『日本書紀』
『日本書紀』巻第一神代上p01-
(慶長4年刊版p3)
神代上
古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鶏子 溟涬而含牙
及其清陽者薄靡而為天 重濁者淹滞而為地
精妙之合搏易 重濁之凝埸難 †
神代上
いにしえ天地未だわかれず。陰陽分かれざりしとき。まろかれたること鶏の子のごとし。くもりて、きざしを含めり。
其れすみあきらかなる者、たなびいて天となり、重なり濁れる者、つづいて地となるに及んで、
くわしく妙なる之合えるはあおぎ易く、重なり濁れる之凝りたるはかたまり難し。
- 鶏子=鶏卵
- 溟涬(クラゲナスタユタエテ、クラゲナスタダヨヘル、ホノカニシテ)等の読み方をする校本もある。
- 「埸」は岩波文庫では「竭」としている。
故天先成而地後定 然後 神聖生其中焉
故曰 開闢之初 洲壞浮漂 譬猶游魚之浮水上也 †
故、天まず成りて 地後に定まる。然後、神聖その中に生れます。
故日く、開闢初め、洲壞の浮かれ漂えること、たとえばなお游魚の水の上に浮けるがごとし。
(慶長4年刊版p4)
于時天地之中生一物 状如葦牙 便化爲神 號國常立尊
至尊曰尊 自餘曰命 並訓美擧等也 下皆效此
次國狹槌尊 次豐斟渟尊 凡三神矣 乾道獨化 所以成此純男 †
時に、天地の中に一物生れり。状葦牙の如し。便ち神と化為る。国常立尊と号す。
- 「生」は何もないところから生じる、「化為」は既に在る物が形を変える。
- 古事記で最初に現れるのは「天之御中主神」で、「国之常立神」は6番目。
- この辺り日本書紀の読み下し文は、最初に挙げた「参考:國學院大學デジタルライブラリー(読み仮名付)」版を踏襲している。
至りて尊きをば尊という。自余をば命という。並びに美挙等という。下皆此に效へ
- 岩波文庫も国史大系も「至尊曰尊」を「至貴曰尊」に変えている。
- 「效」を、岩波文庫では「効」と変え、国史大系では「倣」に変えている。
次に国狭槌尊。次に豐斟渟尊。凡て三の神ます。乾道獨化す。所以に此の純男を成せり。
- 乾道・純男…乾は陽。(坤は陰)。乾道は陽気。陽気のみで生じた神である故に「純男」=男性神としている。
- 以下にある一書のいずれにも、本文のような陰陽に関わる表現はない。この意味でかなり作為的に創作された一文と云える。
この事は、本文が一書のいずれよりも新しく作られた事を意味している。
- 古事記では最初の三神は、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神であり、日本書紀本文より更に論理的である事から、この部分に関しては古事記の方が新しいと考えられる。
一書曰 天地初判 一物在於虛中 狀貌難言
其中自有化生之神 號國常立尊 亦曰國底立尊
次國狹槌尊 亦曰國狹立尊
次豐國主尊 亦曰豐組野尊 亦曰豐香節野尊 亦曰浮經野豐買尊
亦曰豐國野尊 亦曰豐囓野尊 亦曰葉木國野尊 亦曰見野尊 †
一書曰 古 國稚地稚之時 譬猶浮膏而漂蕩
于時 國中生物 狀如葦牙之抽出也
因此有化生之神 號可美葦牙彦舅尊
次國常立尊 次國狹槌尊
葉木國 此云播舉矩爾
可美 此云于麻時 †
一書曰 天地混成之時 始有神人焉 號可美葦牙彦舅尊
次國底立尊
彦舅 此云比古尼 †
(慶長4年刊版p5)
一書曰 天地初判 始有倶生之神 號國常立尊 次國狹槌尊
又曰 高天原所生神名 曰天御中主尊 次高皇産靈尊 次神皇産靈尊
皇産靈 此云美武須毗 †
一書曰 天地未生之時 譬猶海上浮雲無所根係
其中生一物 如葦牙之初生埿中也 便化爲人 號國常立尊 †
一書曰 天地初判 有物 若葦牙 生於空中
因此化神 號天常立尊 次可美葦牙彥舅尊
又有物 若浮膏 生於空中
因此化神 號國常立尊 †
次有神 埿土煑尊 埿土此云于毗尼 沙土煑尊沙土此云須毗尼 亦曰埿土根尊 沙土根尊
次有神 大戸之道尊 一云、大戸之邊
大苫邊尊亦曰大戸摩彦尊 大戸摩姫尊 亦曰 大富道尊 大富邊尊
次有神 面足尊 惶根尊 亦曰吾屋惶根尊 亦曰忌橿城尊 亦曰靑橿城根尊 亦曰吾屋橿城尊
次有神 伊弉諾尊 伊弉冊尊 †
- 伊弉冊尊の「冊」は、冊の正字(横線二本)で書かれており、冊には人名に用いる特別な読みとして(なみ)がある。
「冉」(ゼン・ネン。よわい)とは本来異なる。この意味で伊弉冉尊と記す場合の「冉」は誤字である。
岩波文庫補注では、これを逆に古写本の冊が誤りで冉が正しいとしている。
国史大系では正しく「冊」としているから、今に「冉」の誤用を広めたのは岩波系と思われる。
ちなみに、参考として紹介しているデジタルアーカイブは全て「冊」の正字で記している。
岩波文庫&岩波古典文学大系の、古写本が全て間違っているという根拠のない傲慢さには辟易する。
(慶長4年刊版p6)