『古事記』真福寺本-上-k41~
『古事記』真福寺本-下-k01~
『古事記』真福寺本-下-k06~
『古事記』真福寺本-下-k11~
『古事記』真福寺本-下-k16~
『古事記』真福寺本-下-k21~
『古事記』真福寺本-下-k26~
『古事記』真福寺本-下-k31~
『古事記』真福寺本-中-k01~
『古事記』真福寺本-中-k06~
『古事記』真福寺本-中-k11~
『古事記』真福寺本-中-k16~
『古事記』真福寺本-中-k21~
『古事記』真福寺本-中-k26~
『古事記』真福寺本-中-k32~
『古事記』真福寺本-中-k36~
『古事記』真福寺本-中-k42~
『古事記』真福寺本-中-k46~
『古事記』真福寺本-中-k52~
『古事記伝』
『古史伝』
『和名類聚抄』
『因幡誌』
『大和姫命世記』
『島根県口碑伝説集』
『常陸国風土記』
『延喜式』
『延喜式』(国宝)巻10-01
『延喜式』(国宝)巻9-01
『延喜式』(国宝)巻9-03
『延喜式内並国史見在神社考証』
『延喜式神名帳註』
『延喜式神名帳註』上1
『延喜式神名帳註』上2
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『延喜式神名帳註』上4
『延喜式神名帳註』上5
『延喜式神名帳註』下1
『延喜式神名帳註』下2
『延喜式神名帳註』下3
『延喜式神名帳註』下4
『延喜式神名帳註』下5
『懐橘談』
『新撰姓氏録』
『日本書紀』
『日本書紀』巻第一神代上p01-
『日本総国風土記』
『石見誌』
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『神祇志料』
『続群書類従』
『訂正出雲風土記』
『訂正出雲風土記』上2
『訂正出雲風土記』下
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考古
考古-沖丈遺跡
考古-縄文土器
資料-七支刀
資料-七支刀銘文
資料-布都御魂剣
資料-椎根津彦神社由緒
資料-海部氏系図
資料-神原神社由緒
資料-那智大社韻霊剣
資料-長屋親王宮木簡
資料a
>加賀の潜戸
[[メモa]] 「沼河比売の伝説」 糸魚川市のサイトからtext部分を転載 https://www.city.itoigawa.lg.jp/3790.htm ---- Q:奴奈川姫とは? A:「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」は『古事記(こじき)』や『出雲風土記(いずもふどき)』などの古代文献に登場する高志国(現在の福井県から新潟県)の姫であると言われています。 『古事記』では出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が沼河比売(= ぬなかわひめ?)に求婚に来た、とあり、また、『出雲風土記』では天の下造らしし大神(大国主命)が奴奈宜波比売(=ぬなかわひめ?)の命と結婚して御穂須々美(みほすすみ)命を生み、この神が美保に鎮座していると記されています。 あくまでも伝説ですが、それでも奴奈川姫を祭る神社が糸魚川・西頚城地方に多く、また、考古学的資料にも恵まれていること、さらには『万葉集(まんようしゅう)』の記述にある「沼名河の底なる玉…」との関係をみても、奴奈川姫は神秘的であり、姫にまつわる伝説がこの地方に多いのも興味深いものです。 ---- 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 1.奴奈川姫の遺跡 青海(おうみ)町黒姫山の東麓に「福来口(ふくがくち)」という大鍾乳洞がある。ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を「布川(ぬのかわ)」という。 [[「福来ヶ口大鍾乳洞」地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#15/36.989082/137.798660/]] この福来口から二里ばかりの所に「船庭の池」がある。これは姫の船遊をされた所だという。