『古事記』真福寺本-上-k01~
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▲岡山県勝田郡奈義町・鳥取県八頭郡智頭町「那岐山」
▲島根県出雲市「姉山」
▲島根県安来市切川町「城山」
▲島根県安来市島田町「清水山」
▲島根県松江市八雲町・雲南市大東町「八雲山」(須我山)
▲島根県雲南市加茂町「高麻山」
▲島根県雲南市大東町中湯石「室山」
▲島根県雲南市木次町里方「城名樋山」
▲広島県庄原市比和町「比婆山」
△007-孝霊天皇
△043-元明天皇
○兵庫県南あわじ市榎列下幡多415「自凝島神社」
○兵庫県洲本市上内膳2132-7「岩戸神社」
○千葉県香取郡小見川町岡飯田字天之宮「天之宮神社」
○千葉県香取郡東庄町い580-1「諏訪大神」
○和歌山県新宮市神倉1-13-8「神倉神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町出雲58「朝貴神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町樫野1037「雷公神社」
○和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2878「潮御崎神社」
○和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山「飛瀧神社」
○和歌山県田辺市本宮町本宮1「大斎原」
○大分県宇佐市安心院町妻垣203「妻垣神社」
○山口県山口市阿東地福下「諏訪神社」
○山口県山口市阿東地福下鷹巣「諏訪神社」
○山口県山口市阿東徳佐上「諏訪神社」
○山口県山口市阿東徳佐台「諏訪神社」
○山口県柳井市伊陸7599「大諏訪神社」
○山口県萩市須佐「黄帝社」
○山梨県北杜市白州町横手3804-1「駒ヶ嶽神社(横手)」
○山梨県北杜市白州町白須8884-1「駒ヶ嶽神社(竹宇)」
○岡山県勝田郡奈義町宮内639「宮内神社」
○岡山県勝田郡奈義町成松94-2「諾神社」
○島根県仁多郡奥出雲町三成687「三成八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町三成宇根「玉日女神社」
○島根県仁多郡奥出雲町三所806「須我非神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上三所334「居去神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井2「大原神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井「荒神社」
○島根県仁多郡奥出雲町上阿井内尾谷「穴命さん」
○島根県仁多郡奥出雲町中村1587「羽鳥神社」
○島根県仁多郡奥出雲町中村聞語山170「横田八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1284「湯野神社」
○島根県仁多郡奥出雲町佐白八頭「元八重垣神社」
○島根県仁多郡奥出雲町八代344「仰支斯里神社」
○島根県仁多郡奥出雲町八川2071「八川八幡宮」
○島根県仁多郡奥出雲町八川三井野3137「稚児ヶ池神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大呂2058-2「鬼神神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大谷1122「大谷神社」
○島根県仁多郡奥出雲町大谷「姫子神社」
○島根県仁多郡奥出雲町横田385「本山神社」
○島根県仁多郡奥出雲町竹崎474「萬歳山之神社」
○島根県仁多郡奥出雲町郡597「大領神社」
○島根県仁多郡奥出雲町高尾780「高尾神社」
○島根県出雲市佐田町下橋波172「波須波神社」
○島根県出雲市佐田町反辺1064「多倍神社」
○島根県出雲市佐田町吉野324「田中神社」
○島根県出雲市佐田町朝原641「寶坂神社」
○島根県出雲市坂浦町1503「立石神社」
○島根県出雲市多久谷町1141「宿努神社」
○島根県出雲市多伎町多岐1542「加夜堂」
○島根県出雲市多岐町奥田儀宮本「金屋子神社」
○島根県出雲市大社町杵築北2843-13「出雲手斧神社」
○島根県出雲市奥宇賀町布勢上「夜見神社」
○島根県出雲市小境町108「佐香神社」
○島根県出雲市斐川町求院731「求院八幡宮」
○島根県出雲市稗原町2571「市森神社」
○島根県出雲市美野町382「伊努神社」
○島根県出雲市美野町935「葦高神社」
○島根県安来市伯太町下小竹242「玉神社」
○島根県安来市利弘町521「賀茂神社」
○島根県安来市宇賀荘町473「嵩神社」
○島根県安来市安来町541「加茂神社」
○島根県安来市広瀬町上山佐182「水天宮」
○島根県安来市広瀬町東比田2595-6「縄久利神社」
○島根県安来市広瀬町西比田2452「比太神社」
○島根県安来市広瀬町西比田307-1「金屋子神社」
○島根県安来市広瀬町西比田市原「磐船神社」
○島根県安来市広瀬町西比田追神「待神社」
○島根県安来市清水町21「星神社」
○島根県安来市西松井町81「出雲路幸神社」
○島根県安来市野方町247「神藏神社」
○島根県松江市八束町江島184「蜛蝫神社」
○島根県松江市八雲町日吉10「劔神社」
○島根県松江市八雲町東岩坂2193「那冨乃夜神社」
○島根県松江市大庭町563「神魂神社」
○島根県松江市宍道町上来待和名佐「和名佐神社」(和奈佐神社)
○島根県松江市宍道町東来待1700「屋風呂神社」
○島根県松江市岡本町876「多太神社」
○島根県松江市島根町大芦2106「大埼神社」
○島根県松江市島根町大芦2209「大埼川邊社」
○島根県松江市東出雲町出雲郷588「阿太加夜神社」
○島根県松江市東持田町262「加佐奈子神社」
○島根県松江市福原町547「虫野神社」
○島根県松江市秋鹿町2853「秋鹿神社」
○島根県松江市西忌部町1148「空山神社」
○島根県松江市西持田町895-1「持田神社」
○島根県松江市鹿島町御津2911「御津神社」
○島根県邑智郡邑南町八色石792「龍岩神社」
○島根県邑智郡邑南町岩屋1714「志都岩屋神社」
○島根県雲南市三刀屋町乙加宮2206「日倉神社」
○島根県雲南市三刀屋町伊萱1096「井草神社」
○島根県雲南市三刀屋町六重243「飯石神社」
○島根県雲南市三刀屋町古城1304「奈倍山神社」
○島根県雲南市三刀屋町古城94「田中神社」
○島根県雲南市三刀屋町神代236「神代神社」
○島根県雲南市三刀屋町粟谷949「粟谷神社」
○島根県雲南市加茂町加茂中996「加茂神社」
○島根県雲南市加茂町大竹676「赤秦神社」
○島根県雲南市加茂町岩倉「矢櫃神社」跡
○島根県雲南市加茂町延野251「布須神社」
○島根県雲南市加茂町東谷1133「屋裏八幡宮」
○島根県雲南市加茂町砂子原196「比和神社」
○島根県雲南市加茂町立原115「須美禰神社」
○島根県雲南市吉田町吉田1023「兎比神社」
○島根県雲南市吉田町吉田361「多賀毛利神社」
○島根県雲南市吉田町民谷793「王子神社」
○島根県雲南市吉田町民谷宇山「石神社」
○島根県雲南市大東町上久野1110「嶽神社(春殖社)」
○島根県雲南市大東町上久野269「鎌倉神社」
○島根県雲南市大東町下佐世837「狩山八幡宮」
○島根県雲南市大東町中湯石1446「日原神社」
○島根県雲南市大東町中湯石934「湯神社」
○島根県雲南市大東町仁和寺1719-1「諏訪神社」
○島根県雲南市大東町北村18「船林神社」
○島根県雲南市大東町大ヶ谷427「置谷神社」
○島根県雲南市大東町大東下分1016「春殖神社」
○島根県雲南市大東町小河内167「除川神社」
○島根県雲南市大東町小河内402「川原神社」
○島根県雲南市大東町川井186「鮭神社」
○島根県雲南市大東町幡屋1052-1「幡屋神社」
○島根県雲南市大東町新庄432「鏡神社」
○島根県雲南市大東町東阿用199「阿用神社」
○島根県雲南市大東町篠淵215「等等呂吉神社」
○島根県雲南市大東町遠所484「伊佐山神社」
○島根県雲南市大東町須賀260「須我神社」
○島根県雲南市大東町飯田158「素鵞神社」
○島根県雲南市掛合町多根1495「多根神社」
○島根県雲南市掛合町掛合2136「狭長神社」
○島根県雲南市掛合町波多344「波多神社」
○島根県雲南市掛合町穴見336「穴見神社」
○島根県雲南市木次町山方216「子安八幡宮」
○島根県雲南市木次町平田1960「石壺神社」
○島根県雲南市木次町平田435「日御崎神社」
○島根県雲南市木次町湯村1060「温泉神社」
○島根県雲南市木次町西日登1524-1「八口神社」
○島根県飯石郡飯南町上赤名1652「赤穴八幡宮」
○島根県飯石郡飯南町下来島3451「來嶋神社」
○島根県飯石郡飯南町下赤名石次「今石神社」
○島根県飯石郡飯南町佐見「琴弾山神社」
○島根県飯石郡飯南町八神60「志志乃村神社」
○島根県飯石郡飯南町頓原1636「由來八幡宮」
○広島県山県郡北広島町宮迫字磐門1357「天磐門別神社」
○広島県庄原市比和町三河内3462「比婆山神社」
○新潟県上越市五智国分2111岩殿山明静院「諏訪神社」
○新潟県糸魚川市一の宮1-3-34「天津神社」
○福岡県築上郡築上町大字高塚794-2「綱敷天満宮」
○福岡県行橋市南泉7-13-11「豊日別宮」
○福岡県遠賀郡芦屋町「神武天皇社」
○茨城県日立市大みか町6-16-1「大甕神社」
○茨城県東茨城郡城里町石塚1088「風隼神社」
○茨城県那珂郡東海村石神外宿1「石神社」
○長野県松本市入山辺6333「大和合神社」
○長野県松本市里山辺薄町2785「須々岐水神社」
○長野県茅野市本町東15「御座石神社」
○長野県長野市戸隠3506「戸隠神社中社」
○長野県長野市戸隠3690「戸隠神社奥社」
○鳥取県倉吉市国分寺426「國廳裏神社」
○鳥取県八頭郡智頭町大背708「那岐神社」
○鳥取県日野郡日南町阿毘縁224「上阿毘縁神社」
○鳥取県日野郡日南町阿毘縁2489「熊野神社」
○鳥取県米子市橋本623「阿陀萱神社」
○鳥取県西伯郡南部町寺内232「赤猪岩神社」
○鳥取県西伯郡南部町清水川「清水川神社」
○鳥取県鳥取市国府町菅野31「酒賀神社」
○鹿児島県鹿屋市吾平町神野「大川内神社」
◎三重県熊野市有馬町130「花の窟神社」
◎三重県鈴鹿市山本町1871「椿大神社」
◎兵庫県淡路市多賀740「伊弉諾神宮」
◎兵庫県豊岡市三宅1「中嶋神社」
◎兵庫県豊岡市下宮318-2「久久比神社」
◎千葉県館山市大神宮589「安房神社」
◎千葉県香取市香取1697「香取神宮」
◎大分県豊後大野市緒方町大座尾平鉱山236「健男霜凝日子麓社」
◎山口県周南市長穂1303「周方神社」
◎山口県山口市徳地岸見字樋ノ口557「三坂神社」
◎山口県防府市大字大崎1690「玉祖神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町三沢402「三沢神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町佐白116「伊賀武神社」「八重垣神社」
◎島根県仁多郡奥出雲町横田1278「伊賀多氣神社」
◎島根県出雲市下古志町1374「比布智神社」
◎島根県出雲市久多美町301「玖潭神社」
◎島根県出雲市佐田町須佐730番地「須佐神社」
◎島根県出雲市別所町72「諏訪神社」
◎島根県出雲市口宇賀町521「宇賀神社」
◎島根県出雲市古志町2254「久奈子神社」
◎島根県出雲市唐川町後野408「韓竈神社」
◎島根県出雲市塩冶町1686「阿利神社」
◎島根県出雲市多伎町口田儀866「津野神社」
◎島根県出雲市多伎町多岐639「多伎神社」
◎島根県出雲市多伎町小田503「小田神社」
◎島根県出雲市多伎町小田「和歌山権現」(多伎社)
◎島根県出雲市大社町日御碕455「日御碕神社」
◎島根県出雲市大社町遙堪1473「阿須伎神社」
◎島根県出雲市奥宇賀町1388-14「奥宇賀神社」
◎島根県出雲市所原町3549「富能加神社」
◎島根県出雲市斐川町三絡559「波知神社」
◎島根県出雲市斐川町直江2518「御井神社」
◎島根県出雲市斐川町神氷823「曽枳能夜神社」
◎島根県出雲市朝山町1404「朝山神社」
