文献
『古事記』
『古事記』序
(真福寺本書影)
古事記 上巻 序幷 †
古事記 上巻 序幷たり
臣安萬侶言 夫 混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形 †
臣安萬侶言す。それ、混元既に凝りて、気象未だあらわれず。名も無く爲も無ければ、誰か其の形を知らむ。
- 「爲」を岩波文庫(以下i文庫)では(わざ)と読んでいる。「無為」は(動きがない}の意味。
- 「效」は「敷」に見えるのだが・・・・「気象未敷」であれば(気象未だひろがらず)か?
「敦」と見るものもある。「效」としたのは宣長の「古訓古事記」に依るらしい。
→参考:早稲田大学図書館蔵「古訓古事記」/該当頁書影
「效」の採用は観智院本名義抄に「効は效の俗字」とあり、アラハスの訓がある事によるらしい。
「玄奘表啓平安初期点」では「未遠」(イマダトオクアラズ)とあるらしいが未見。
(安万呂の上表文にこだわっていても仕方ないので、この件一時中座)
然 乾坤初分 參神作造化之首 陰陽斯開 二靈爲群品之祖 †
然あれども、乾坤初めて分かれて、参神造化の首となれり。陰陽ここに開けて、二霊郡品の祖となれり。
- 「乾坤」をi文庫では(けんこん)とそのまま読んでいる。
所以 出入幽顯 日月彰於洗目 浮沈海水 神祇呈於滌身 †
所以に、幽顕に出入て、日月目を洗うに彰れ、海水に浮き沈みて、神祇身をすすぐに呈われたり。
故 太素杳冥 因本教而識孕土産嶋之時 元始綿邈 頼先聖而察生神立人之世 †
故、太素は杳冥けれども、 本教によりて土を孕み島を生みし時を識り、元始綿邈けれども、先聖によりて神を生み人を立てし世を察れり。
- 「太素杳冥」i文庫では、(タイソはヨウメイなれども)
- 「本教」は日本古来の伝承の意。
- 「綿邈」:観智院本名義抄により、「綿」も「邈」も訓読みで(とほし)である事から「綿邈」で(とほし)と訓んでいる。
i文庫では(めんばく)としている。
寔知 懸鏡吐珠 而百王相續 喫劒切蛇 以万神蕃息與 議安河而平天下 論小濱而淸国土 †
寔に知りぬ、鏡を懸け、珠を吐きて、百王相続ぎ、劒を喫み、蛇を切りて、万神蕃息りたまい、安河に議りて、天下を平らげ、 小浜に論ひて、国土を清めたまいしことを。
- 「蕃息」:岩崎本皇極記訓にある「不蕃息」(ウマハラス)より援用。i文庫では(ばんそくせしことを)
- 「議安河而平天下」:岩波文庫では(安の河に議りて、天下を平むけ)
「淸国土」を(国を清めき)
- 岩波文庫は「寔知~国土」を上記のような1文ではなく、與/議の部分で2文に分け解釈している。
2文に分けると「知」の範囲が「議安河~」には掛からないことになり問題。。
是以 番仁岐命 初降于高千嶺 神倭天皇 經歷于秋津嶋 †
是をもちて、番仁岐命 初めて高千嶺に降り、神倭天皇、秋津嶋に経歴たまひき。
- 「番仁岐命」本文にこの表記はない。「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命」
化熊出川 天劒獲於高倉 生尾遮徑 大烏導於吉野 †
熊に化れるもの川に出て、天剣を高倉に獲たまいき。尾生径を遮へて、大烏吉野に導きまつりき。
- 化熊出川:本文に熊の話しは出てくるが川の記載はない。
i文庫では(化熊川を出でて)とし、訳せば「ばけ熊が川から出てきて」となるが、「川から出てきた」のと「川に出てきたの」では意味が異なる。
- 尾生:本文では「尾ある」は井氷鹿・石押分の子の他に土雲八十建が記されている。解釈としては前2者。
i文庫では(生尾径を遮りて)その注に「尾のある人々が路にあふれて歓迎し」とかなり誇張。
- ちなみに本文に出てくる「八咫烏」は「大きな烏」のことであり、「三足烏」の事ではない。
咫=親指と人指し指を拡げた長さ。約18cm/八咫=18×8=144cm
それ故、序で「大烏」とあるのを本文を勘案し(ヤタカラス)と読むわけである。
三足烏(=三本足の烏)は中国の伝説であり、記紀には全く出てこない。当然に八咫烏とは無関係。
列儛攘賊 聞歌伏仇 卽 覺夢而敬神祇 所以稱賢后 †
舞を列ねて賊を攘い、歌を聞きて仇を伏せたまひき。即ち夢に覚りて神祇を敬ひたまひき。所以、賢き后と称えまつりき。
- 攘賊…i文庫では(ニシモノをハラひ)/伏仇(アタをシタガはしめき)
- 所以稱賢后…同じくi文庫では(このゆゑに、ケンコウとマヲす)