又今井村字今村との境に「東姥(うば)が懐(ふところ)」「西姥が懐」という地がある。ここは姫を育てた乳母の住んだ所だという。 黒姫山頂には姫を祀(まつ)った石祠(いしぼこら)があり、毎年四月二十四日の祭には多勢が登山する。その際不浄な物を身につければ上られぬという。青海町字田海(とうみ)には、この石祠の拝殿、山添(やまぞえ)社がある。渇水や霖雨(りんう)の時は祈願をする。 2.奴奈川姫の産所 能生谷(のうだに)村大字島道(しまみち)字滝の下に、岩井口(いわいぐち)という所がある。水がこんこんと流れ出ている。人々は奴奈川姫の産所であるといっている。 [[「奴奈川姫の産所」地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.0622538/138.016736/]] 3.経ヶ峰 西海村字平牛(ひらうし)の経ヶ峰には、太古には奴奈川姫の一族が住み村の形をしていた。その峰の頂には神に捧(ささ)げた金幣(きんぺい)が埋められてあり、毎夜光を放っていたので沖の漁師の標(しるし)となったという。 また、平牛の某(なにがし)が西国三十三番を巡り帰国の後、経札を三十三の塚に埋めた。これを「平牛の三十三塚」といい、この経ヶ峰は初一番だという。 4.飯塚 西海村字平牛の田圃(たんぼ)中に大きな土饅頭(まんじゅう)のように盛り上がった飯塚(いづか)の森がある。今は諏訪明神が祀られており、盆踊唄にも 平牛の飯塚の森にあ 鳥とまらぬこりゃ不思議 とうたわれている。 この塚には次のような二つの伝説がある。 大昔この地に住まれた奴奈川姫が御使用になった食器を埋められた所であるという。 もう一説は、義経に従って此の地を通った弁慶が、畚(もっこ)に土を小山のように盛って投げつけたので出来たのである。その時もう一つ投げたが、それはどこだかわからないという。 5.宮地 能生谷村大字柵口(ませぐち)の権現(ごんげん)岳は、奴奈川姫の旧跡で、今の宮地は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の住まれた所だという。 6.奴奈川姫の石 浦本村字鬼伏(おにぶし)の海岸と山とに、三個の質も形も同じ石がある。これを奴奈川姫の「おもちゃ石」といっている。 7.羽生の不動滝 西海村字羽生(はにゅう)の北西海小学校の裏に、不動滝がある。昔平牛の山に、奴奈川姫がおいでになり、火の玉となってこの滝に来、目を洗って眼病をなおしたという。後に或る武士が姫を祀る為に、一振の刀を埋め、不動明王を安置したという。 8.奴奈川姫の鏡 青海町の福来口(ふくがくち)に住んで居られた奴奈川姫は、出雲(いずも)族に攻められ、夜しめ川(今の姫川)を渡り大野村に、秘蔵の鏡を埋めてかくされた。今の信用組合裏の地蔵さんの所だという。 9.駒ヶ嶽(こまがたけ) 根知村字梶山(かじやま)の駒ヶ嶽は、ひし(絶壁)の所に駒に似た白い瘤(こぶ)があるから、付いた名だ。そこの鰐口(わにぐち)といふ洞穴に、昔明誓上人(みょうしょうしょうにん)が修行していたが、一跳に字根小屋(ねごや。現在は糸魚川市大字根小屋)へとび、尻をかけた所が、今井村字しりかかりという所だ。 一説。奴奈川姫が駒ヶ嶽の麓(ふもと)に居られた時、大国主命が尋ねて来た。門口に男と女の声がした。男は土地の神であった。二人は賭(かけ)をし、大国主は牛、土地の神は白い駒に乗りとんだ。土地の神は早かったが、駒は動かず石に化してしまった。それで大国主の牛が先に洞穴へついた。 又根知村字蒲池(がまいけ)の中上方(なかじょほう)に、駒の蹄(ひづめ)の跡のついている岩がある。青海町の黒姫山から、駒ヶ嶽へ大黒様が駒に乗って跳ばれたが、その岩に一寸駒の脚がかかったのだという。 10.市野々(いちのの)の地名 西海村字市野々の地名については、次のような話がある。 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。 豪族の駒は、尚奥へ逃げ込み、遂に石になってしまった。今根知村(現在糸魚川市根知地区)字梶山の向いの黒い絶壁に、白い馬の形となっている。その山も「駒ヶ嶽」といわれるようになった。 