◎島根県出雲市東神西町842「那賣佐神社」
◎島根県出雲市矢野町725「八野神社」
◎島根県出雲市稗原町2571「市森神社」
◎島根県出雲市西林木町376「伊努神社」
◎島根県大田市三瓶町多根305「佐比賣山神社」
◎島根県安来市伯太町安田520「田面神社」
◎島根県安来市宇賀荘町473「嵩神社」
◎島根県安来市広瀬町上山佐598「山狭神社」(上山狭神社)
◎島根県安来市広瀬町下山佐1176「山狭神社」(下山狭神社)
◎島根県安来市広瀬町富田782「勝日高守神社」
◎島根県安来市広瀬町広瀬1415「都辨志呂神社」
◎島根県安来市広瀬町広瀬85「富田八幡宮」「勝日神社」
◎島根県安来市能義町366「能義神社」
◎島根県安来市飯生町679「意多伎神社」
◎島根県松江市上宇部尾町331「多気神社」
◎島根県松江市上本庄町921「川上神社」
◎島根県松江市上東川津町1「布自伎美神社」
◎島根県松江市乃白町779「野白神社」
◎島根県松江市八雲町熊野2451「熊野大社」
◎島根県松江市大垣町746「内神社」(高野宮)
◎島根県松江市宍道町上来待242「来待神社」
◎島根県松江市宍道町上来待551「佐久多神社」
◎島根県松江市宍道町白石1464「佐爲神社」
◎島根県松江市宍道町白石638「石宮神社」
◎島根県松江市山代町84「眞名井神社」
◎島根県松江市新庄町994「久良彌神社」
◎島根県松江市東出雲町揖屋2229「揖夜神社」
◎島根県松江市東忌部町平口「久多美神社」
◎島根県松江市玉湯町布志名151「布自奈大穴持神社」
◎島根県松江市玉湯町玉造508「玉作湯神社」
◎島根県松江市美保関町千酌1052「爾佐神社」
◎島根県松江市長海町59「長見神社」
◎島根県松江市雑賀町1663「賣豆紀神社」
◎島根県松江市馬潟町266「由貴神社」
◎島根県松江市鹿島町佐陀宮内73「佐太神社」
◎島根県江津市二宮町神主イ307「多鳩神社」
◎島根県江津市波子町イ1018「津門神社」
◎島根県益田市乙子町51「佐毘賣山神社」
◎島根県益田市匹見町大字石谷口1323「若宮神社」
◎島根県雲南市三刀屋町多久和1065「飯石神社」
◎島根県雲南市三刀屋町給下865「三屋神社」
◎島根県雲南市加茂町三代485「御代神社」
◎島根県雲南市加茂町宇治342「宇能遲神社」
◎島根県雲南市加茂町神原1436「神原神社」
◎島根県雲南市加茂町神原98「八口神社」
◎島根県雲南市大東町下佐世1202「佐世神社」
◎島根県雲南市大東町南村424「海潮神社」
◎島根県雲南市大東町大東362「加多神社」
◎島根県雲南市大東町清田67「西利太神社」
◎島根県雲南市木次町上熊谷1462「河邊神社」(河辺神社)
◎島根県雲南市木次町宇谷367「布須神社」
◎島根県雲南市木次町木次782「來次神社」
◎島根県雲南市木次町里方463「斐伊神社」
◎新潟県上越市五智6-1-11「居多神社」
◎新潟県糸魚川市大字田伏609-1「奴奈川神社」
◎石川県七尾市所口町ハ48「能登生國玉比古神社」
◎石川県珠洲市三崎町寺家4-2「須須神社高座宮」
◎石川県羽咋市寺家町ク1-1「氣多大社」
◎石川県鹿島郡中能登町金丸セ35「能登生國玉比古神社」
◎福井県敦賀市曙町11-68「氣比神宮」
◎福井県福井市足羽1丁目8-25「足羽神社」
◎福岡県遠賀郡芦屋町「岡湊神社」
◎茨城県鹿嶋市宮中2306-1「鹿島神宮」
◎鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754「倭文神社」
◎鳥取県鳥取市国府町宮下651「宇倍神社」
◎鳥取県鳥取市河原町曳田169「賣沼神社」
〈きゅうり〉
〈らっきょう〉
〈コーヒー〉
〈五味〉
〈塩締め鯖〉
〈柏餅〉
〈煮魚〉
〈納豆〉
〈緑茶〉
〈鶏を絞める〉
「健御雷神」
「八坂刀売命」
「八束水臣津野命」
「国常立尊」
「大山咋神」
「大山祇神」
「天之御中主尊」
「天児屋命」
「天常立尊」
「天日槍」
「天津彦彦火瓊瓊杵尊」
「天火明命」
「天石門別命」
「天香香背男命」
「守矢神」
「布都御魂大神」
「布都斯魂大神」
「彦狭知命」
「御倉板挙之神」
「意宇杜」(松江市竹屋町)
「手置帆負命」
「武居大伴主神」
「武御名方神」
「沼河比売」
「泥土煮尊・沙土煮尊」
「知波夜比古」
「神漏岐命・神漏美命」
「神産巣日神」
「神魂命」
「薗神」
「衝杵等乎而留比古命」
「豊国主尊」
「足名椎・手名椎」
「都留支日子命」
「金屋子神」
「阿陀加夜努志多伎吉比売命」
「高御産巣日神」
「高比売命」
「鵜草葺不合命」
「鵜萱草不葺合命」
「麻須羅神」
『三代実録』
『伊勢国風土記逸文』
『信府統記』
『倭姫命世記』
『倭姫命世記』籠神社巻子本
『先代旧事本紀』
『先代旧事本紀』巻一
『先代旧事本紀』序
『出雲国造伝統略』
『出雲国風土記』
『出雲国風土記』仁多郡
『出雲国風土記』倉野本
『出雲国風土記』倉野本2
『出雲国風土記』倉野本3
『出雲国風土記』倉野本4
『出雲国風土記』出雲郡
『出雲国風土記』大原郡
『出雲国風土記』嶋根郡
『出雲国風土記』後記
『出雲国風土記』意宇郡
『出雲国風土記』意宇郡2
『出雲国風土記』日御碕本
『出雲国風土記』日御碕本2
『出雲国風土記』日御碕本3
『出雲国風土記』日御碕本4
『出雲国風土記』楯縫郡
『出雲国風土記』神門郡
『出雲国風土記』秋鹿郡
『出雲国風土記』紅葉山本
『出雲国風土記』紅葉山本2
『出雲国風土記』紅葉山本3
『出雲国風土記』紅葉山本4
『出雲国風土記』細川家本
『出雲国風土記』細川家本2
『出雲国風土記』細川家本3
『出雲国風土記』細川家本4
『出雲国風土記』総記
『出雲国風土記』荷田春満考
『出雲国風土記』荷田春満考-江守本-2-
『出雲国風土記』萬葉緯本
『出雲国風土記』萬葉緯本2
『出雲国風土記』萬葉緯本3
『出雲国風土記』萬葉緯本4
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL2
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL3
『出雲国風土記』萬葉緯本NDL4
『出雲国風土記』記載の草木鳥獣魚介
『出雲国風土記』飯石郡
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-1-
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-2-
『出雲国風土記考』荷田春満(内閣文庫)-3-
『出雲風土記抄』桑原本
『出雲風土記抄』桑原本2
『出雲風土記抄』桑原本3
『出雲風土記抄』桑原本4
『出雲風土記解』
『出雲風土記解』上1
『出雲風土記解』上2
『出雲風土記解』上3
『出雲風土記解』下1
『出雲風土記解』下2
『出雲風土記解』下3
『出雲風土記解』下4
『出雲風土記解』中1
『出雲風土記解』中2
『出雲風土記解』中3
『出雲風土記解』中4
『古事記』
『古事記』真福寺本-上-k01~
『古事記』真福寺本-上-k06~
『古事記』真福寺本-上-k11~
『古事記』真福寺本-上-k16~
『古事記』真福寺本-上-k21~
『古事記』真福寺本-上-k26~
『古事記』真福寺本-上-k31~
『古事記』真福寺本-上-k36~
『古事記』真福寺本-上-k41~
『古事記』真福寺本-下-k01~
『古事記』真福寺本-下-k06~
『古事記』真福寺本-下-k11~
『古事記』真福寺本-下-k16~
『古事記』真福寺本-下-k21~
『古事記』真福寺本-下-k26~
『古事記』真福寺本-下-k31~
『古事記』真福寺本-中-k01~
『古事記』真福寺本-中-k06~
『古事記』真福寺本-中-k11~
『古事記』真福寺本-中-k16~
『古事記』真福寺本-中-k21~
『古事記』真福寺本-中-k26~
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『古事記』真福寺本-中-k36~
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『古事記』真福寺本-中-k46~
『古事記』真福寺本-中-k52~
『古事記伝』
『古史伝』
『和名類聚抄』
『因幡誌』
『大和姫命世記』
『島根県口碑伝説集』
『常陸国風土記』
『延喜式』
『延喜式』(国宝)巻10-01
『延喜式』(国宝)巻9-01
『延喜式』(国宝)巻9-03
『延喜式内並国史見在神社考証』
『延喜式神名帳註』
『延喜式神名帳註』上1
『延喜式神名帳註』上2
『延喜式神名帳註』上3
『延喜式神名帳註』上4
『延喜式神名帳註』上5
『延喜式神名帳註』下1
『延喜式神名帳註』下2
『延喜式神名帳註』下3
『延喜式神名帳註』下4
『延喜式神名帳註』下5
『懐橘談』
『新撰姓氏録』
『日本書紀』
『日本書紀』巻第一神代上p01-
『日本総国風土記』
『石見誌』
『神國島根』
『神祇志料』
『続群書類従』
『訂正出雲風土記』
『訂正出雲風土記』上2
『訂正出雲風土記』下
『訂正出雲風土記』下2
『諏訪神社略縁起』
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『長寛勘文』
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『雲陽誌』old
『雲陽誌』意宇郡-1-
ソーラー発電
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紀行2
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紀行2/2015-11-15
紀行2/2015-12-24
紀行2/2016-06-04
紀行2/2016-06-26
考古
考古-沖丈遺跡
考古-縄文土器
資料-七支刀
資料-七支刀銘文
資料-布都御魂剣
資料-椎根津彦神社由緒
資料-海部氏系図
資料-神原神社由緒
資料-那智大社韻霊剣
資料-長屋親王宮木簡
資料a
>加賀の潜戸
[[『古事記』]] ---- [[『古事記』真福寺本-上-k01~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k06~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k11~]] [[『古事記』真福寺本-上-k16~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k21~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k26~]] [[『古事記』真福寺本-上-k31~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k36~]] /[[『古事記』真福寺本-上-k41~]] [[『古事記』真福寺本-中-k01~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k06~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k11~]] [[『古事記』真福寺本-中-k16~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k21~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k26~]] [[『古事記』真福寺本-中-k32~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k36~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k42~]] [[『古事記』真福寺本-中-k46~]] /[[『古事記』真福寺本-中-k52~]] [[『古事記』真福寺本-下-k01~]] /[[『古事記』真福寺本-下-k06~]] /[[『古事記』真福寺本-下-k11~]] [[『古事記』真福寺本-下-k16~]] /[[『古事記』真福寺本-下-k21~]] /[[『古事記』真福寺本-下-k26~]] [[『古事記』真福寺本-下-k31~]] ---- ---- 『古事記』真福寺本-上-k01~ ---- **(『古事記』真福寺本-上-k01) [#n9c4d1c8] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa01.jpg ---- **(『古事記』真福寺本-上-k02) [#r92681f6] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa02.jpg ―――――――――― 文政四年辛巳九月日令 修理畢 寺社奉行所 ――――― ~ ―――――――――― 文政四年&ruby(カノトミ){辛巳};九月日令 修理畢 ・文政四年…1821年。