[[神社a]] ◎「佐久多神社」 島根県松江市宍道町上来待551 [[地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#15/35.394193/132.931309/]] 主祭神:天照大神 江戸初期まで「佐久多神社」を称し「佐久多大明神」と呼ばれていたようである。 正徳3年(1713)社殿改修の際何故か「日御碕大神宮」」と称す。 (出雲市の「日御碕神社」は[碕]である。「出雲国風土記考証」p47には[碕]と記されている。近年[崎]と記している例があるが誤りである。) 明治の神社改めで「日御碕大神宮」は無社格とされ、明治41年には来待の「本宮神社」に合祀され廃社。 昭和2年、地元の願いにより残っていた社を来待本宮神社の御旅所とする。 昭和32年、来待本宮神社から神霊を移し、来待本宮神社の境外末社として再興。 昭和56年、明治期本宮神社に合祀された後再興されていた宮廻の「神戸神社」を合祀。 ・雲陽誌意宇郡1k34で上来待に「日御崎」とのみ記されている。又k36には「伊勢宮」とある。 いずれが該当するのか定かではない。「佐久多」の記載はない。 「出雲国風土記考証」p47によれば、俗に「&ruby(ジラジッツァン){十羅刹様};」と呼ばれていたが、その社に「佐久多大明神」の棟札があり、又柱下から掘り出された古い紐鏡の縁に「佐久多社」と記されていたという。 ---「十羅刹」というのは、法華経に出てくる鬼神であるから、この地区に仏教が入りその影響を受けて、社歴が解らなくなってしまったのであろうと思われる。そうして「日御碕大神宮」などと唱えたため縁起に疑問を生じ社格を失い、今のような境外末社の扱いを受ける羽目に陥ったのだと思われる。 ---「十羅刹」というのは、法華経に出てくる鬼神であるから、この地区に仏教が入りその影響を受けて、社歴が解らなくなってしまったのであろうと思われる。そうして「日御碕大神宮」などと称えたため縁起に疑問を生じ社格を失い、今のような境外末社の扱いを受ける羽目に陥ったのだと思われる。 石見神楽に「十羅」という演目があり、十羅刹を鬼子母神として扱い、胸鉏比賣であるとしている場合もある。 胸鉏比賣は石見から日御碕に渡ったとされるから、日御碕大神宮を称したことと関係があるのかもしれない。 ----