市野々という村名も、元は「一奴奈」であったのが、「一布」となり、更に市野々と変わったのだという。 11.権現岳の地名 能生谷村字柵口の背の権現岳には、奴奈川姫に関する地名が多い。中腹に「胎内(たいない)」という岩屋がある。奴奈川姫の住んだ所で、麓の「横清水(よこしょうず)」は飲料水であった。これは奴奈川姫が杖で突いて出した清水である。その中間に「わらじのぎ」という所もある。大国主命に追われて来たのだという。 12.西山の白山様 根知村字西山(にしやま)の白山様の柱は、全部一本の欅(けやき)を引き分けて建てたものだ。 この宮の御神体は「奴奈川姫の焼飯(やきめし)」という石で、盗んで行っても、屋根を越して字蒲池へ向くと、重くなって担げないという。 この神様は山犬を嫌いだから、西山には山犬の巣くう所が無かったという。 奴奈川姫伝説その2(『天津神社並奴奈川神社』より) 1.西頚城(にしくびき)郡田海(とうみ)村を流るゝ布川の川上に黒姫山と云ふ山あり、奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)の御母黒姫命の住座し給ひし山なり、山頂に石祠あり黒姫明神と称す、又黒姫権現(ごんげん)とも云う、此(こ)の神こゝにて布を織り其(その)川の水戸に持出で滌曝(てきぼう)まししによりて布川と云ふ。此神の御歌に ここに織る此の荒たへはかの海の小島にいますわがせの御衣 と。 2.黒姫山の半腹に福来口(ふくがくち)と称する洞穴あり、洞口高百五十尺、横七十尺、遠く之(これ)を望めば門扉を開くに似たり、水洞中より出で流れて川となる即ち布川の水源なり、古昔奴奈川姫命の布を織りし所なり。福来口は蓋(けだ)し夫来ヶ口ならんと。 3.西頚城郡に姫川と云ふ川あり、糸魚川と云ふ町にあり、糸魚川はもと厭川と書きしと云ふ。之れ奴奈川姫命が今日の姫川を渡りなやませたまひてかく呼びたまひしによると。 4.糸魚川町の南方平牛(ひらうし)山に稚子(ちご)ヶ池と呼ぶ池あり。このあたりに奴奈川姫命宮居の跡ありしと云ひ、又奴奈川姫命は此池にて御自害ありしと云ふ。即ち一旦大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に能登へ渡らせたまひしが、如何なる故にや再び海を渡り給ひて、ただ御一人此地に帰らせたまひいたく悲しみ嘆かせたまひし果てに、此池のほとりの葦(あし)原に御身を隠させ給ひて再び出でたまはざりしとなり。 5.奴奈川姫の命は御色黒くあまり美しき方にはおはさざりき。さればにや一旦大国主命に伴はれたまひて能登の国へ渡らせたまひしかど、御仲むしましからずしてつひに再び逃げかへらせたまひ、はじめ黒姫山の麓にかくれ住まはせたまひしが、能登にます大国主命よりの御使御後を追ひて来たりしに遇(あ)はせたまひ、そこより更に姫川の岸へ出(い)でたまひ川に沿うて南し、信濃北条の下なる現称姫川原にとどまり給ふ。しかれとも使のもの更にそこにも至りたれば、姫は更にのがれて根知谷に出でたまひ、山つたひに現今の平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびたまふ。使の者更に御跡に随(したが)ひたりしかども、ついに此稚子ヶ池のほとりの広き茅(かや)原の中に御姿を見失ふ。仍(より)てその茅原に火をつけ、姫の焼け出されたまふを俟(ま)ちてとらへまつらんとせり。しかれども姫はつひに再び御姿を現はしたまはずしてうせたまひぬ。仍て追従の者ども泣く泣くそのあたりに姫の御霊を祭りたてまつりしとなり。 6.根知谷上野村に御所と呼ぶ所あり、小高く土を盛り、四方を切石にて囲む、之れ奴奈川姫命宮居の跡なりと。 7.根知谷に上澤、大神堂(だいじんどう)の二ヶ所あり。上澤はもと神澤、大神堂はもと大神道と書きしが明治六年地権の際現在の如く改めしなり。いづれも大国主命と奴奈川姫命とに関係ある史跡ならんと土人云ひ伝ふ。 8.根知谷山口山にジンゾウ屋敷と呼ぶ所あり、之れ往昔奴奈川姫命の従者の住居せし跡にして、同谷山寺日吉神社裏山に奴奈川姫命の神剣埋めありと。 9.根知谷別所(べっしょ)山に牛の爪の痕(あと)の三つ刻まれある岩と、馬の足跡の一つ刻まれたる岩とあり。