(徳川家斉の時代) ・修理畢…修理完了 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k03) [#s98d25ad] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa03.jpg 古事記上巻序幷 臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然 乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖 所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身故太 素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖 而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇 以万神蕃息與議安河而平天下論小濱而淸国土是以番 仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歷于秋津嶋化熊出 ────────── ***&color(navy,){古事記 上巻 序幷}; [#ocd00ddd] &color(darkgreen,){&ruby(フルコトフミ){古事記}; &ruby(カミツマキ){上巻}; &ruby(ジョアワセ){序幷};たり}; ---卜部系諸本では「古事記 上巻 幷序」 ***&color(navy,){臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形 }; [#ka268bfd] &color(darkgreen,){臣安萬侶&ruby(マヲ){言};す。それ、&ruby(マロカレ){混元};既に&ruby(コ){凝};りて、&ruby(キザシ){気象};未だあらわれず。名も無く&ruby(シワザ){爲};も無ければ、誰か其の&ruby(カタ){形};を知らむ。}; --「爲」を岩波文庫(以下i文庫)では(わざ)と読んでいる。「無為」は(動きがない}の意味。 ---「效」は「敷」に見えるのだが・・・・「気象未敷」であれば(気象未だひろがらず)か?&br;「敦」と見るものもある。「效」としたのは宣長の「古訓古事記」に依るらしい。&br;→参考:[[早稲田大学図書館蔵「古訓古事記」:http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_01012/index.html]]/[[該当頁書影:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_01012/ri05_01012_0001/ri05_01012_0001_p0005.jpg]]&br;「效」の採用は観智院本名義抄に「効は效の俗字」とあり、アラハスの訓がある事によるらしい。&br;「玄奘表啓平安初期点」では「未遠」(イマダトオクアラズ)とあるらしいが未見。&br;(安万呂の上表文にこだわっていても仕方ないので、この件一時中座) ***&color(navy,){然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖 }; [#mfc89485] &color(darkgreen,){然あれども、&ruby(アメツチ){乾坤};初めて分かれて、&ruby(ミハシラノカミ){参神};造化の&ruby(ハジメ){首};となれり。&ruby(メヲ){陰陽};ここに開けて、&ruby(フタハシラノカミ){二霊};&ruby(モロモロ){郡品};の&ruby(オヤ){祖};となれり。}; --「乾坤」をi文庫では(けんこん)とそのまま読んでいる。 ***&color(navy,){所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身}; [#s5d7c906] &color(darkgreen,){&ruby(ソエ){所以};に、&ruby(ヨミジウツセミ){幽顕};に&ruby(イデイリ){出入};て、&ruby(ヒノカミツキノカミ){日月};目を洗うに&ruby(アラワ){彰};れ、&ruby(ウシオ){海水};に浮き沈みて、&ruby(アマツカミクニツカミ){神祇};身をすすぐに&ruby(アラ){呈};われたり。}; ***&color(navy,){故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世 }; [#qd5392fc] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故};、&ruby(モト){太素};は&ruby(クラ){杳冥};けれども、 &ruby(モトツオシヘ){本教};によりて土を孕み島を生みし時を識り、&ruby(ハジメ){元始};&ruby(トホ){綿邈};けれども、&ruby(サキツヒジリ){先聖};によりて神を生み人を立てし世を&ruby(シ){察};れり。}; --「太素杳冥」i文庫では、(タイソはヨウメイなれども) --「本教」は日本古来の伝承の意。 --「綿邈」:観智院本名義抄により、「綿」も「邈」も訓読みで(とほし)である事から「綿邈」で(とほし)と訓んでいる。&br;i文庫では(めんばく)としている。 ***&color(navy,){寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土 }; [#we599fb7] &color(darkgreen,){&ruby(マコト){寔};に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、&ruby(モモノキミ){百王};相&ruby(ツ){続};ぎ、&ruby(ツルギ){劒};を&ruby(カ){喫};み、&ruby(オロチ){蛇};を切りて、&ruby(ヨロズノカミ){万神};&ruby(ウマワ){蕃息};りたまい、&ruby(ヤスノカハ){安河};に&ruby(ハカ){議};りて、&ruby(アメノシタ){天下};を平らげ、 小浜に&ruby(アゲツラ){論};ひて、&ruby(クニ){国土};を清めたまいしことを。}; --「蕃息」:岩崎本皇極記訓にある「不蕃息」(ウマハラス)より援用。i文庫では(ばんそくせしことを) --「議安河而平天下」:岩波文庫では(安の河に議りて、天下を&ruby(コト){平};むけ)&br;「淸国土」を(国を清めき) --岩波文庫は「寔知~国土」を上記のような1文ではなく、與/議の部分で2文に分け解釈している。&br;2文に分けると「知」の範囲が「議安河~」には掛からないことになり問題。。 ***&color(navy,){是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋}; [#r09fc297] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){是};をもちて、&ruby(ホノニニギノミコト){番仁岐命}; 初めて&ruby(タカチホノタケ){高千嶺};に降り、&ruby(カムヤマトノスメラミコト){神倭天皇};、&ruby(アキヅシマ){秋津嶋};に&ruby(ヘ){経歴};たまいき。}; ---「番仁岐命」本文にこの表記はない。「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命」 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k04) [#bacfc9b1] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa04.jpg ***&color(navy,){未移浹辰 氣旀自淸}; [#lfe6de22] &color(darkgreen,){&ruby(イクバクカノトキ){浹辰};を移さずして、氣はいよいよ自ずから淸らかなり。}; --浹辰(しょうしん)…「浹」は一巡り、「辰」は日。12日間。壬申の乱は約1ヶ月なので、「浹辰」は(幾ばくかの日数)を意味する。 --氣旀自清…[旀]は[弥]であろう。「弥」には(いよいよ、ますます)の意味があり、「氣弥自清」は(気はいよいよ自ずから清らか)の意味となる。 i文庫では→「氣旀」を「氣沴」(きしん)とし、「わざわい」と解し読んでいる。 …本来は「氛沴」。氛も沴も共に妖気・臭気。総じて、毒気・災い ちなみに「沴」としているのは宣長古訓古事記に依るものであろう。[[該当書影:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_01012/ri05_01012_0001/ri05_01012_0001_p0006.jpg]] 「沴」は本来[水+黎]でレイ・ライ、「水が澱む」の意 ***&color(navy,){乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑}; [#ge64940c] &color(darkgreen,){&ruby(スナワ){乃};ち、牛を放ち馬を&ruby(イコ){息};へて、 &ruby(ヤス){愷悌};く&ruby(ミヤコ){華夏};に帰りたまい、&ruby(ハタ){旌};を巻き &ruby(ホコ){戈};を&ruby(ヲサ){戢};めて、&ruby(マヒウタ){儛詠};いて&ruby(ミヤコ){都邑};に&ruby(トドマ){停};りたまいき。}; ---思想体系では二文に分けているが、乃の掛かりを考慮しi文庫のように一文に解す。 --放牛息馬…周の武王の故事による。「帰馬放牛」(書経) --華夏…中原、ここでは大和を指す。 ---この辺りも含めて、中国の故事を多用する事から剽窃文と揶揄されるのも致し方ないことである。「華夏(古代中国の夏王朝・その都)」とか用いる感覚は理解しかねる。 --都邑…飛鳥を指す。 ***&color(navy,){歳次梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 }; [#bab96ee3] &color(darkgreen,){&ruby(ホシ){歳};梁に&ruby(ヤド){次};り、月&ruby(キサラギ){侠鍾};に&ruby(アタ){踵};りて、清原大宮にして 昇りて&ruby(アマツクライ){天位};に&ruby(ツ){即};きたまいき。}; --歳次梁…i文庫では「歳次大梁」 --歳…[[歳星:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/?-%E6%AD%B3%E6%98%9F]]、木星のこと。木星が大梁に位置するのは酉年。乱の翌年。673年 --俠鍾…[[十二律:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/?-%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%BE%8B]]の一(夾鍾)。月では2月。 ***&color(navy,){道軼軒后 德跨周王 }; [#dea13174] &color(darkgreen,){道は&ruby(ケニノキミ){軒后};に&ruby(スギ){軼};たまひ、徳は&ruby(シュウノキミ){周王};に&ruby(アフヅク){跨};みたまいき。}; --軒后…黄帝、軒轅。后は帝 ***&color(navy,){握乾符而摠六合 得天統而包八荒}; [#ca781053] &color(darkgreen,){&ruby(アマツシルシ){乾符};を&ruby(ト){握};りて&ruby(アメノシタ){六合};を&ruby(ス){摠};べたまい、&ruby(アマツスジ){天統};を得て&ruby(ヤモノキワマリ){八荒};を&ruby(カ){包};ねたまいき。}; --乾符…帝の&ruby(シルシ){爾};。次の持統即位に際しては「&ruby(カミノシルシ){神爾};の剣・鏡」とあるが、天武の場合は不明。 神祇令「忌部上神爾之鏡剣」 ---岩波思想体系注では{持統紀4年7月条)としてこの例が挙げられているが、持統紀4年正月(書紀)の誤り。 ---ここに云う「乾符」がいわゆる三種の神器(鏡・勾玉・剣)であったかどうかは天武・持統共に明かではない。 「三種の神器」と訳している場合、そういう訳は信用できない。 --六合…四方と上下、即ち天下。 --八荒…八方の僻遠の地。 ***&color(navy,){乘二氣之正 齊五行之序}; [#xb2af6aa] &color(darkgreen,){&ruby(フタハコビ){二気};の正しきに乗り、&ruby(イツメグリ){五行};の&ruby(ツギテ){序};を&ruby(トトノ){斉};へたまいき。}; --二気…陰陽の二気。 --序…i文庫では(ついで) ---i文庫では次の行と合わせて一文としている。 ***&color(navy,){設神理以奬俗 敷英風以弘國 }; [#oda73030] &color(darkgreen,){&ruby(アヤ){神};しき&ruby(コトワリ){理};を&ruby(モウ){設};けて&ruby(ナラワシ){俗};を奨め、&ruby(スグ){英};れたる&ruby(オシエ){風};を敷きて国に&ruby(ヒロ){弘};めたまいき。}; ---i文庫では「国を弘めたまひき」と読んでいるが、「国を弘め」は疑問。 ***&color(navy,){重加 智海浩汗 潭探上古 }; [#ec5384fc] &color(darkgreen,){&ruby(シカノミニアラ){重加};ず、&ruby(サトリノウミ){智海};は&ruby(オギロ){浩汗};にして、&ruby(フカ){潭};く&ruby(カミツミヨ){上古};を&ruby(アナグ){探};りたまいき。}; --浩汗…音で(こうかん)、訓で(おぎろ)。意味は「広大・深遠である様子」 ---i文庫ではここも次の行と合わせて一文としている。 ***&color(navy,){心鏡煒煌 明覩先代 }; [#ga30dd7a] &color(darkgreen,){&ruby(ココロノカガミ){心鏡};は&ruby(アカラ){煒煌};にして、&ruby(アキラ){明};けく&ruby(サキツヨ){先代};を観たまいき。}; --煒煌(いこう)…[煒]は並はずれた火、[煌]はきらめく輝き。[煒煌]で光り輝く様子を表す。訓で(あから)。 ***&color(navy,){於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 }; [#pae9d14b] &color(darkgreen,){是に&ruby(スメラミコト){天皇};&ruby(ノ){詔};りたまいしく、&ruby(アレ){朕};聞く、&ruby(モロイエ){諸家};の&ruby(モ){所賷};てる&ruby(スメロキノヒツギ){帝紀};と&ruby(サキツヨノコトバ){本辞};、既に&ruby(マコト){正実};に&ruby(タガ){違};い、多く&ruby(イツワリ){虚偽};を加へたり。}; ---ここから、古事記編纂の由来となるが、他の文献との絡みで議論の多いところでもある。 --天皇詔…書紀天武紀10年3月丙戌(17日) --帝紀…帝皇日継 --本辞…先代旧辞 ***&color(navy,){當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 }; [#yf0a508d] &color(darkgreen,){今の時に当たりて、其の&ruby(アヤマリ){失};を改めずは、&ruby(イクトセ){幾年};も経ずして其の旨滅びなむとす。}; ***&color(navy,){斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 }; [#d1deb569] &color(darkgreen,){&ruby(コレスナワ){斯乃};ち、&ruby(ミカド){邦家};の&ruby(タテヌキ){経緯};、&ruby(オモブケ){王化};の&ruby(オホキモトイ){鴻基};なり。}; --経緯…縦糸と横糸。即ちここでは国家の骨格 --鴻…天皇の事蹟に冠する美称 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k05) [#a28e4411] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa05.jpg 惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍 人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心卽 勅語阿禮令誦習帝皇日継及先代舊辭然運移世異未行其事矣 伏惟 皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄 之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非 烟連柯幷穂之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月 可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀 ----- 之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之 勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並 朴敷文構句於字卽難已因訓述者詞不逮心全以音連者事 趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽 辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名 帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢 始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺 不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲 ────────── ***&color(navy,){故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉}; [#k5de07e6] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故};、&ruby(オモイ){惟};みれば&ruby(スメロキノヒツギ){帝紀};を撰び&ruby(シル){録};し、&ruby(フルコト){旧辞};を&ruby(タズ){討};ね&ruby(キワ){究};め、&ruby(イツワリ){偽};を削り&ruby(マコト){実};を定めて&ruby(ノチノヨ){後葉};に&ruby(ツタ){流};へむと&ruby(オモ){欲};ふとのりたまいき。}; ***&color(navy,){時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八}; [#g1ba1082] &color(darkgreen,){時に&ruby(トネリ){舍人};有り、&ruby(ウジ){姓};は稗田 名は&ruby(アレ){阿礼};、年は&ruby(ハタチアマリヤツ){廿八};。}; --舎人…近従、下級見習い官人。男子。 --姓…この場合カバネではなくウジ。 ---カバネは大王から特別に与えられ、大王との関係を示す称号。通常「姓」はカバネと読まれるがここでの姓の表示にはそういう意味がないのでウジ(氏)と考えられている。漢字の姓と氏には元々日本のような区別が無い。 --稗田…地名として奈良県大和郡山市稗田町があるが、阿礼自身がそこに縁があるかどうかは不明。稗田氏は猿女君の一族として知られる。 ---同地の売太神社では主祭神を稗田阿礼としているが、長く祭神不明であった神社で疑問が多い。 延喜式では&ruby(ヒメタノ){賣太};神社と記されているが、祭神名は無い。ヒメタと読むので「比」が欠落したのであろうと思われる。猿女田からの変化という説は疑問。 又、ヒメタノ神社との関連から、阿礼の女性説もあるが、この神社と阿礼との関係自体が不明なので女性説も疑問。 又「阿礼」は巫女の事であるとする女性説もあるが、阿礼男という表現もあり、女性とは限らない。 舎人(男子の職)と記してあるのに女性説をあえて採る理由は無い。 --廿八…記すまでもないと思うが、ここでの年齢は数え年。 ***&color(navy,){爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心}; [#n5aa92e8] &color(darkgreen,){&ruby(ヒトトナリ){為人};&ruby(ト){聡明};くて、目に渡り口に&ruby(ヨ){誦};み、耳に&ruby(フ){払};るれば心に&ruby(シル){勒};す。}; --度目誦口…見ればすぐに音読し --拂耳勒心…聞けばもはや忘れない ***&color(navy,){卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭}; [#p8a88551] &color(darkgreen,){即ち、阿礼に&ruby(ミコトノリ){勅語};して、&ruby(スメロギノヒツギ){帝皇日継};と&ruby(サキツヨノフルコト){先代旧辞};を&ruby(ヨミナラ){誦習};はしめたまいき。}; ***&color(navy,){然 運移世異 未行其事矣}; [#o3b5935b] &color(darkgreen,){&ruby(シカ){然};あれども、&ruby(トキウツ){運移};り&ruby(ヨカワ){世異};りて、未だ其の事を行ないたまわずき。}; ---ここでの其事というのは、「削僞定實 欲流後葉」の事と思われる。 ***&color(navy,){伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育}; [#y8d99c26] &color(darkgreen,){伏して&ruby(スメラミコト){皇帝陛下};を&ruby(オモイ){惟};みれば、一つを得て&ruby(ミチオ){光宅};り、三つに&ruby(ワタ){通};りて&ruby(ヤシナ){亭育};いたまう。}; --皇帝陛下…ここでは[[元明天皇:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?cmd=read&page=%E2%96%B343-%E5%85%83%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87]]をさす。天皇のことを「皇帝陛下」と記すのは希。 皇帝陛下で改行しているのは養老令の公式令37の規定による。