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備中神楽
''備中神楽''

-荒神信仰と荒神神楽
備中神楽の原初は荒神信仰にある。疾病など生命に関わる脅威は荒神の神慮とし、7年ごと又は13年ごとに式年大神楽を行い鎮魂行事を行ってきた。
荒神は、稚産霊・火産霊・奥津彦・奥津姫・素盞嗚尊、等と云われ、対象となる神格は曖昧である。
荒神を鎮魂する式年大神楽(荒神神楽)が備中地方で広域に行われていたことから、備中神楽と呼ばれる。
又、神殿(こうどの)を特設して行うことから神殿神楽とも呼ばれる。
多くは、出雲に神様が出掛けて留守となる神無月に行われることが多い。
(このことは、神々の和魂が出雲に出掛け、災いをもたらす荒魂が残ると考え、神無月に行われたのであろうと思われ、この意味では荒神と云うのは荒魂全体を指しているのだとも思われる。)

-神代神楽
文化文政の頃、現高梁市成羽町上日名の神官西林国橋が創案した神楽。記紀神話を元に「岩戸開き」「国譲り」「大蛇退治」を備中神楽に挿入し、宮神楽と呼んで氏神祭の余興として行われるようになった。

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