『古事記』


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『古事記』真福寺本-下-k31~



『古事記』真福寺本-上-k01~


(『古事記』真福寺本-上-k01)

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(『古事記』真福寺本-上-k02)

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(『古事記』真福寺本-上-k03)

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古事記上巻序幷
臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然
乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖
所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神祇呈於滌身故太
素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖
而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇
以万神蕃息與議安河而平天下論小濱而淸国土是以番
仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經歷于秋津嶋化熊出
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古事記 上巻 序幷

古事記(フルコトフミ) 上巻(カミツマキ) 序幷(ジョアワセ)たり

臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形

臣安萬侶(マヲ)す。それ、混元(マロカレ)既に()りて、気象(キザシ)未だあらわれず。名も無く(シワザ)も無ければ、誰か其の(カタ)を知らむ。

然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖

然あれども、乾坤(アメツチ)初めて分かれて、参神(ミハシラノカミ)造化の(ハジメ)となれり。陰陽(メヲ)ここに開けて、二霊(フタハシラノカミ)郡品(モロモロ)(オヤ)となれり。

所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身

所以(ソエ)に、幽顕(ヨミジウツセミ)出入(イデイリ)て、日月(ヒノカミツキノカミ)目を洗うに(アラワ)れ、海水(ウシオ)に浮き沈みて、神祇(アマツカミクニツカミ)身をすすぐに(アラ)われたり。

故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世

(カレ)太素(モト)杳冥(クラ)けれども、 本教(モトツオシヘ)によりて土を孕み島を生みし時を識り、元始(ハジメ)綿邈(トホ)けれども、先聖(サキツヒジリ)によりて神を生み人を立てし世を()れり。

寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土

(マコト)に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、百王(モモノキミ)()ぎ、(ツルギ)()み、(オロチ)を切りて、万神(ヨロズノカミ)蕃息(ウマワ)りたまい、安河(ヤスノカハ)(ハカ)りて、天下(アメノシタ)を平らげ、 小浜に(アゲツラ)ひて、国土(クニ)を清めたまいしことを。

是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋

(ココ)をもちて、番仁岐命(ホノニニギノミコト) 初めて高千嶺(タカチホノタケ)に降り、神倭天皇(カムヤマトノスメラミコト)秋津嶋(アキヅシマ)経歴()たまいき。


(『古事記』真福寺本-上-k04)

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未移浹辰 氣旀自淸

浹辰(イクバクカノトキ)を移さずして、氣はいよいよ自ずから淸らかなり。

乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑

(スナワ)ち、牛を放ち馬を(イコ)へて、 愷悌(ヤス)華夏(ミヤコ)に帰りたまい、(ハタ)を巻き (ホコ)(ヲサ)めて、儛詠(マヒウタ)いて都邑(ミヤコ)(トドマ)りたまいき。

歳次梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 

(ホシ)梁に(ヤド)り、月侠鍾(キサラギ)(アタ)りて、清原大宮にして 昇りて天位(アマツクライ)()きたまいき。

道軼軒后 德跨周王 

道は軒后(ケニノキミ)(スギ)たまひ、徳は周王(シュウノキミ)(アフヅク)みたまいき。

握乾符而摠六合 得天統而包八荒

乾符(アマツシルシ)()りて六合(アメノシタ)()べたまい、天統(アマツスジ)を得て八荒(ヤモノキワマリ)()ねたまいき。

乘二氣之正 齊五行之序

二気(フタハコビ)の正しきに乗り、五行(イツメグリ)(ツギテ)(トトノ)へたまいき。

設神理以奬俗 敷英風以弘國

(アヤ)しき(コトワリ)(モウ)けて(ナラワシ)を奨め、(スグ)れたる(オシエ)を敷きて国に(ヒロ)めたまいき。

重加 智海浩汗 潭探上古

重加(シカノミニアラ)ず、智海(サトリノウミ)浩汗(オギロ)にして、(フカ)上古(カミツミヨ)(アナグ)りたまいき。

心鏡煒煌 明覩先代 

心鏡(ココロノカガミ)煒煌(アカラ)にして、(アキラ)けく先代(サキツヨ)を観たまいき。

於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 

是に天皇(スメラミコト)()りたまいしく、(アレ)聞く、諸家(モロイエ)所賷()てる帝紀(スメロキノヒツギ)本辞(サキツヨノコトバ)、既に正実(マコト)(タガ)い、多く虚偽(イツワリ)を加へたり。

當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 

今の時に当たりて、其の(アヤマリ)を改めずは、幾年(イクトセ)も経ずして其の旨滅びなむとす。

斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 

斯乃(コレスナワ)ち、邦家(ミカド)経緯(タテヌキ)王化(オモブケ)鴻基(オホキモトイ)なり。


(『古事記』真福寺本-上-k05)

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惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍
人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心卽
勅語阿禮令誦習帝皇日継及先代舊辭然運移世異未行其事矣
伏惟
皇帝陛下得一光宅通三亭育御紫宸而德被馬蹄
之所極坐玄扈而化照船頭之所逮日浮重暉雲散非
烟連柯幷穂之瑞史不絶書列烽重譯之貢府無空月
可謂名高文命德冠天乙矣於焉惜舊辭之誤忤正先紀
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之謬錯以和銅四年九月十八日詔臣安萬侶撰錄稗田阿禮所誦之
勅語舊辭以獻上者謹隨詔旨子細採摭然上古之時言意並
朴敷文構句於字卽難已因訓述者詞不逮心全以音連者事
趣更長是以今或一句之中交用音訓或一事之內全以訓錄卽
辭理叵見以注明意況易解更非注亦於姓日下謂玖沙訶於名
帶字謂多羅斯如此之類隨本不改大抵所記者自天地開闢
始以訖于小治田御世故天御中主神以下日子波限建鵜草葺
不合尊以前爲上卷神倭伊波禮毘古天皇以下品陀御世以前爲
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故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉

(カレ)(オモイ)みれば帝紀(スメロキノヒツギ)を撰び(シル)し、旧辞(フルコト)(タズ)(キワ)め、(イツワリ)を削り(マコト)を定めて後葉(ノチノヨ)(ツタ)へむと(オモ)ふとのりたまいき。

時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八

時に舍人(トネリ)有り、(ウジ)は稗田 名は阿礼(アレ)、年は廿八(ハタチアマリヤツ)

爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心

為人(ヒトトナリ)聡明()くて、目に渡り口に()み、耳に()るれば心に(シル)す。

卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭

即ち、阿礼に勅語(ミコトノリ)して、帝皇日継(スメロギノヒツギ)先代旧辞(サキツヨノフルコト)誦習(ヨミナラ)はしめたまいき。

然 運移世異 未行其事矣

(シカ)あれども、運移(トキウツ)世異(ヨカワ)りて、未だ其の事を行ないたまわずき。

伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育

伏して皇帝陛下(スメラミコト)(オモイ)みれば、一つを得て光宅(ミチオ)り、三つに(ワタ)りて亭育(ヤシナ)いたまう。

御紫宸而德被馬蹄之所極 坐玄扈而化照船頭之所逮

紫宸(ムラサキノトノ)(シラシメ)して(ウツクシビ)馬蹄(ウマノツメ)所極(キワミ)(オオイ)いたまい、玄扈(クロキアラカ)(イマ)して(オモブケ)船頭(フナノヘ)所逮(イタリ)を照らしたまう。

日浮重暉 雲散非烟

日浮かびて(ヒカリ)を重ね、雲散りて(ケブリ)に非ず。

連柯幷穂之瑞 史不絶書

(エダ)を連ね穂を(アワ)(シルシ)(フミヒト)(シル)すことを絶たず。

列烽重譯之貢 府無空月

(トブヒ)(ツラ)ね、(オサ)を重ぬる(ミツキ)(ミクラ)(ムナシ)き月無し。

可謂名高文命 德冠天乙矣

名は文命(ブンメイ)より高く、(ウツクシビ)天乙(テンイツ)(マサ)れりと謂いつ()し。

於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶
撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭

(ココ)に、旧辞(フルコト)誤忤(アヤマリタガ)えるを惜しみ、先紀(サキツヒツギ)謬錯(アヤマリマジワ)れるを正さむとして、和銅の四年(ヨトセ)九月(ナガツキ)十八日(トウカアマリヨウカ)(ヤッコ)安萬侶に(ミコトノリ)して、
稗田阿礼が所誦(ヨメ)勅語(ミコトノリ)旧辞(フルコト)を撰び(シル)して献上(タテマツ)らしむといへれば、謹みて詔旨の(マニマ)に、子細(コマヤカ)に採り(ヒロ)いぬ。

然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難

(シカ)あれども、上古之時(カミツヨノトキ)(コト)(ココロ)(トモ)(スナオ)にして、文を敷き(コト)を構うること、(カラナ)に於きては難し。

已因訓述者 詞不逮心 全以音連者 事趣更長

(スデ)(ヨミ)に因りて述べたるは (コトバ)心に不逮(オヨバズ)。全く(コエ)を以ちて(ツラ)ねたるは、事の(オモブキ)更に長し。

是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄
卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注

(ココ)を以て今、或いは一句之中(ヒトコトノウチ)(コエ)(ヨミ)とを交へ用い、或いは一事之內(ヒトコトノウチ)に全く訓を以て(シル)しぬ。
即ち、(コトバ)(コトワリ)の見え(ガタ)きは、 (シルベ)を以ちて(アカ)し、(ココロ)(オモブキ)(サト)り易きは、更に(シルベ)せず。

亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改

亦、(ウジ)に於て日下をくさかという。名に於て帯の(カラナ)をたらしという。如此(カクア)(タグイ)は、 本の(マニマ)に改めず。

大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世

大抵(オオカタ)所記(シルセル)は、天地(アメツチ)開闢(ヒラケシ)より始めて、小治田御世(オハリダノミヨ)(オワ)る。

故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷
神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷
大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷
幷錄三卷 謹以獻上

(カレ) 天御中主神より以下(シモ) 日子波限建鵜草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)より以前(サキ)上卷(カミツマキ)と為し、
神倭伊波禮毘古天皇(カムヤマトイワレビコノスメラミコト)より以下(シモ) 品陀御世(ホムダノミヨ)より以前(サキ)中卷(ナカツマキ)と為し、
大雀皇帝(オオササギノスメラミコト)より以下(シモ) 小治田大宮(オハリダノオオミヤ)より以前(サキ)下卷(シモツマキ)と為す。
(アワセ)三卷(ミマキ)(シル)して (ツツシミ)獻上(タテマツ)る。


(『古事記』真福寺本-上-k06)

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中卷大雀皇帝以下小治田大宮以前爲下卷幷錄三卷謹以獻上臣安萬
侶誠惶誠恐頓首頓首和銅五年正月廿八日正五位上勳五等太朝
臣安萬侶~

臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首

(ヤッコ)安萬侶、誠に(オノノ)き、誠に(カシコ)まり、頓首頓首(ヌカズキテモウス)

和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶

 



『古事記』真福寺本-上-k06~


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