平出条…平頭抄出規定(文中で用いる場合、敬意を表す意味で改行し行頭に置く) --得一…天皇の地位を得て --光宅…徳が天下に満ち --通三…天地人の三才(万物)に通じて --亭育…人民を養う ***&color(navy,){御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮}; [#h0dc497a] &color(darkgreen,){&ruby(ムラサキノトノ){紫宸};に&ruby(シラシメ){御};して&ruby(ウツクシビ){德};&ruby(ウマノツメ){馬蹄};の&ruby(キワミ){所極};を&ruby(オオイ){被};いたまい、&ruby(クロキアラカ){玄扈};に&ruby(イマ){坐};して&ruby(オモブケ){化};&ruby(フナノヘ){船頭};の&ruby(イタリ){所逮};を照らしたまう。}; --紫宸…紫は天帝の居る紫微(&ruby(シビエン){紫微垣};の略。北極星を中心とした15星のある位置)、「紫宸」で天子の居所を意味する。i文庫では(ししん) --馬蹄之所極…陸路の果て迄 --玄扈…黄帝が居た洛水畔の石室。天子の座す処を意味する。i文庫では(げんこ) ---玄扈山を源とする玄扈水が黄河の支流である洛水に出会う場所から少し玄扈水を遡った河畔に黄帝が居した石室があると云い、この石室を玄扈と呼んだ。玄扈山・玄扈水はこの玄扈からつけられた名と思われる。 --船頭之所逮…海路の果て迄 ---思想体系では2文に分けているが、対であるので一文に解す。ここでの比喩(馬蹄・船頭云々)は祝詞からの転用。 ***&color(navy,){日浮重暉 雲散非烟}; [#t6742e33] &color(darkgreen,){日浮かびて&ruby(ヒカリ){暉};を重ね、雲散りて&ruby(ケブリ){烟};に非ず。}; ---「日」は帝位、「暉を重ね」は帝位を重ね。思想体系では「日」を先帝と解している。 ---雲散非烟…薄雲がたなびいている様子で、天の瑞祥。治部式では慶雲を大瑞とする。 ***&color(navy,){連柯幷穂之瑞 史不絶書}; [#o6244e85] &color(darkgreen,){&ruby(エダ){柯};を連ね穂を&ruby(アワ){幷};す&ruby(シルシ){瑞};、&ruby(フミヒト){史};&ruby(シル){書};すことを絶たず。}; ---連柯幷穂之瑞…柯は枝。「連柯幷穂」で枝が連なり稲穂が豊かに実る、即ち草木が豊かという意味で、地の瑞祥。治部式では連理・嘉禾を下瑞とする。 (ここで連理は連理木の事。木の枝が癒着結合したもので、その和合の姿を吉兆とする。又、嘉禾の禾は稲) --史は朝廷の書記。 ---「瑞祥を書記官が絶えず記述している」という意味の文で、前文と併せて天皇の善政を称えている。 ***&color(navy,){列烽重譯之貢 府無空月}; [#r5a649e2] &color(darkgreen,){&ruby(トブヒ){烽};を&ruby(ツラ){列};ね、&ruby(オサ){訳};を重ぬる&ruby(ミツキ){貢};、&ruby(ミクラ){府};&ruby(ムナシ){空};き月無し。}; --烽…白村江敗戦後40里(約21km)ごとに置いた狼煙を上げる砦。 --訳…通訳 --列烽重譯之貢…遠方からの連絡が続き通訳を重ねて貢ぎ物を持ってやって来る。というような意味で、遠方からの朝貢を表す。 --府…倉庫 --府無空月…倉庫が空になるような月はない。 ***&color(navy,){可謂名高文命 德冠天乙矣}; [#j8894680] &color(darkgreen,){名は&ruby(ブンメイ){文命};より高く、&ruby(ウツクシビ){德};は&ruby(テンイツ){天乙};に&ruby(マサ){冠};れりと謂いつ&ruby(ベ){可};し。}; --文命…夏王朝の初代、禹王の名 --天乙…殷王朝の初代、湯王の名 ***&color(navy,){於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶&br; 撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭}; [#yff7cd5f] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){焉};に、&ruby(フルコト){旧辞};の&ruby(アヤマリタガ){誤忤};えるを惜しみ、&ruby(サキツヒツギ){先紀};の&ruby(アヤマリマジワ){謬錯};れるを正さむとして、和銅の&ruby(ヨトセ){四年};&ruby(ナガツキ){九月};の&ruby(トウカアマリヨウカ){十八日};に&ruby(ヤッコ){臣};安萬侶に&ruby(ミコトノリ){詔};して、&br;稗田阿礼が&ruby(ヨメ){所誦};る&ruby(ミコトノリ){勅語};の&ruby(フルコト){旧辞};を撰び&ruby(シル){録};して&ruby(タテマツ){献上};らしむといへれば、謹みて詔旨の&ruby(マニマ){随};に、&ruby(コマヤカ){子細};に採り&ruby(ヒロ){摭};いぬ。}; --和銅4年=711年 ---天武が行おうとした帝紀と旧事の誤りを正すという試みは天武の死去により行われておらず、元明が引き継いだとしている。 天武が稗田阿礼に誦習させた帝紀と旧事から撰び録して献上するように、元明が安万呂に詔したので、安万呂は詔の趣旨に従い阿礼の誦習から細やかに拾い出した。 ***&color(navy,){然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難 }; [#e4aaba0c] &color(darkgreen,){&ruby(シカ){然};あれども、&ruby(カミツヨノトキ){上古之時};は &ruby(コト){言};と&ruby(ココロ){意};と&ruby(トモ){並};に&ruby(スナオ){朴};にして、文を敷き&ruby(コト){句};を構うること、&ruby(カラナ){字};に於きては難し。}; ---しかしながら上古にあっては、言意共に素朴で、それを文章にするのは難しい。という。 ***&color(navy,){已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長}; [#vcad249d] &color(darkgreen,){&ruby(スデ){已};に&ruby(ヨミ){訓};に因りて述べたるは &ruby(コトバ){詞};心に&ruby(オヨバズ){不逮};。全く&ruby(コエ){音};を以ちて&ruby(ツラ){連};ねたるは、事の&ruby(オモブキ){趣};更に長し。}; ---漢字で記すに際して、訓読みだけでは意味が伝わりにくく、音読みだけでは文が冗長になる。 ***&color(navy,){是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄&br;卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注}; [#g20f5b44] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){是};を以て今、或いは&ruby(ヒトコトノウチ){一句之中};に&ruby(コエ){音};と&ruby(ヨミ){訓};とを交へ用い、或いは&ruby(ヒトコトノウチ){一事之內};に全く訓を以て&ruby(シル){録};しぬ。&br;即ち、&ruby(コトバ){辞};の&ruby(コトワリ){理};の見え&ruby(ガタ){叵};きは、 &ruby(シルベ){注};を以ちて&ruby(アカ){明};し、&ruby(ココロ){意};の&ruby(オモブキ){況};の&ruby(サト){解};り易きは、更に&ruby(シルベ){注};せず。}; ---音訓を交える場合と、訓のみで記す場合がある。筋道の解りにくいものには注をつける。 ***&color(navy,){亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改}; [#t66222a3] &color(darkgreen,){亦、&ruby(ウジ){姓};に於て日下をくさかという。名に於て帯の&ruby(カラナ){字};をたらしという。&ruby(カクア){如此};る&ruby(タグイ){類};は、 本の&ruby(マニマ){隨};に改めず。}; ***&color(navy,){大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世}; [#g319e2bf] &color(darkgreen,){&ruby(オオカタ){大抵};&ruby(シルセル){所記};は、&ruby(アメツチ){天地};&ruby(ヒラケシ){開闢};より始めて、&ruby(オハリダノミヨ){小治田御世};に&ruby(オワ){訖};る。}; --小治田御世…推古期 ***&color(navy,){故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷&br;神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷&br;大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷&br;幷錄三卷 謹以獻上}; [#q7a22133] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故}; 天御中主神より&ruby(シモ){以下}; &ruby(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト){日子波限建鵜草葺不合尊};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(カミツマキ){上卷};と為し、}; &color(darkgreen,){&ruby(カムヤマトイワレビコノスメラミコト){神倭伊波禮毘古天皇};より&ruby(シモ){以下}; &ruby(ホムダノミヨ){品陀御世};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(ナカツマキ){中卷};と為し、}; &color(darkgreen,){&ruby(オオササギノスメラミコト){大雀皇帝};より&ruby(シモ){以下}; &ruby(オハリダノオオミヤ){小治田大宮};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(シモツマキ){下卷};と為す。}; &color(darkgreen,){&ruby(アワセ){幷};て&ruby(ミマキ){三卷};を&ruby(シル){録};して &ruby(ツツシミ){謹};て&ruby(タテマツ){獻上};る。}; --上巻…天之御中主神~鵜草葺不合尊 中巻…神武~応神 下巻…仁徳~推古 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k06) [#u16e4b53] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa06a.jpg 中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上臣安萬 侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝 臣安萬侶~ ***&color(navy,){臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首}; [#c9efd5ac] &color(darkgreen,){&ruby(ヤッコ){臣};安萬侶、誠に&ruby(オノノ){惶};き、誠に&ruby(カシコ){恐};まり、&ruby(ヌカズキテモウス){頓首頓首};}; ***&color(navy,){和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶}; [#vac1e55c] --和銅五年…712年 #br ---ここ迄で[神]はすべて[神]であり[神]ではない。 ---- ---一言。 古事記古写本の中で、最も古いとされる真福寺本であるが、書影でも解るように、かなり雑。 これを書写したという賢瑜が、内容を理解していたのかどうかさえ疑問。 安万呂の序文と本文を区切りもつけず書き連ねるとか感覚を疑う。 また、この序があるが為に偽書と疑われる事もあったわけである。(本文にない事跡を安万呂が記している点等) ---「たまひ」は「たまい」に揃える事にする。hiでもiでもなくfiが近いのだろうと思うが、拘っても仕方ない。 ---現代語訳については、やってできないことはないが、語句説明が冗長になるので、今のところ予定はない。 読む事が出来て、意味が理解できればそれで充分。 それにつけても、高踏的且つ慇懃阿諛で読むほどに気持ち悪くなってくる文ではある。 ---- ---- →[[『古事記』真福寺本-上-k06~]]