昔奴奈川姫命に懸想したる土地の神が大国主命の来りたまひて姫を娶(めと)らんとしたまひしを憤り、大国主命の宮居へあばれ込み、論争の結果、山の高所より跳びくらべをなし勝ちしもの姫を得ることにせんと約す。即ち土地の神は黒き青毛の駒に跨(またが)り、大国主命は牛に乗り給ひて、駒ヶ岳の絶頂に立つ。茲(ここ)に於(おい)て先づ土地の神馬に鞭をあててその絶頂より飛びしにかの馬の爪痕の残れる別所の一角に達す。次に大国主命牛をはげまして飛びたまひしに、不思議にも馬の達せしところより二三町先なる地点に達したまふ。之れ今日なほ牛の爪痕の残れる岩のあるところなり。然るに土地の神この結果を見て更に大に憤り、今一度勝敗を争はん事を求む。大国主命快く諾ひたまふ。仍て土地の神先づ憤激にまかせて、馬を飛ばせしが、天なる神の咎(とが)めやありけむ、僅(わず)かに駒ヶ岳の中腹に達せしのみにて、しかも馬毫(わずか)も動かず、そのまま石に化し了(おわ)る。今なほ駒ヶ岳の中腹に馬の形をしたる岩石ありありと見ゆ、即ち之れなり。而して此の馬、石と化してもなほ時候の変り目などには折々寝返りをなすとは今日尚ほ土俗の信ずるところなり。 10.姫川の上流なる松川に姫ヶ淵と名づくるところあり、之れ奴奈川姫命の身を投げてかくさせたまへるところなりと。 11.長野県北安曇郡此小谷村に中又と呼ぶところあり、ここにて奴奈川姫命建御名方神奴奈川姫二柱なり。 12.姫川の上流姫ヶ淵の付近にコウカイ原と云ふところあり、ここにて奴奈川姫命その御子建御名方神と別れたまひしところなりと。 13.糸魚川の地方にては毎朝鶏鳴(けいめい)を待ちて一同起き出で屋内、門前等の掃除をなす、此は奴奈川姫の古事によりて今に替らず、これ当国中に曽(かつ)て見得ざる所なりとは越後風俗志の誌(しる)すところより。 奴奈川姫伝説その3(『北安曇郡郷土誌稿』より) 1.山王池 北小谷村戸土(とど)区戸土神社の横手に山王池がある。諏訪明神御出生の砌(みぎり)、此の池の水を用ひて産湯になされたと云ひ伝へてゐる。尚この池の水は越後の根知村山寺の山王神社の御手洗水に通じてゐるとも云はれてゐる。 2.姫淵伝説 北城(ほくじょう)村字大出(おおいで)の地籍に属する姫川の中程に、姫淵(ひめがふち)といふ深い淵がある。大昔沼川姫の御入水の淵だと言はれてゐる。姫淵も姫川もこのことから名づけられたのだ。尚姫は入水に当つて一子を残された。その御方が諏訪大明神だ。 3.奉納の古宮の梨の木とうば杉 中土(なかつち)村奉納(ぶのう)部落の入口に小高い丘があつて、昔そこに奴奈川姫を祭つたお宮があつた。古宮と云つてゐたが、白鳳年間に部落の上の方へ移して諏訪神社と云ひ他の神様も合せ祀つて村の産土神となつてゐる。其の古宮のあつた処に今高さ四尺幅二尺五六寸厚さ一尺位の、石の墓標(はかじるし)らしいものが建たつてゐて、奴奈川姫の墓じるしだと云つてゐる。此のそばに二抱へもある梨の木があるが、昔から伐ることを禁じられてゐる。此の梨の木に実がなれば其の年は「けかち(凶年)」だと云つてゐる。今まで出逢つた「けかち」には大てい実がなつた。又其の近くに「うば杉」と云ふ杉の大木があつた。松本城主某が築城の為めこれを伐つて松本まで運搬方を命じたが、伐る時四方へとび散つた木片が忽(たちま)ちとびかへつて来て元通りにくつゝき、又鋸(のこぎり)で挽(ひ)けば血が出たりして困つた。そこで其の木片全部を焼き棄てた。此の木の長さは三十三丈余もあつて、伐り倒した時は此部落の入口の沢に橋にかゝつたと云ふ。又此の木を運んで今の平(たいら)村木崎(きざき)辺へ来た時、重くて容易に動かなくなつた。その木の先が此の地にさしかゝつたので、此地方を木崎(木先)と云つたのだと云ふ。 奴奈川姫の墓じるしのある所から少し離れた道下に、「おてふ塚」と云ふ塚がある。これは姫に仕へた腰元の墓だといふ。 4.姫ヶ淵 中土村館山(たてやま)の中央、姫川筋に深さ幾尺あるか測り知れない凄い淵があつて、姫ケ淵と呼ばれてゐた。昔建御名方命の母奴奈川姫が身をお隠しあそばされたところだといふ。 又一説には平倉城の落ちたとき、城主飯森十郎盛春の娘某が名馬に乗つて一鞭あて、平倉城から中谷川を跳越し飯山の麓に到り、この淵へ入水したのだともいはれてゐる。 南小谷村にも姫ケ淵と呼ばれてゐる淵があるが、ここは大昔奴奈川姫が越後から姫川を遡つて休まれた処なので姫ケ淵といふようになつたのだといひ、姫川の名もこれから出たのだといふ。又この淵の涸れたときは国に変事のある前兆だといひ、日清・日露の両戦役の前には実際水の涸れたことがあつた。 5.行人塚 南小谷村親ノ原部落の千国街道の西側に小丸山といふ丘陵があるが、ここに三体の石仏像と石塔が一基あつて土地の人は行人塚といつて居る。行者を葬つた塚だともいひ、或ひは又親ノ原は親納原で奴奈河姫の御霊を納めた塚であつて、崇神天皇様の御代の建設だともいつてゐて判然しない。又附近からは土器石器等の破片が沢山出る。 ---- お問い合わせ先 文化振興課 所在地/〒941-8501 新潟県糸魚川市一の宮1-2-5 糸魚川市教育委員会事務局内 電話番号/ 025-552-1511 FAX/025-552-8292 ----
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[[メモa]] 「沼河比売の伝説」 糸魚川市のサイトからtext部分を転載 https://www.city.itoigawa.lg.jp/3790.htm ---- Q:奴奈川姫とは? A:「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」は『古事記(こじき)』や『出雲風土記(いずもふどき)』などの古代文献に登場する高志国(現在の福井県から新潟県)の姫であると言われています。 『古事記』では出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が沼河比売(= ぬなかわひめ?)に求婚に来た、とあり、また、『出雲風土記』では天の下造らしし大神(大国主命)が奴奈宜波比売(=ぬなかわひめ?)の命と結婚して御穂須々美(みほすすみ)命を生み、この神が美保に鎮座していると記されています。 あくまでも伝説ですが、それでも奴奈川姫を祭る神社が糸魚川・西頚城地方に多く、また、考古学的資料にも恵まれていること、さらには『万葉集(まんようしゅう)』の記述にある「沼名河の底なる玉…」との関係をみても、奴奈川姫は神秘的であり、姫にまつわる伝説がこの地方に多いのも興味深いものです。 ---- 奴奈川姫伝説その1(『西頚城郡の伝説』より) 1.奴奈川姫の遺跡 青海(おうみ)町黒姫山の東麓に「福来口(ふくがくち)」という大鍾乳洞がある。ここに大昔、奴奈川姫が住んでおり、機(はた)を織っては、洞穴から流れ出る川でその布をさらした。それでこの川を「布川(ぬのかわ)」という。 [[「福来ヶ口大鍾乳洞」地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#15/36.989082/137.798660/]] この福来口から二里ばかりの所に「船庭の池」がある。これは姫の船遊をされた所だという。又今井村字今村との境に「東姥(うば)が懐(ふところ)」「西姥が懐」という地がある。ここは姫を育てた乳母の住んだ所だという。 黒姫山頂には姫を祀(まつ)った石祠(いしぼこら)があり、毎年四月二十四日の祭には多勢が登山する。その際不浄な物を身につければ上られぬという。青海町字田海(とうみ)には、この石祠の拝殿、山添(やまぞえ)社がある。渇水や霖雨(りんう)の時は祈願をする。 2.奴奈川姫の産所 能生谷(のうだに)村大字島道(しまみち)字滝の下に、岩井口(いわいぐち)という所がある。水がこんこんと流れ出ている。人々は奴奈川姫の産所であるといっている。 [[「奴奈川姫の産所」地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.0622538/138.016736/]] 3.経ヶ峰 西海村字平牛(ひらうし)の経ヶ峰には、太古には奴奈川姫の一族が住み村の形をしていた。その峰の頂には神に捧(ささ)げた金幣(きんぺい)が埋められてあり、毎夜光を放っていたので沖の漁師の標(しるし)となったという。 また、平牛の某(なにがし)が西国三十三番を巡り帰国の後、経札を三十三の塚に埋めた。