- 「后」は原義「帝王」、ここは崇神の事蹟とされる。が、本文に「后」の表記はなく疑問。むしろ「后」の原義など持ち出して解釈するのでなく、安万呂が崇神と神功を混雑して記したと見る方が妥当の観。
望烟而撫黎元 於今傳聖帝 †
烟を望て黎元を撫でたまいき。今に聖帝と伝えたり。
- 黎元…i文庫では(れいげん)とそのままに読んでいる。
- 仁徳記
定境開邦 制于近淡海 正姓撰氏 勒于遠飛鳥 †
境を定め邦を開きて、近淡海に制したまいき。姓を正し氏を撰びて、遠飛鳥に勒したまいき。
- 前文は成務記の国造・県主制定のこと。近淡海は高穴穂宮。
- 後文は允恭記。遠飛鳥は遠飛鳥宮。
雖步驟各異 文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽 照今以補典教於欲絶 †
步驟各異に、文質同じくあらねども、古に稽へて風猷を既に頽れたるに縄し、今を照らして、典教を絶えむと欲るに補はずということなし。
- 步驟…「歩」は常歩、「驟」は速足、漸進と急進。i文庫では(ほしう)
- 文質…文化尊重の政治と質朴率直の政治
- 風猷…風俗の教化。i文庫では(ふういう)
- 典教…古来の変わらぬ教え、道徳。i文庫では(てんけう)
- i文庫での解釈文(御代御代において政治に緩急の差があり、文彩と質朴の違いはあるが、古の事を考えてそれを今のありさまに照らしてみて、風教道徳の頽れたのを正し、五倫五常が絶えようとするのを補わないということはなかった)
- なんだか解り難い文だが「各天皇の時代に行われる政治は同じということはないが、歴史に学んで行動する(稽古照今)という点では変わることはない」というような意味で、それ故史書が必要だと暗に弁じている。
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世 濳龍體元 洊雷應期 †
飛鳥淸原大宮に大八洲御しし天皇の御世に曁びて、濳りたる龍元を体り、洊なる雷期に応ひぬ。
- ここからいきなり壬申の乱(672年7月)、大海人皇子の事跡についての記述に飛ぶ。
ちなみに古事記は推古期までの記述しかないので壬申の乱についての記述はない。
日本書紀は持統期迄で、壬申の乱に関する記述がある。太安万侶の父品治は壬申の乱で大海人方についていた。
古事記成立712年、日本書紀成立720年とされるが、このあたりの記述は日本書紀記載内容を踏まえていなければ記せない事である。
- 飛鳥淸原大宮御大八洲天皇…天武天皇
- 曁を思想体系・i文庫共に(いたりて)と読んでいる。
- 潜龍…易で乾の卦
- 元…最善の徳
- 洊雷…易で震の卦
- 潜龍・洊雷は共に「天子となるべき人」を暗示し、大海人皇子(天武)を指している。
「最善の徳を持っている人が龍として潜んでいたが、時を得て雷のごとく力を発揮した。」というような意味。
聞夢歌而相纂業 投夜水而知承基 †
夢の歌を聞きて業を纂がむことを相ひ、夜の水に投りて基を承けむことを知りたまひき。
- 夢歌…書紀天智記末の童謡三首「美曳之~」他。天智崩御後の皇位継承をめぐる争いを示唆しているとされる。
- 夜水…横河(名張川)。大海人東国脱出の際横川で行った占いを指す
然 天時未臻 蝉蛻於南山 人事共給 虎步於東國 †
然あれども天の時 未だ臻らずして、南の山に蝉のごと蛻けたまひ、人事共給りて、東国に虎のごと歩みたまひき。
- 南山…倭京の南方の山、吉野山を指す
- i文庫では、「南山に蝉蛻(せんぜい)し、~東国に虎歩(こほ)したまひき」
皇輿忽駕 淩渡山川 六師雷震 三軍電逝 †
皇輿忽ちに駕まし、山川を凌え渡りき。六師雷のごと震り、三軍電のごと逝きき。
- ここは形式文で、文字通りの意味にはならない。直読すればi文庫のようになるが、文意が通じないので意読を選ぶ。
- 皇輿(こうよ)…天皇の乗る御輿。
- 「駕」は車駕を指すが形式的に対応させているだけである。
ここに云う「皇」は大海人皇子を指し、書紀壬申紀六月甲申条で、吉野宮を発った時は徒歩であった。
- 六師・三軍…これも形式的表現で、六師は大海人皇子の軍、三軍は高市皇子の軍と理解されている。
六・三は表現上の対で宣長が指摘しているように数値上の意味はない。
杖矛擧威 猛士烟起 絳旗耀兵 凶徒瓦解 †
矛を杖つき威挙ひて、猛士烟のごと起こりき。 絳旗兵を耀して、凶徒瓦のごと解けつ。