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[#ocd00ddd] &color(darkgreen,){&ruby(フルコトフミ){古事記}; &ruby(カミツマキ){上巻}; &ruby(ジョアワセ){序幷};たり}; ---卜部系諸本では「古事記 上巻 幷序」 ***&color(navy,){臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形 }; [#ka268bfd] &color(darkgreen,){臣安萬侶&ruby(マヲ){言};す。それ、&ruby(マロカレ){混元};既に&ruby(コ){凝};りて、&ruby(キザシ){気象};未だあらわれず。名も無く&ruby(シワザ){爲};も無ければ、誰か其の&ruby(カタ){形};を知らむ。}; --「爲」を岩波文庫(以下i文庫)では(わざ)と読んでいる。「無為」は(動きがない}の意味。 ---「效」は「敷」に見えるのだが・・・・「気象未敷」であれば(気象未だひろがらず)か?&br;「敦」と見るものもある。「效」としたのは宣長の「古訓古事記」に依るらしい。&br;→参考:[[早稲田大学図書館蔵「古訓古事記」:http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ri05/ri05_01012/index.html]]/[[該当頁書影:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_01012/ri05_01012_0001/ri05_01012_0001_p0005.jpg]]&br;「效」の採用は観智院本名義抄に「効は效の俗字」とあり、アラハスの訓がある事によるらしい。&br;「玄奘表啓平安初期点」では「未遠」(イマダトオクアラズ)とあるらしいが未見。&br;(安万呂の上表文にこだわっていても仕方ないので、この件一時中座) ***&color(navy,){然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖 }; [#mfc89485] &color(darkgreen,){然あれども、&ruby(アメツチ){乾坤};初めて分かれて、&ruby(ミハシラノカミ){参神};造化の&ruby(ハジメ){首};となれり。&ruby(メヲ){陰陽};ここに開けて、&ruby(フタハシラノカミ){二霊};&ruby(モロモロ){郡品};の&ruby(オヤ){祖};となれり。}; --「乾坤」をi文庫では(けんこん)とそのまま読んでいる。 ***&color(navy,){所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身}; [#s5d7c906] &color(darkgreen,){&ruby(ソエ){所以};に、&ruby(ヨミジウツセミ){幽顕};に&ruby(イデイリ){出入};て、&ruby(ヒノカミツキノカミ){日月};目を洗うに&ruby(アラワ){彰};れ、&ruby(ウシオ){海水};に浮き沈みて、&ruby(アマツカミクニツカミ){神祇};身をすすぐに&ruby(アラ){呈};われたり。}; ***&color(navy,){故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世 }; [#qd5392fc] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故};、&ruby(モト){太素};は&ruby(クラ){杳冥};けれども、 &ruby(モトツオシヘ){本教};によりて土を孕み島を生みし時を識り、&ruby(ハジメ){元始};&ruby(トホ){綿邈};けれども、&ruby(サキツヒジリ){先聖};によりて神を生み人を立てし世を&ruby(シ){察};れり。}; --「太素杳冥」i文庫では、(タイソはヨウメイなれども) --「本教」は日本古来の伝承の意。 --「綿邈」:観智院本名義抄により、「綿」も「邈」も訓読みで(とほし)である事から「綿邈」で(とほし)と訓んでいる。&br;i文庫では(めんばく)としている。 ***&color(navy,){寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土 }; [#we599fb7] &color(darkgreen,){&ruby(マコト){寔};に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、&ruby(モモノキミ){百王};相&ruby(ツ){続};ぎ、&ruby(ツルギ){劒};を&ruby(カ){喫};み、&ruby(オロチ){蛇};を切りて、&ruby(ヨロズノカミ){万神};&ruby(ウマワ){蕃息};りたまい、&ruby(ヤスノカハ){安河};に&ruby(ハカ){議};りて、&ruby(アメノシタ){天下};を平らげ、 小浜に&ruby(アゲツラ){論};ひて、&ruby(クニ){国土};を清めたまいしことを。}; --「蕃息」:岩崎本皇極記訓にある「不蕃息」(ウマハラス)より援用。i文庫では(ばんそくせしことを) --「議安河而平天下」:岩波文庫では(安の河に議りて、天下を&ruby(コト){平};むけ)&br;「淸国土」を(国を清めき) --岩波文庫は「寔知~国土」を上記のような1文ではなく、與/議の部分で2文に分け解釈している。&br;2文に分けると「知」の範囲が「議安河~」には掛からないことになり問題。。 ***&color(navy,){是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋}; [#r09fc297] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){是};をもちて、&ruby(ホノニニギノミコト){番仁岐命}; 初めて&ruby(タカチホノタケ){高千嶺};に降り、&ruby(カムヤマトノスメラミコト){神倭天皇};、&ruby(アキヅシマ){秋津嶋};に&ruby(ヘ){経歴};たまいき。}; ---「番仁岐命」本文にこの表記はない。「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命」 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k04) [#bacfc9b1] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa04.jpg ***&color(navy,){未移浹辰 氣旀自淸}; [#lfe6de22] &color(darkgreen,){&ruby(イクバクカノトキ){浹辰};を移さずして、氣はいよいよ自ずから淸らかなり。}; --浹辰(しょうしん)…「浹」は一巡り、「辰」は日。12日間。壬申の乱は約1ヶ月なので、「浹辰」は(幾ばくかの日数)を意味する。 --氣旀自清…[旀]は[弥]であろう。「弥」には(いよいよ、ますます)の意味があり、「氣弥自清」は(気はいよいよ自ずから清らか)の意味となる。 i文庫では→「氣旀」を「氣沴」(きしん)とし、「わざわい」と解し読んでいる。 …本来は「氛沴」。氛も沴も共に妖気・臭気。総じて、毒気・災い ちなみに「沴」としているのは宣長古訓古事記に依るものであろう。[[該当書影:http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_01012/ri05_01012_0001/ri05_01012_0001_p0006.jpg]] 「沴」は本来[水+黎]でレイ・ライ、「水が澱む」の意 ***&color(navy,){乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑}; [#ge64940c] &color(darkgreen,){&ruby(スナワ){乃};ち、牛を放ち馬を&ruby(イコ){息};へて、 &ruby(ヤス){愷悌};く&ruby(ミヤコ){華夏};に帰りたまい、&ruby(ハタ){旌};を巻き &ruby(ホコ){戈};を&ruby(ヲサ){戢};めて、&ruby(マヒウタ){儛詠};いて&ruby(ミヤコ){都邑};に&ruby(トドマ){停};りたまいき。}; ---思想体系では二文に分けているが、乃の掛かりを考慮しi文庫のように一文に解す。 --放牛息馬…周の武王の故事による。「帰馬放牛」(書経) --華夏…中原、ここでは大和を指す。 ---この辺りも含めて、中国の故事を多用する事から剽窃文と揶揄されるのも致し方ないことである。「華夏(古代中国の夏王朝・その都)」とか用いる感覚は理解しかねる。 --都邑…飛鳥を指す。 ***&color(navy,){歳次梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 }; [#bab96ee3] &color(darkgreen,){&ruby(ホシ){歳};梁に&ruby(ヤド){次};り、月&ruby(キサラギ){侠鍾};に&ruby(アタ){踵};りて、清原大宮にして 昇りて&ruby(アマツクライ){天位};に&ruby(ツ){即};きたまいき。}; --歳次梁…i文庫では「歳次大梁」 --歳…[[歳星:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/?-%E6%AD%B3%E6%98%9F]]、木星のこと。木星が大梁に位置するのは酉年。乱の翌年。673年 --俠鍾…[[十二律:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/?-%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%BE%8B]]の一(夾鍾)。月では2月。 ***&color(navy,){道軼軒后 德跨周王 }; [#dea13174] &color(darkgreen,){道は&ruby(ケニノキミ){軒后};に&ruby(スギ){軼};たまひ、徳は&ruby(シュウノキミ){周王};に&ruby(アフヅク){跨};みたまいき。}; --軒后…黄帝、軒轅。后は帝 ***&color(navy,){握乾符而摠六合 得天統而包八荒}; [#ca781053] &color(darkgreen,){&ruby(アマツシルシ){乾符};を&ruby(ト){握};りて&ruby(アメノシタ){六合};を&ruby(ス){摠};べたまい、&ruby(アマツスジ){天統};を得て&ruby(ヤモノキワマリ){八荒};を&ruby(カ){包};ねたまいき。}; --乾符…帝の&ruby(シルシ){爾};。次の持統即位に際しては「&ruby(カミノシルシ){神爾};の剣・鏡」とあるが、天武の場合は不明。 