これを「平牛の三十三塚」といい、この経ヶ峰は初一番だという。 4.飯塚 西海村字平牛の田圃(たんぼ)中に大きな土饅頭(まんじゅう)のように盛り上がった飯塚(いづか)の森がある。今は諏訪明神が祀られており、盆踊唄にも 平牛の飯塚の森にあ 鳥とまらぬこりゃ不思議 とうたわれている。 この塚には次のような二つの伝説がある。 大昔この地に住まれた奴奈川姫が御使用になった食器を埋められた所であるという。 もう一説は、義経に従って此の地を通った弁慶が、畚(もっこ)に土を小山のように盛って投げつけたので出来たのである。その時もう一つ投げたが、それはどこだかわからないという。 5.宮地 能生谷村大字柵口(ませぐち)の権現(ごんげん)岳は、奴奈川姫の旧跡で、今の宮地は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の住まれた所だという。 6.奴奈川姫の石 浦本村字鬼伏(おにぶし)の海岸と山とに、三個の質も形も同じ石がある。これを奴奈川姫の「おもちゃ石」といっている。 7.羽生の不動滝 西海村字羽生(はにゅう)の北西海小学校の裏に、不動滝がある。昔平牛の山に、奴奈川姫がおいでになり、火の玉となってこの滝に来、目を洗って眼病をなおしたという。後に或る武士が姫を祀る為に、一振の刀を埋め、不動明王を安置したという。 8.奴奈川姫の鏡 青海町の福来口(ふくがくち)に住んで居られた奴奈川姫は、出雲(いずも)族に攻められ、夜しめ川(今の姫川)を渡り大野村に、秘蔵の鏡を埋めてかくされた。今の信用組合裏の地蔵さんの所だという。 9.駒ヶ嶽(こまがたけ) 根知村字梶山(かじやま)の駒ヶ嶽は、ひし(絶壁)の所に駒に似た白い瘤(こぶ)があるから、付いた名だ。そこの鰐口(わにぐち)といふ洞穴に、昔明誓上人(みょうしょうしょうにん)が修行していたが、一跳に字根小屋(ねごや。現在は糸魚川市大字根小屋)へとび、尻をかけた所が、今井村字しりかかりという所だ。 一説。奴奈川姫が駒ヶ嶽の麓(ふもと)に居られた時、大国主命が尋ねて来た。門口に男と女の声がした。男は土地の神であった。二人は賭(かけ)をし、大国主は牛、土地の神は白い駒に乗りとんだ。土地の神は早かったが、駒は動かず石に化してしまった。それで大国主の牛が先に洞穴へついた。 又根知村字蒲池(がまいけ)の中上方(なかじょほう)に、駒の蹄(ひづめ)の跡のついている岩がある。青海町の黒姫山から、駒ヶ嶽へ大黒様が駒に乗って跳ばれたが、その岩に一寸駒の脚がかかったのだという。 10.市野々(いちのの)の地名 西海村字市野々の地名については、次のような話がある。 奴奈川姫の夫は松本の豪族であったが、大国主命との間に争を生じた。豪族は福来口で戦い、敗けて逃げ、姫川を渡り、中山峠に困り、濁川(にごりがわ)の谷に沿うて、市野々に上って来た。登り切って、後を望み見た所が、今の「覗戸(のぞきど)」である。大国主命に追いつめられ、首を斬られてしまった。後祀られたのが今の「大将軍社」である。 豪族の駒は、尚奥へ逃げ込み、遂に石になってしまった。今根知村(現在糸魚川市根知地区)字梶山の向いの黒い絶壁に、白い馬の形となっている。その山も「駒ヶ嶽」といわれるようになった。 市野々という村名も、元は「一奴奈」であったのが、「一布」となり、更に市野々と変わったのだという。 11.権現岳の地名 能生谷村字柵口の背の権現岳には、奴奈川姫に関する地名が多い。中腹に「胎内(たいない)」という岩屋がある。奴奈川姫の住んだ所で、麓の「横清水(よこしょうず)」は飲料水であった。これは奴奈川姫が杖で突いて出した清水である。その中間に「わらじのぎ」という所もある。大国主命に追われて来たのだという。 12.西山の白山様 根知村字西山(にしやま)の白山様の柱は、全部一本の欅(けやき)を引き分けて建てたものだ。 この宮の御神体は「奴奈川姫の焼飯(やきめし)」という石で、盗んで行っても、屋根を越して字蒲池へ向くと、重くなって担げないという。 この神様は山犬を嫌いだから、西山には山犬の巣くう所が無かったという。 奴奈川姫伝説その2(『天津神社並奴奈川神社』より) 1.