[[神社a]]

○「&ruby(グイ){求院};八幡宮」

島根県出雲市斐川町求院731[[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.370894/132.796100/]]

祭神:誉田別命・息長足姫命

境内社:「&ruby(クグイ){鵠};神社」
境内社:「浮島神社」

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---鵠…兵庫県豊岡市の[[「久久比神社」:https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E2%97%8E%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E5%B8%82%E4%B8%8B%E5%AE%AE318-2%E3%80%8C%E4%B9%85%E4%B9%85%E6%AF%94%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D]]では鵠はコウノトリ。
宍道湖周辺で現在よく見られるのはコハクチョウである。以前はハクチョウと呼んでいたが今は他と区別するためコハクチョウと呼ぶ。
宍道湖周辺で現在よく見られるのはコハクチョウである。以前はハクチョウと呼んでいたが今は他と区別するためコハクチョウと呼ぶ。和名白鳥(はくちょう)というのはコハクチョウを指す。
宍道湖周辺では現在コウノトリは見られない。オオハクチョウは極稀に見られるという。
コハクチョウは全身白い鳥であり、数十羽、ときに数百羽の群れを作って飛び、水辺の葦原などに巣を作る。
コウノトリは尾などが黒い。
鵠の話は、記紀で出雲大神の祟によりもの言えず育った垂仁天皇の皇子誉津別皇子が鳥の群れをみて初めて「これは何物ぞ」と声を発した話として記されている。
説は色々あるが、白鳥の群れの中に黒い羽根を持つ鳥が混じっていたことから、その鳥を指して声を発したのであろうから、これは鵠すなわちコウノトリであろう。
「求院」は地名であるが、元は「鵠村」と呼ばれ、垂仁天皇の命を受けた天湯河板挙命は鵠村の宇屋江にあった宇屋池で鵠を捕まえたという。その功により鳥取の姓を与えられ、鳥取氏の祖となったという。
又誉津別皇子は鵠と遊ぶうちに次第に言葉が話せるようになったという。

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