[[神社a]] ○''「加茂神社」'' 島根県雲南市加茂町中996 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.347336/132.908070/]] 主祭神:八重事代主命 たいそう立派な社殿である。 由緒記に「延喜式に、大和国の鴨事代主命と同神なりと記載され、今日まで伝えられている。」と記しているが、文意不明。 この神社のことではなく、八重事代主命のことを指しているのであろう、延喜式にこの神社の記載はない。 「屋代社」を称していたといい「屋代神社」の扁額があるが、揮毫が紀元2533年(1873・明治6年)であるから、社格を得るための付会であろう。 雲陽誌k104p195には「加茂社 元久二年山城國下賀茂を勧請す、~」とあり「屋代社」に関連する記載はない。(元久2年=1205年) ・「雲陽誌」k104p195には「加茂社 元久二年山城國下賀茂を勧請す、~」とあり「屋代社」に関連する記載はない。(元久2年=1205年) ・「出雲国風土記考証」p344で「加茂中村の加茂大明神に於て、加茂大明神という扁額を殿内に蔵め、正面に「屋代社」といふ額が掲げてある。この加茂社は、土御門天皇の元久二年に、山城國下賀茂より勧請し、天文年中には高麻の城主鞍懸次郎四郎源久勝が造営したことは明かである。矢代社が屋裏郷の加茂にある筈がない。これは明治の初め、加茂大明神の神官が、高塚大明神の神職を兼ねて居た處から、こんなことにしたものであろう。」 --後藤の「矢代社」に関する認識は「屋代社」と混乱しているが、何れにせよ加茂神社が『出雲国風土記』大原郡に記された「矢代社」でも「屋代社」でもある事はない。 境外、道路を挟んで西方に「雲並神社」というのがあるが、ここの本殿も見事な造作である。 ----