神祇令「忌部上神爾之鏡剣」 ---岩波思想体系注では{持統紀4年7月条)としてこの例が挙げられているが、持統紀4年正月(書紀)の誤り。 ---ここに云う「乾符」がいわゆる三種の神器(鏡・勾玉・剣)であったかどうかは天武・持統共に明かではない。 「三種の神器」と訳している場合、そういう訳は信用できない。 --六合…四方と上下、即ち天下。 --八荒…八方の僻遠の地。 ***&color(navy,){乘二氣之正 齊五行之序}; [#xb2af6aa] &color(darkgreen,){&ruby(フタハコビ){二気};の正しきに乗り、&ruby(イツメグリ){五行};の&ruby(ツギテ){序};を&ruby(トトノ){斉};へたまいき。}; --二気…陰陽の二気。 --序…i文庫では(ついで) ---i文庫では次の行と合わせて一文としている。 ***&color(navy,){設神理以奬俗 敷英風以弘國 }; [#oda73030] &color(darkgreen,){&ruby(アヤ){神};しき&ruby(コトワリ){理};を&ruby(モウ){設};けて&ruby(ナラワシ){俗};を奨め、&ruby(スグ){英};れたる&ruby(オシエ){風};を敷きて国に&ruby(ヒロ){弘};めたまいき。}; ---i文庫では「国を弘めたまひき」と読んでいるが、「国を弘め」は疑問。 ***&color(navy,){重加 智海浩汗 潭探上古 }; [#ec5384fc] &color(darkgreen,){&ruby(シカノミニアラ){重加};ず、&ruby(サトリノウミ){智海};は&ruby(オギロ){浩汗};にして、&ruby(フカ){潭};く&ruby(カミツミヨ){上古};を&ruby(アナグ){探};りたまいき。}; --浩汗…音で(こうかん)、訓で(おぎろ)。意味は「広大・深遠である様子」 ---i文庫ではここも次の行と合わせて一文としている。 ***&color(navy,){心鏡煒煌 明覩先代 }; [#ga30dd7a] &color(darkgreen,){&ruby(ココロノカガミ){心鏡};は&ruby(アカラ){煒煌};にして、&ruby(アキラ){明};けく&ruby(サキツヨ){先代};を観たまいき。}; --煒煌(いこう)…[煒]は並はずれた火、[煌]はきらめく輝き。[煒煌]で光り輝く様子を表す。訓で(あから)。 ***&color(navy,){於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 }; [#pae9d14b] &color(darkgreen,){是に&ruby(スメラミコト){天皇};&ruby(ノ){詔};りたまいしく、&ruby(アレ){朕};聞く、&ruby(モロイエ){諸家};の&ruby(モ){所賷};てる&ruby(スメロキノヒツギ){帝紀};と&ruby(サキツヨノコトバ){本辞};、既に&ruby(マコト){正実};に&ruby(タガ){違};い、多く&ruby(イツワリ){虚偽};を加へたり。}; ---ここから、古事記編纂の由来となるが、他の文献との絡みで議論の多いところでもある。 --天皇詔…書紀天武紀10年3月丙戌(17日) --帝紀…帝皇日継 --本辞…先代旧辞 ***&color(navy,){當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 }; [#yf0a508d] &color(darkgreen,){今の時に当たりて、其の&ruby(アヤマリ){失};を改めずは、&ruby(イクトセ){幾年};も経ずして其の旨滅びなむとす。}; ***&color(navy,){斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 }; [#d1deb569] &color(darkgreen,){&ruby(コレスナワ){斯乃};ち、&ruby(ミカド){邦家};の&ruby(タテヌキ){経緯};、&ruby(オモブケ){王化};の&ruby(オホキモトイ){鴻基};なり。}; --経緯…縦糸と横糸。即ちここでは国家の骨格 --鴻…天皇の事蹟に冠する美称 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k05) [#a28e4411] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa05.jpg 惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍 人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心卽 勅語阿禮令誦習帝皇日継及先代舊辭然運移世異未行其事矣 伏惟 皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄 之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非 烟連柯幷穂之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月 可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀 ----- 之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之 勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並 朴敷文構句於字卽難已因訓述者詞不逮心全以音連者事 趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽 辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名 帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢 始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺 不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲 ────────── ***&color(navy,){故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉}; [#k5de07e6] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故};、&ruby(オモイ){惟};みれば&ruby(スメロキノヒツギ){帝紀};を撰び&ruby(シル){録};し、&ruby(フルコト){旧辞};を&ruby(タズ){討};ね&ruby(キワ){究};め、&ruby(イツワリ){偽};を削り&ruby(マコト){実};を定めて&ruby(ノチノヨ){後葉};に&ruby(ツタ){流};へむと&ruby(オモ){欲};ふとのりたまいき。}; ***&color(navy,){時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八}; [#g1ba1082] &color(darkgreen,){時に&ruby(トネリ){舍人};有り、&ruby(ウジ){姓};は稗田 名は&ruby(アレ){阿礼};、年は&ruby(ハタチアマリヤツ){廿八};。}; --舎人…近従、下級見習い官人。男子。 --姓…この場合カバネではなくウジ。 ---カバネは大王から特別に与えられ、大王との関係を示す称号。通常「姓」はカバネと読まれるがここでの姓の表示にはそういう意味がないのでウジ(氏)と考えられている。漢字の姓と氏には元々日本のような区別が無い。 --稗田…地名として奈良県大和郡山市稗田町があるが、阿礼自身がそこに縁があるかどうかは不明。稗田氏は猿女君の一族として知られる。 ---同地の売太神社では主祭神を稗田阿礼としているが、長く祭神不明であった神社で疑問が多い。 延喜式では&ruby(ヒメタノ){賣太};神社と記されているが、祭神名は無い。ヒメタと読むので「比」が欠落したのであろうと思われる。猿女田からの変化という説は疑問。 又、ヒメタノ神社との関連から、阿礼の女性説もあるが、この神社と阿礼との関係自体が不明なので女性説も疑問。 又「阿礼」は巫女の事であるとする女性説もあるが、阿礼男という表現もあり、女性とは限らない。 舎人(男子の職)と記してあるのに女性説をあえて採る理由は無い。 --廿八…記すまでもないと思うが、ここでの年齢は数え年。 ***&color(navy,){爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心}; [#n5aa92e8] &color(darkgreen,){&ruby(ヒトトナリ){為人};&ruby(ト){聡明};くて、目に渡り口に&ruby(ヨ){誦};み、耳に&ruby(フ){払};るれば心に&ruby(シル){勒};す。}; --度目誦口…見ればすぐに音読し --拂耳勒心…聞けばもはや忘れない ***&color(navy,){卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭}; [#p8a88551] &color(darkgreen,){即ち、阿礼に&ruby(ミコトノリ){勅語};して、&ruby(スメロギノヒツギ){帝皇日継};と&ruby(サキツヨノフルコト){先代旧辞};を&ruby(ヨミナラ){誦習};はしめたまいき。}; ***&color(navy,){然 運移世異 未行其事矣}; [#o3b5935b] &color(darkgreen,){&ruby(シカ){然};あれども、&ruby(トキウツ){運移};り&ruby(ヨカワ){世異};りて、未だ其の事を行ないたまわずき。}; ---ここでの其事というのは、「削僞定實 欲流後葉」の事と思われる。 ***&color(navy,){伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育}; [#y8d99c26] &color(darkgreen,){伏して&ruby(スメラミコト){皇帝陛下};を&ruby(オモイ){惟};みれば、一つを得て&ruby(ミチオ){光宅};り、三つに&ruby(ワタ){通};りて&ruby(ヤシナ){亭育};いたまう。}; --皇帝陛下…ここでは[[元明天皇:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?cmd=read&page=%E2%96%B343-%E5%85%83%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87]]をさす。天皇のことを「皇帝陛下」と記すのは希。 皇帝陛下で改行しているのは養老令の公式令37の規定による。平出条…平頭抄出規定(文中で用いる場合、敬意を表す意味で改行し行頭に置く) --得一…天皇の地位を得て --光宅…徳が天下に満ち --通三…天地人の三才(万物)に通じて --亭育…人民を養う ***&color(navy,){御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮}; [#h0dc497a] &color(darkgreen,){&ruby(ムラサキノトノ){紫宸};に&ruby(シラシメ){御};して&ruby(ウツクシビ){德};&ruby(ウマノツメ){馬蹄};の&ruby(キワミ){所極};を&ruby(オオイ){被};いたまい、&ruby(クロキアラカ){玄扈};に&ruby(イマ){坐};して&ruby(オモブケ){化};&ruby(フナノヘ){船頭};の&ruby(イタリ){所逮};を照らしたまう。}; --紫宸…紫は天帝の居る紫微(&ruby(シビエン){紫微垣};の略。北極星を中心とした15星のある位置)、「紫宸」で天子の居所を意味する。