[[神社a]] ◎「御代神社」 島根県雲南市加茂町三代485 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.330234/132.881012/]] 主祭神:素盞鳴尊・稲田姫命・大山咋命 境内:「貴布祢神社」「高麻神社」「稲荷神社」「社日神社」「荒神社」 出雲風土記抄-4帖-k37解説で「御代社者屋代郷東三代村尾留大明神是也」 尾留大明神というのは今の御代神社の元社とされ、須佐之男命が八岐大蛇の尾を切った際天叢雲剣(草薙剣)が得られた所を御立薮と呼び尾留大明神として崇敬されていたという。1744年斐伊川の氾濫により南方200mの大津の丘陵中腹に移転した。明治4年に御代神社と改称。これが御代神社旧社地である。[[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.331810/132.876377/]] 更に大正元年に日吉神社のあった現在地に移転統合し現在の御代神社となったという。 出雲風土記抄は1683年成立であるからその記述は斐伊川氾濫以前の御立薮にあった頃のものである。 ---出雲風土記抄で「屋代郷東三代村」というのは訝しい。東三代と云うからには西三代があるはずであるが、地理的に見当がつかない。 ---- (御代神社)参道口 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a01.jpg (御代神社)由緒書1 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a02.jpg ・「大山咋命」は江州(滋賀県)坂本の「日吉大社」より分霊勧請したとある。 (御代神社)由緒書2 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a03.jpg ・こちらには江州滋賀県大津市坂本の日吉大社より大己貴命始め21神を分霊勧請したとある。 (御代神社)随神門 扁額 及び社殿 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a04.jpg ・随神門に「屋代郷」という扁額を掲げている。 (御代神社)拝殿扁額 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a05.jpg (御代神社)本殿 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-a06.jpg (御代神社)境内社1 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-b01.jpg ・右から「高麻神社」「荒神社」 (御代神社)境内「高麻神社」 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-b02.jpg (御代神社)境内社2 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-c01.jpg ・左から「稲荷神社」「貴布禰神社」「社日神社」 (御代神社)境内「貴布禰神社」 https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/unnan-c/kamo-t/misiro/misiroJ/misiroJ-c02.jpg ---- ---近江坂本の「日吉大社」は元は日枝山(比叡山)にあり、日枝山の地主神「大山咋命」を祀っていた。 その後現在地に移り、三輪山の「大神神社」の「大物主大神」を「大己貴神」として勧請し祀るようになった。 東本宮に「大山咋命」、西本宮に「大己貴神」を祀っている。 比叡山延暦寺とは長年争いがあり、延暦寺の下に付くようになっていた。 明治にいたって神仏分離・廃仏毀釈の動きにのり、比叡山延暦寺から独立した。 このような経緯が、「御代神社」にも影響しているものと思われる。 現社地は元々「日吉神社」の社地であり、元は屋代郷「比和神社」を称しているが訝しい。 境内に「高麻神社」「貴布禰神社」があるのは、高麻山から移されたものであろう。 八岐大蛇から得た天叢雲剣を祀っていたのが「尾留大明神」でそれを現在地「日吉神社」に合社し、社名を「出雲国風土記」「延喜式」記載の「御代神社」としたものと思われる。