[[メモa]]

''周防国(すおうのくに)''

「周防」の元は「周方」でこれを(すわ)と読む。
(すわ)に「周方」を充てたことにより(すほう)→「周防」(すおう)と転じたのであろう。

周南市長穂に、「&ruby(スワ){周方};神社」があり、武御名方を祭っている。
武御名方神が出雲からこの地にやって来て、その後、伊勢・美濃・信濃に移っていったという話が、神奈川県横須賀市の諏訪大神社に伝わっている。(阿波を経由したとも)
--[[諏訪大神社由緒:http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=433&cd=1205046&scd=&npg=0]]
「ご祭神 健御名方命 健御名方命は、山神で狩猟と経済によって山を生活の場とした部族の祖神であったが、後にこの部族の経済的発展に伴って農耕の神ともされた。元来、山神で狩猟において射的の上手な部族の神だったので、後に武士からも崇敬された。もと出雲の国から周防(山口県)に行き、伊勢から美濃を経て信濃に入り、蝦夷の牙城をおとして諏訪の神となった。上諏訪から勧請し、ご神体矢に神霊を祀ってある。
事代主命 事代主命は、北九州博多から出発し丹波・丹後地方を勢力範囲とした漁猟部族の蜑族(たんぞく)の祖神である航海と漁猟を得意とした部族なので、自然と貿易によって富裕となった。この祖神事代主命はえびす様とも云って漁業や商業の守護神として祀られるのはそのためである。
蜑族は、富山から姫川を逆上って上高地の下の旧湖水で生活していたが、後にサイ川をさき切ってここを干潟して農地としたので農業神としても崇敬された。ここから諏訪湖に移って水上生活をした部族である。事代主命は、下諏訪から勧請して、ご神体玉に神霊を祀ってある。
健御名方命は、大国主命のみ子で、事代主命はおん兄神さまに当る。そして、日本先住民族蝦夷を征服して、出雲という部族連合国家を建設し、日本古代国家の基礎を築いた方である。」
---博多から出発というのは「&ruby(オキ){澳};浜恵比須神社」か?

元はやや南方の下&ruby(アザミ){莇};に鎮座。のち長田地区への遷座を経て、合社の際に現在の長穂地区宮原に遷された。
(信濃諏訪神社からの勧請社ではない)

これは又別稿で記すが、「すわ」と云うのは掛け声でもあり、素早い動作を表す言葉でもある。
武御名方神は狩猟を得意とする神であり、その動作の様子からスワの神すなわち、動きの素早い神という呼び名を付けられるようになったのだと思われる。

漢字の意味から考えると、
[周]は「あまねく」であり[方]は「境界」である。つまり「周方の国」というのは「境界の国」と云う意味でもある。
[方]が[防]に変わったのも、境界を守るという意味からであろう。

ついでに「諏訪」に関して記すと、[諏]は「神に諮る」と云う意味であり、[諏訪]と云うのは「神の元を訪ねて伺いを立てる」と云う意味である。
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山口県内で武御名方神を主祭神として祀る神社は多くない。
・「諏訪神社」山口市阿東徳佐上
・「諏訪神社」山口市阿東徳佐台
・「諏訪神社」山口市阿東地福下821
・「周方神社」周南市長穂1303
・「諏訪神社」柳井市&ruby(ヒズミ){日積};1853
・「大諏訪神社」柳井市&ruby(イカチ){伊陸};7599
阿東と柳井(玖珂地区)、その中間地としての長穂。
随分と偏っており武御名方神の通過ルートを示していると考え得る。

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