西頚城(にしくびき)郡田海(とうみ)村を流るゝ布川の川上に黒姫山と云ふ山あり、奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)の御母黒姫命の住座し給ひし山なり、山頂に石祠あり黒姫明神と称す、又黒姫権現(ごんげん)とも云う、此(こ)の神こゝにて布を織り其(その)川の水戸に持出で滌曝(てきぼう)まししによりて布川と云ふ。此神の御歌に ここに織る此の荒たへはかの海の小島にいますわがせの御衣 と。 2.黒姫山の半腹に福来口(ふくがくち)と称する洞穴あり、洞口高百五十尺、横七十尺、遠く之(これ)を望めば門扉を開くに似たり、水洞中より出で流れて川となる即ち布川の水源なり、古昔奴奈川姫命の布を織りし所なり。福来口は蓋(けだ)し夫来ヶ口ならんと。 3.西頚城郡に姫川と云ふ川あり、糸魚川と云ふ町にあり、糸魚川はもと厭川と書きしと云ふ。之れ奴奈川姫命が今日の姫川を渡りなやませたまひてかく呼びたまひしによると。 4.糸魚川町の南方平牛(ひらうし)山に稚子(ちご)ヶ池と呼ぶ池あり。このあたりに奴奈川姫命宮居の跡ありしと云ひ、又奴奈川姫命は此池にて御自害ありしと云ふ。即ち一旦大国主命(おおくにぬしのみこと)と共に能登へ渡らせたまひしが、如何なる故にや再び海を渡り給ひて、ただ御一人此地に帰らせたまひいたく悲しみ嘆かせたまひし果てに、此池のほとりの葦(あし)原に御身を隠させ給ひて再び出でたまはざりしとなり。 5.奴奈川姫の命は御色黒くあまり美しき方にはおはさざりき。さればにや一旦大国主命に伴はれたまひて能登の国へ渡らせたまひしかど、御仲むしましからずしてつひに再び逃げかへらせたまひ、はじめ黒姫山の麓にかくれ住まはせたまひしが、能登にます大国主命よりの御使御後を追ひて来たりしに遇(あ)はせたまひ、そこより更に姫川の岸へ出(い)でたまひ川に沿うて南し、信濃北条の下なる現称姫川原にとどまり給ふ。しかれとも使のもの更にそこにも至りたれば、姫は更にのがれて根知谷に出でたまひ、山つたひに現今の平牛山稚子ヶ池のほとりに落ちのびたまふ。使の者更に御跡に随(したが)ひたりしかども、ついに此稚子ヶ池のほとりの広き茅(かや)原の中に御姿を見失ふ。仍(より)てその茅原に火をつけ、姫の焼け出されたまふを俟(ま)ちてとらへまつらんとせり。しかれども姫はつひに再び御姿を現はしたまはずしてうせたまひぬ。仍て追従の者ども泣く泣くそのあたりに姫の御霊を祭りたてまつりしとなり。 6.根知谷上野村に御所と呼ぶ所あり、小高く土を盛り、四方を切石にて囲む、之れ奴奈川姫命宮居の跡なりと。 7.根知谷に上澤、大神堂(だいじんどう)の二ヶ所あり。上澤はもと神澤、大神堂はもと大神道と書きしが明治六年地権の際現在の如く改めしなり。いづれも大国主命と奴奈川姫命とに関係ある史跡ならんと土人云ひ伝ふ。 8.根知谷山口山にジンゾウ屋敷と呼ぶ所あり、之れ往昔奴奈川姫命の従者の住居せし跡にして、同谷山寺日吉神社裏山に奴奈川姫命の神剣埋めありと。 9.根知谷別所(べっしょ)山に牛の爪の痕(あと)の三つ刻まれある岩と、馬の足跡の一つ刻まれたる岩とあり。昔奴奈川姫命に懸想したる土地の神が大国主命の来りたまひて姫を娶(めと)らんとしたまひしを憤り、大国主命の宮居へあばれ込み、論争の結果、山の高所より跳びくらべをなし勝ちしもの姫を得ることにせんと約す。即ち土地の神は黒き青毛の駒に跨(またが)り、大国主命は牛に乗り給ひて、駒ヶ岳の絶頂に立つ。茲(ここ)に於(おい)て先づ土地の神馬に鞭をあててその絶頂より飛びしにかの馬の爪痕の残れる別所の一角に達す。次に大国主命牛をはげまして飛びたまひしに、不思議にも馬の達せしところより二三町先なる地点に達したまふ。之れ今日なほ牛の爪痕の残れる岩のあるところなり。然るに土地の神この結果を見て更に大に憤り、今一度勝敗を争はん事を求む。大国主命快く諾ひたまふ。仍て土地の神先づ憤激にまかせて、馬を飛ばせしが、天なる神の咎(とが)めやありけむ、僅(わず)かに駒ヶ岳の中腹に達せしのみにて、しかも馬毫(わずか)も動かず、そのまま石に化し了(おわ)る。今なほ駒ヶ岳の中腹に馬の形をしたる岩石ありありと見ゆ、即ち之れなり。