[[神名解題a]]

''「都留支日子命」''

[[『出雲国風土記』嶋根郡に山口郷の由来:http://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E3%80%8E%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98%E3%80%8F%E5%B6%8B%E6%A0%B9%E9%83%A1#x028cc25]]として記載されている。
須佐能烏命の御子とされる。(母神は不明)

ツルギヒコと濁音で読まれることが多いが、ツルキヒコと清音のルビが振ってある。
ツルギから剣の神とされることがあるが、清音ツルキである為、剣の神というのは誤りであると言わざるを得ない。
わざわざツルキとルビが振ってあるものをツルギと読むのは、知らないのか作為か奇妙なことである。
ツルギという誤読が更に奇妙な説を生んでいる例も多い。

「都留支」(ツルキ)について、
「都留」は「鶴」或いは「蔓」であると考えられる。
「支」は「来」或いは「木」であろう。
つまり、「都留支」は「鶴来」若しくは「鶴木」或いは「蔓木」のいずれかである。

ここで、都留支日子命の祀られている神社、&ruby(ダケサン){嵩山};の「&ruby(フジキミ){布自伎美};神社」について考えてみると、
「布自伎」は「藤木」であると思われることから、「都留支」は「蔓木」と考えるのが妥当であろう。

即ち「都留支日子命」の語意は「藤の木の蔓」を指していると考えられる。

なぜこのような名が付けられたのかは今となっては不明である。
山口郷或いは嵩山に藤の木があったのか、或いは生誕地に関わることなのか。

いずれにせよ「剣」には関係ない。
男神とみれば安易に武具に結びつけるのは悪弊である。
---戦国時代には戦勝祈願に神社が使われ、明治期以降は皇国史観と富国強兵策で神社が利用された。
男性神を何かと武の神に結びつける傾向はこういう背景がある。
男性神を何かと武の神に結びつける傾向にはこういう背景がある。

---ツルギと読むのは、内山眞龍の推察に始まる様である。
『都留支日子命は、内山眞龍云、この真剣を鍛つに功業ありしより、御名に負い玉ひしにや。今も新庄村に鍛冶床と云ひて、定恒という鍛冶が太刀を打ちし處と云ひ傳ふ。同町久良彌社は、即ちこの神を祭れる山なり。』(標注古風土記p91の注2)
1780年代末頃、新庄村に定恒という鍛冶が居て太刀を打っていた鍛冶床という場所があるという伝承を理由に推量しているのであるから、根拠は薄い。
都留支日子命と鍛冶とは何の関連もなく、殆どこじつけである。
材料が殆ど無い中で、何とか探ろうとした努力は認めるが・・・・・。
---尚、上の久良彌社は、松江市新庄町にある神社であるが、元社地は現在地より南西方向、嵩山に向かう山中の&ruby(クラミダニ){椋見谷};倉稲越と云う所にあり、元和9年(1633)に洪水が起り崩壊。元社地が冬期降雪で不便だった為現在地に社殿が造られ、同じく山中にあった&ruby(ハヤツムジワケ){速都牟自別};社と共に合祀移転したという。(内山眞龍が出雲を訪れた頃には既に移転済)
主祭神は「闇於加美神」・「速都牟自別神」。(都留支日子命は配神)
明治2年(1869)明治政府の神社改めで郷社とされ「久良弥神社」と称するようになった。
「闇於加美神」は水源の神、「速都牟自別神」は谷に吹く風の神であり共に自然神。
配神である「都留支日子命」は久良彌社が嵩山の東麓山中にあったことから、祀られていたのだと思われる。
(嵩山はその過半が都留支日子命を祀る布自伎美神社の社域であり、嵩山山頂から久良彌社元社地まで直線距離で500m余り)
----

トップ   編集 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS