[[神名解題a]]

''「鵜草葺不合命」''

-古事記
真福寺本では「天津日高日子波限建鵜草葺不合命」(あまつひだかひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
父は火遠理命(山幸彦)、母は豊玉毘売命。育ての親は玉依毘売命。
後に玉依毘売命を妻として、五瀬命、稲氷命、御毛沼命、若御毛沼命を生む。
--岩波文庫や岩波日本思想大系古事記では、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」と記し(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)と読んでいる。

-日本書紀本文
「彦波瀲武??草葺不合尊」(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)

-甫与志岳(ほよしだけ)
--標高967m
鹿児島県肝属郡肝付町
[[map:https://maps.google.com/maps?q=%E7%94%AB%E4%B8%8E%E5%BF%97%E5%B2%B3&hl=ja&ie=UTF8&ll=31.258156,130.98896&spn=0.092301,0.138016&sll=31.264115,130.990323&sspn=0.001442,0.002156&hnear=%E7%94%AB%E4%B8%8E%E5%BF%97%E5%B2%B3&t=m&z=13]]
甫与志岳は、元「母養子岳」といい、この山中で玉依姫が「鵜茅葺不合命」を育てたという。
山頂下の岩屋に祠があり、彦火火出見命を祀っている。


-吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ)
--鹿児島県鹿屋市吾平町
宮内庁が明治7年に比定。
疑問あり。この岩屋の上流に神野という地区があり、稲作丘陵地が広がっている。
比定地はその一段下の滝脇にあたり、陵にふさわしい場所とは考えられない。
(度々土石流発生・山上ではない)
又、神野上流地に[[大川内神社:http://k-pj.com/~fuushi/pwkf/?cmd=read&page=%A1%FB%BC%AF%BB%F9%C5%E7%B8%A9%BC%AF%B2%B0%BB%D4%B8%E3%CA%BF%C4%AE%BF%C0%CC%EE%A1%D6%C2%E7%C0%EE%C6%E2%BF%C0%BC%D2%A1%D7]](村社)があり、神倭伊波礼琵古命(神武)の妃吾平津姫を祀っているが、陵墓参考地との関連は後付けのように思われる。
尚、現「吾平町」という町名は陵墓指定後陵墓名からの援用。
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何もないただの岩屋を100年も禁足地として管理整備すればそれなりの雰囲気は出てくる。

--日南市・鵜戸神宮速日峯山上
明治29年参考地として比定
疑問あり。そもそも、生誕地と称する鵜戸神宮自体が疑問。

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