而して此の馬、石と化してもなほ時候の変り目などには折々寝返りをなすとは今日尚ほ土俗の信ずるところなり。 10.姫川の上流なる松川に姫ヶ淵と名づくるところあり、之れ奴奈川姫命の身を投げてかくさせたまへるところなりと。 11.長野県北安曇郡此小谷村に中又と呼ぶところあり、ここにて奴奈川姫命建御名方神奴奈川姫二柱なり。 12.姫川の上流姫ヶ淵の付近にコウカイ原と云ふところあり、ここにて奴奈川姫命その御子建御名方神と別れたまひしところなりと。 13.糸魚川の地方にては毎朝鶏鳴(けいめい)を待ちて一同起き出で屋内、門前等の掃除をなす、此は奴奈川姫の古事によりて今に替らず、これ当国中に曽(かつ)て見得ざる所なりとは越後風俗志の誌(しる)すところより。 奴奈川姫伝説その3(『北安曇郡郷土誌稿』より) 1.山王池 北小谷村戸土(とど)区戸土神社の横手に山王池がある。諏訪明神御出生の砌(みぎり)、此の池の水を用ひて産湯になされたと云ひ伝へてゐる。尚この池の水は越後の根知村山寺の山王神社の御手洗水に通じてゐるとも云はれてゐる。 2.姫淵伝説 北城(ほくじょう)村字大出(おおいで)の地籍に属する姫川の中程に、姫淵(ひめがふち)といふ深い淵がある。大昔沼川姫の御入水の淵だと言はれてゐる。姫淵も姫川もこのことから名づけられたのだ。尚姫は入水に当つて一子を残された。その御方が諏訪大明神だ。 3.奉納の古宮の梨の木とうば杉 中土(なかつち)村奉納(ぶのう)部落の入口に小高い丘があつて、昔そこに奴奈川姫を祭つたお宮があつた。古宮と云つてゐたが、白鳳年間に部落の上の方へ移して諏訪神社と云ひ他の神様も合せ祀つて村の産土神となつてゐる。其の古宮のあつた処に今高さ四尺幅二尺五六寸厚さ一尺位の、石の墓標(はかじるし)らしいものが建たつてゐて、奴奈川姫の墓じるしだと云つてゐる。此のそばに二抱へもある梨の木があるが、昔から伐ることを禁じられてゐる。此の梨の木に実がなれば其の年は「けかち(凶年)」だと云つてゐる。今まで出逢つた「けかち」には大てい実がなつた。又其の近くに「うば杉」と云ふ杉の大木があつた。松本城主某が築城の為めこれを伐つて松本まで運搬方を命じたが、伐る時四方へとび散つた木片が忽(たちま)ちとびかへつて来て元通りにくつゝき、又鋸(のこぎり)で挽(ひ)けば血が出たりして困つた。そこで其の木片全部を焼き棄てた。此の木の長さは三十三丈余もあつて、伐り倒した時は此部落の入口の沢に橋にかゝつたと云ふ。又此の木を運んで今の平(たいら)村木崎(きざき)辺へ来た時、重くて容易に動かなくなつた。その木の先が此の地にさしかゝつたので、此地方を木崎(木先)と云つたのだと云ふ。 奴奈川姫の墓じるしのある所から少し離れた道下に、「おてふ塚」と云ふ塚がある。これは姫に仕へた腰元の墓だといふ。 4.姫ヶ淵 中土村館山(たてやま)の中央、姫川筋に深さ幾尺あるか測り知れない凄い淵があつて、姫ケ淵と呼ばれてゐた。昔建御名方命の母奴奈川姫が身をお隠しあそばされたところだといふ。 又一説には平倉城の落ちたとき、城主飯森十郎盛春の娘某が名馬に乗つて一鞭あて、平倉城から中谷川を跳越し飯山の麓に到り、この淵へ入水したのだともいはれてゐる。 南小谷村にも姫ケ淵と呼ばれてゐる淵があるが、ここは大昔奴奈川姫が越後から姫川を遡つて休まれた処なので姫ケ淵といふようになつたのだといひ、姫川の名もこれから出たのだといふ。又この淵の涸れたときは国に変事のある前兆だといひ、日清・日露の両戦役の前には実際水の涸れたことがあつた。 5.行人塚 南小谷村親ノ原部落の千国街道の西側に小丸山といふ丘陵があるが、ここに三体の石仏像と石塔が一基あつて土地の人は行人塚といつて居る。行者を葬つた塚だともいひ、或ひは又親ノ原は親納原で奴奈河姫の御霊を納めた塚であつて、崇神天皇様の御代の建設だともいつてゐて判然しない。又附近からは土器石器等の破片が沢山出る。 ---- お問い合わせ先 文化振興課 所在地/〒941-8501 新潟県糸魚川市一の宮1-2-5 糸魚川市教育委員会事務局内 電話番号/ 025-552-1511 FAX/025-552-8292 ----
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