未移浹辰 氣沴自淸 †
浹辰を移さずして、氣沴自ら淸りぬ。
- 浹辰(しょうしん)…「浹」は一巡り、「辰」は日。12日間。壬申の乱は約1ヶ月なので、「浹辰」は(幾ばくかの日数)を意味する。
- 氣沴(きしん)…本来は「氛沴」。氛も沴も共に妖気・臭気。総じて、毒気・災い
- 書影に見る[方尓]→[方爾]は不明。とりあえず解説にある「沴」に従う。ちなみに「沴」としているのは宣長古訓古事記に依るものであろう。該当書影
乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑 †
乃ち、牛を放ち馬を息へて、 愷悌く華夏に帰りたまい、旌を巻き 戈を戢めて、儛詠いて都邑に停りたまひき。
- 思想体系では二文に分けているが、乃の掛かりを考慮しi文庫のように一文に解す。
- 放牛息馬…周の武王の故事による。「帰馬放牛」(書経)
- 華夏…中原、ここでは大和を指す。
- この辺りも含めて、中国の故事を多用する事から剽窃文と揶揄されるのも致し方ないことである。「華夏」とか用いる感覚が理解しかねる。
- 都邑…飛鳥を指す。
歳次大梁 月踵俠鍾 淸原大宮 昇卽天位 †
歳大梁に次り、月侠鍾に踵りて、清原大宮にして 昇りて天位に即きたまひき。
- 歳…歳星、木星のこと。木星が大梁に位置するのは酉年。乱の翌年。673年
- 俠鍾…十二律の一(夾鍾)。月では2月。
道軼軒后 德跨周王 †
道は軒后に軼たまひ、徳は周王に跨みたまひき。
握乾符而摠六合 得天統而包八荒 †
乾符を握りて六合を摠べたまい、天統を得て八荒を包ねたまいき。
- 乾符…帝の爾。次の持統即位に際しては「神爾の剣・鏡」とあるが、天武の場合は不明。
- 岩波思想体系注では{持統紀4年7月条)としてこの例が挙げられているが、持統紀4年正月(書紀)の誤り。
- 六合…四方と上下、即ち天下。
- 八荒…八方の僻遠の地。
乘二氣之正 齊五行之序 †
二気の正しきに乗り、五行の序を斉へたまいき。
設神理以奬俗 敷英風以弘國 †
重加 智海浩汗 潭探上古 †
心鏡煒煌 明覩先代 †
於是天皇詔之 朕聞 諸家之所賷帝紀及本辭 既違正實 多加虛僞 †
當今之時不改其失 未經幾年其旨欲滅 †
斯乃 邦家之經緯 王化之鴻基焉 †
故惟 撰錄帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉 †
時有舍人 姓稗田 名阿禮 年是廿八 †
爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心 †
卽 勅語阿禮 令誦習帝皇日継及先代舊辭 †
然 運移世異 未行其事矣 †
伏惟 皇帝陛下 得一光宅 通三亭育 †
御紫宸而德被馬蹄之所極 †
坐玄扈而化照船頭之所逮 †
日浮重暉 雲散非烟 †
連柯幷穗之瑞 史不絶書 †
列烽重譯之貢 府無空月 †
可謂名高文命 德冠天乙矣 †
於焉 惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭 †
然 上古之時 言意並朴 敷文構句 於字卽難。已因訓述者 詞不逮心 †
全以音連者 事趣更長 †
是以今 或一句之中 交用音訓 或一事之內 全以訓錄。卽 辭理叵見 以注明 意況易解 更非注 †
亦 於姓日下 謂玖沙訶 於名帶字 謂多羅斯 如此之類 隨本不改 †
大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 †
故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 幷錄三卷 謹以獻上 †
臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首 †
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶 †
- 尚途中なのだが一言。
古事記古写本の中で、最も古いとされる真福寺本であるが、書影でも解るように、かなり雑。
これを書写したという賢瑜が、内容を理解していたのかどうかさえ疑問。
安万呂の序文と本文を区切りもつけず書き連ねるとか感覚を疑う。
また、この序があるが為に偽書と疑われる事もあったわけである。(本文にない事跡を安万呂が記している点等)