i文庫では(ししん) --馬蹄之所極…陸路の果て迄 --玄扈…黄帝が居た洛水畔の石室。天子の座す処を意味する。i文庫では(げんこ) ---玄扈山を源とする玄扈水が黄河の支流である洛水に出会う場所から少し玄扈水を遡った河畔に黄帝が居した石室があると云い、この石室を玄扈と呼んだ。玄扈山・玄扈水はこの玄扈からつけられた名と思われる。 --船頭之所逮…海路の果て迄 ---思想体系では2文に分けているが、対であるので一文に解す。ここでの比喩(馬蹄・船頭云々)は祝詞からの転用。 ***&color(navy,){日浮重暉 雲散非烟}; [#t6742e33] &color(darkgreen,){日浮かびて&ruby(ヒカリ){暉};を重ね、雲散りて&ruby(ケブリ){烟};に非ず。}; ---「日」は帝位、「暉を重ね」は帝位を重ね。思想体系では「日」を先帝と解している。 ---雲散非烟…薄雲がたなびいている様子で、天の瑞祥。治部式では慶雲を大瑞とする。 ***&color(navy,){連柯幷穂之瑞 史不絶書}; [#o6244e85] &color(darkgreen,){&ruby(エダ){柯};を連ね穂を&ruby(アワ){幷};す&ruby(シルシ){瑞};、&ruby(フミヒト){史};&ruby(シル){書};すことを絶たず。}; ---連柯幷穂之瑞…柯は枝。「連柯幷穂」で枝が連なり稲穂が豊かに実る、即ち草木が豊かという意味で、地の瑞祥。治部式では連理・嘉禾を下瑞とする。 (ここで連理は連理木の事。木の枝が癒着結合したもので、その和合の姿を吉兆とする。又、嘉禾の禾は稲) --史は朝廷の書記。 ---「瑞祥を書記官が絶えず記述している」という意味の文で、前文と併せて天皇の善政を称えている。 ***&color(navy,){列烽重譯之貢 府無空月}; [#r5a649e2] &color(darkgreen,){&ruby(トブヒ){烽};を&ruby(ツラ){列};ね、&ruby(オサ){訳};を重ぬる&ruby(ミツキ){貢};、&ruby(ミクラ){府};&ruby(ムナシ){空};き月無し。}; --烽…白村江敗戦後40里(約21km)ごとに置いた狼煙を上げる砦。 --訳…通訳 --列烽重譯之貢…遠方からの連絡が続き通訳を重ねて貢ぎ物を持ってやって来る。というような意味で、遠方からの朝貢を表す。 --府…倉庫 --府無空月…倉庫が空になるような月はない。 ***&color(navy,){可謂名高文命 德冠天乙矣}; [#j8894680] &color(darkgreen,){名は&ruby(ブンメイ){文命};より高く、&ruby(ウツクシビ){德};は&ruby(テンイツ){天乙};に&ruby(マサ){冠};れりと謂いつ&ruby(ベ){可};し。}; --文命…夏王朝の初代、禹王の名 --天乙…殷王朝の初代、湯王の名 ***&color(navy,){於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶&br; 撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭}; [#yff7cd5f] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){焉};に、&ruby(フルコト){旧辞};の&ruby(アヤマリタガ){誤忤};えるを惜しみ、&ruby(サキツヒツギ){先紀};の&ruby(アヤマリマジワ){謬錯};れるを正さむとして、和銅の&ruby(ヨトセ){四年};&ruby(ナガツキ){九月};の&ruby(トウカアマリヨウカ){十八日};に&ruby(ヤッコ){臣};安萬侶に&ruby(ミコトノリ){詔};して、&br;稗田阿礼が&ruby(ヨメ){所誦};る&ruby(ミコトノリ){勅語};の&ruby(フルコト){旧辞};を撰び&ruby(シル){録};して&ruby(タテマツ){献上};らしむといへれば、謹みて詔旨の&ruby(マニマ){随};に、&ruby(コマヤカ){子細};に採り&ruby(ヒロ){摭};いぬ。}; --和銅4年=711年 ---天武が行おうとした帝紀と旧事の誤りを正すという試みは天武の死去により行われておらず、元明が引き継いだとしている。 天武が稗田阿礼に誦習させた帝紀と旧事から撰び録して献上するように、元明が安万呂に詔したので、安万呂は詔の趣旨に従い阿礼の誦習から細やかに拾い出した。 ***&color(navy,){然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難 }; [#e4aaba0c] &color(darkgreen,){&ruby(シカ){然};あれども、&ruby(カミツヨノトキ){上古之時};は &ruby(コト){言};と&ruby(ココロ){意};と&ruby(トモ){並};に&ruby(スナオ){朴};にして、文を敷き&ruby(コト){句};を構うること、&ruby(カラナ){字};に於きては難し。}; ---しかしながら上古にあっては、言意共に素朴で、それを文章にするのは難しい。という。 ***&color(navy,){已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長}; [#vcad249d] &color(darkgreen,){&ruby(スデ){已};に&ruby(ヨミ){訓};に因りて述べたるは &ruby(コトバ){詞};心に&ruby(オヨバズ){不逮};。全く&ruby(コエ){音};を以ちて&ruby(ツラ){連};ねたるは、事の&ruby(オモブキ){趣};更に長し。}; ---漢字で記すに際して、訓読みだけでは意味が伝わりにくく、音読みだけでは文が冗長になる。 ***&color(navy,){是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄&br;卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注}; [#g20f5b44] &color(darkgreen,){&ruby(ココ){是};を以て今、或いは&ruby(ヒトコトノウチ){一句之中};に&ruby(コエ){音};と&ruby(ヨミ){訓};とを交へ用い、或いは&ruby(ヒトコトノウチ){一事之內};に全く訓を以て&ruby(シル){録};しぬ。&br;即ち、&ruby(コトバ){辞};の&ruby(コトワリ){理};の見え&ruby(ガタ){叵};きは、 &ruby(シルベ){注};を以ちて&ruby(アカ){明};し、&ruby(ココロ){意};の&ruby(オモブキ){況};の&ruby(サト){解};り易きは、更に&ruby(シルベ){注};せず。}; ---音訓を交える場合と、訓のみで記す場合がある。筋道の解りにくいものには注をつける。 ***&color(navy,){亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改}; [#t66222a3] &color(darkgreen,){亦、&ruby(ウジ){姓};に於て日下をくさかという。名に於て帯の&ruby(カラナ){字};をたらしという。&ruby(カクア){如此};る&ruby(タグイ){類};は、 本の&ruby(マニマ){隨};に改めず。}; ***&color(navy,){大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世}; [#g319e2bf] &color(darkgreen,){&ruby(オオカタ){大抵};&ruby(シルセル){所記};は、&ruby(アメツチ){天地};&ruby(ヒラケシ){開闢};より始めて、&ruby(オハリダノミヨ){小治田御世};に&ruby(オワ){訖};る。}; --小治田御世…推古期 ***&color(navy,){故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷&br;神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷&br;大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷&br;幷錄三卷 謹以獻上}; [#q7a22133] &color(darkgreen,){&ruby(カレ){故}; 天御中主神より&ruby(シモ){以下}; &ruby(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト){日子波限建鵜草葺不合尊};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(カミツマキ){上卷};と為し、}; &color(darkgreen,){&ruby(カムヤマトイワレビコノスメラミコト){神倭伊波禮毘古天皇};より&ruby(シモ){以下}; &ruby(ホムダノミヨ){品陀御世};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(ナカツマキ){中卷};と為し、}; &color(darkgreen,){&ruby(オオササギノスメラミコト){大雀皇帝};より&ruby(シモ){以下}; &ruby(オハリダノオオミヤ){小治田大宮};より&ruby(サキ){以前};を&ruby(シモツマキ){下卷};と為す。}; &color(darkgreen,){&ruby(アワセ){幷};て&ruby(ミマキ){三卷};を&ruby(シル){録};して &ruby(ツツシミ){謹};て&ruby(タテマツ){獻上};る。}; --上巻…天之御中主神~鵜草葺不合尊 中巻…神武~応神 下巻…仁徳~推古 ---- **(『古事記』真福寺本-上-k06) [#u16e4b53] https://fuushi.k-pj.info/jpgb/kojikisa/kojiki-sa06a.jpg 中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上臣安萬 侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝 臣安萬侶~ ***&color(navy,){臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首}; [#c9efd5ac] &color(darkgreen,){&ruby(ヤッコ){臣};安萬侶、誠に&ruby(オノノ){惶};き、誠に&ruby(カシコ){恐};まり、&ruby(ヌカズキテモウス){頓首頓首};}; ***&color(navy,){和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶}; [#vac1e55c] --和銅五年…712年 #br ---ここ迄で[神]はすべて[神]であり[神]ではない。 ---- ---一言。 古事記古写本の中で、最も古いとされる真福寺本であるが、書影でも解るように、かなり雑。 これを書写したという賢瑜が、内容を理解していたのかどうかさえ疑問。 安万呂の序文と本文を区切りもつけず書き連ねるとか感覚を疑う。 また、この序があるが為に偽書と疑われる事もあったわけである。(本文にない事跡を安万呂が記している点等) ---「たまひ」は「たまい」に揃える事にする。hiでもiでもなくfiが近いのだろうと思うが、拘っても仕方ない。 ---現代語訳については、やってできないことはないが、語句説明が冗長になるので、今のところ予定はない。 読む事が出来て、意味が理解できればそれで充分。 それにつけても、高踏的且つ慇懃阿諛で読むほどに気持ち悪くなってくる文ではある。 ---- ---- →[[『古事記』真福寺本-上-k06~]]
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