[[神社a]] ○「八口神社」 島根県雲南市木次町西日登1524-1 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.256676/132.907362/]] 主祭神:須佐之男命・櫛名田姫命 「印瀬の壷神」と呼ばれている。 須佐之男命が八岐大蛇を退治する際造った八塩折の酒を入れた壷の一つを祀ったという。 ある時村人の一人がこの壷に触れると天が曇り山が鳴動してやまず、八つの幣と八品の供物を献じて祈ったところ、漸く鎮まったという。それ以後壷を石で覆い玉垣で囲い注連縄を巡らしそのまま安置してきたという。 ---- 「八塩折の酒」というのは今では定かでは無い。 宣長は、これを「酒を造りその酒で更に酒を造ることを繰り返してできる酒」としているが疑問。 宣長はいわゆる強い酒を想定していたのであろうがこのようなことでアルコール度数が上がるわけでは無い。 また、オロチ退治のための酒造りにそんな手間と時間をかける必要があるとも思えない。 これは、「釈日本紀」に古老の説として記されているものであるが、「先師不用」として、採っていない。 書紀(一書の一)には「衆菓」を用いて造るとあるから、多くの果実を用いて造ったものと考えられる。原料は米では無い。 その場にあった色々な果実酒を混ぜ合わせて造った混合酒なのであろう。 また、今将にオロチがやってこようとするに際し、オロチ退治のための酒造りにそんな手間と時間をかけたとも思えない。 これは、「釈日本紀」に古老の説として記されているものであるが、「釈日本紀」では「先師不用」として、採っておらず「此酒二日二夜熟耳」と記している。 書紀(一書の二)には「衆菓」を用いて造るとあるから、多くの果実を用いて造ったものと考えられる。原料は米では無い。 その場にあった色々な果実酒を大急ぎで混ぜ合わせて造った混合酒なのであろう。 それはともかく、結構な山中にある神社である。 石囲いがしてあるが、なぜここに?それも、瓶では無く壷? 他の7つはどこに? と、色々思わせてくれる神社ではある。 ついでに記しておくと、ここを「出雲国風土記」大原郡記載の「矢口社」や延喜式記載の「八口神社」とする向きもあるようだが、それは無い。 ----