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''長崎''

長崎は元「深江村」という。
応永年間(1394~1427)に長崎小次郎と云う者が室町幕府の許可を得てこの地を主宰するようになり、その為に「長崎」と呼ばれるようになった。
長崎甚左衛門の代に、大村家に帰属。甚左衛門は大村家家老となる。
元亀元年(1570年)、ポルトガル商船が西浦の福田という地に強風を避け避難。良港と見込まれ交易を約す。領主大村純忠により地割等行われ貿易港としての利用が始まる。

後、大村家が龍造寺家と兵役に及ぶに際し、ポルトガル人より軍費を調達し、その担保として長崎を提供。返済をめぐり窮した大村家がキリスト教宣教師の布教を許可したことからキリスト教の布教活動が始まる。

天正15年(1587年)、秀吉の島津征伐に際し、長崎を鍋島直茂支配に置いたが、その後奉行を置く様にし、奉行支配となった。
奉行支配というのは治安維持・警察権の行使だけであって、町民による大幅な自治が行われていた。


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